『市街戦』(2025)を見て - 二重のサスペンス -

 冒頭の市街戦が冴え渡っている。いきなり少年の頭が撃ち抜かれるというショックから始まるこの市街戦は、銃弾の雨の中を逃げ惑う若い女性と男児の逃避行にフォーカスが当たる。その一方で、革命活動家である主人公の男が、(当時)インドネシアを支配しているオランダ軍の軍人の前でバイオリンを弾いて見せる様が、クロスカッティングで映される。シーンの緩急も然ることながら、実はこの三者は、この時点ではクロスカッティングで結ばれているだけでしかないのだ。すなわち、女性と男児の行方だけでなく、彼女らと男との関係は何なのか、二重のサスペンスがそこにはある。事態の曖昧さが、観客の心拍数をどんどん上げてゆくことだろう(なお、彼らは夫婦である。女性が14〜5歳に見えたので、きょうだいかと思った)。

 不能の主人公は片足を怪我した男(※)からライフルを手渡され、要人の暗殺を目論む。しかし、不発の表象もまた二段構えであるが故に、ジャムって失敗するのは目に見えていると言えよう。夫婦間の問題に一応の決着がつくまで結局彼は「撃てない」。あるいは不義を働く直前の妻を鏡像で捉えてみせたりと、ベーシック、ないし古典的な手法に忠実な映画であることは窺える。スタンダードの画角もまた古風な魅力を放っているものの、しかし、窮屈さを誘発していることも否めない(ちなみに上映後のQ&Aによれば、スタンダードサイズの選択は、ショットの雰囲気を作るのももちろんであるが、時代劇をフルロケで撮る上で余計なもの、例えばスタバとかを写さないために有用であったらしい。)映画とは、基本をなぞるだけで面白くなる代物でもないらしい。

※古典的なハリウッド映画では、足の不自由な男は不能を表象するとされる。

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