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自由に自分で|ひかり

自分の思いを伝えるとき、それはとても自由な行為だ。
感じたことを伝えればいいのだけれど、いざとなると、相手が求めている答えかな?的外れなことかな?などの疑問が浮かんできて、ありのままを伝えられないなんてこともある.....。

でもそんな時、決まっていつも思い出す二つの記憶がある。
どちらも小学生の時の出来事だ。

一つは部活でのこと、コーチが試合に負けた要因とこれからどんな練習をしていく必要があるかというようなことをチームに問いかけ、部員一人ひとりが答えるミーティングがあった。
最初に思い浮かんだことがあったけれど、みんなの答えが自分と全く違うものだったから、どんどん自信がなくなり、最終的にはみんなに合わせて答えた。
だけれど、最後にコーチから伝えられた言葉は、最初に言おうと決めていたことと、ほとんど同じことだった。

もう一つは夏休みの美術館で小学生向けのプログラムに参加した時のこと。
題名が隠された一枚の絵を観て、感じ取ったことから題名を想像してみようと問いかけられた。
この時も自然と浮かんだ題名があったけれど、わからない(間違っているかもしれないから)と答えて、隠されていた札を開けると、思った題名と同じものが付けられていた。

どちらの時も当時の私は、目をまるくして脳内反省会を開いていた。
しまった!という焦りの気持ちと、間違っていなかった!という嬉しさに、からだが熱くなるような気持ちでいた。

自分の答えに自信は持てなくても、自由に発すればいいんだと気づき、今でもずっとこの時のことを指針のように覚えていて、思いを伝える時には、正解か不正解かを求めて言葉を選んではいけないと、小学生の私に教えてもらっている。

今年から自分の暮らしのバランスを見直すことにして、週5日働くことをやめる選択をした時も、最初のうちはこんなに休んでいいのか、自分の好きなことばかりしていいのだろうかと後ろめたさも共に暮らしていたけれど、通っているはりきゅうの先生に「からだがどんどん軽くなってきてるね」と言われた時に、揺れていた気持ちがぴたっとはまり、頭でブレーキをかけていた自由の枠が解放され、素直に選択していけばいいんだと思えた。

自由に思いを伝えたり、選択したりすることは、今の私がどんなことを感じて、どこに向かいたいかを明確にしたうえで発せされることだから、自由は自分と深くつながることでもある。
今の純度を濁さないように、軽やかに自由な私をすくいとっていきたい。

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HAKKOU(はっこう)/リレーエッセイ 目に留めてくださり、ありがとうございます。 いただいたお気持ちがとても励みになります! また還元できるよう日々に向き合っていきます。