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間借りカフェ奮闘記①〜誰も来なかった、初日〜

〈7月某日〉

「しまった…!」


肝心なものを忘れていた。
これがなければ始まらない。
だが、今更気づいてももう遅い。
後の祭りである。
嫌でも頭をよぎってしまう。


-初日の売上ゼロ-


考えたくはないが、数時間後には突き付けられるであろう現実を、受け止める心の準備をしておいた方がよさそうだ。


✳︎✳︎✳︎



ようやく迎えたオープン初日。


清掃、テーブルセッティングは完了。
仕込みもバッチリ。
あとは入り口のclose札をopenに裏返し、お客さんを待つだけだ。


準備万端。
…の、はずだった。


“看板がない”事を除いては。


これじゃ何のお店か分からない…
営業しているかどうかも…
お店の名前さえも…


「こんなはずじゃなかった…。」



案の定、その日のお客さんはゼロだった。



〈5月某日〉

出先で少し、宙に浮いた時間を潰したかった私は、近くにカフェなどないか探していた。
大通りから一本、脇道に逸れたところに、その店はあった。


「こんなところにカフェなんてあったんだ…」


少々分かりづらい入口をくぐると、感じのいい店員さんが迎えてくれた。

「こんにちは!おひとり様ですか?」

15席ほどの小さなお店。
どうやらひとりで切り盛りしているらしい。

「お好きなお席にお掛けください!」

初めての店でいきなりカウンター席に座る勇気は、ない。
目立たなさそうな、二人掛けのテーブル席に着く。

「お決まりですか?」

散々迷った末に、その店で最も無難と思われるブレンドとチーズケーキに決めたところで、タイミングよく訊かれる。

「ここは、毎日お店が変わるんです。」

その発言が、コーヒーとケーキを待つ間、店内を見回していた私に向けられたものだとは一瞬、気がつかなかった。

「毎日…お店が変わる?」
「曜日ごとに違う人がこの場所を借りていて、私は水曜日だけここで営業してるんです。」
「そうなんですか、それは面白いですね!」


“間借り”という言葉を耳にした事はある。
だが、“曜日ごとに違う店になる”というシステムがある事は、この時まで知らなかった。

「ゆっくりしていってくださいね。」

新たにお客さんが入ってきて、それ以上この“間借りカフェ”について聞く事は叶わなかった。




〈6月某日〉

「それではこちらに署名と捺印をお願いします。」
間借りカフェから数百メートルほど離れたオフィスビルに、私は来ていた。

結局あの後、混み始めたところで店を出てしまい“水曜日の店主”からはこれといった情報は得られなかった。
その帰り際、来た時には気づかなかった張り紙の前で、思わず立ち止まる。

【あなたも始めてみませんか?】

そこには、間借りで自分の店をやってみたい!という人を募集している旨が記されていた。
どうやら空きがあるらしい。

「やってみたい…でも、出来るかな…」

その日は一日中、その事を考えていた。


✳︎✳︎✳︎


自他共に認める優柔不断な私が、翌日には運営会社に連絡していた。
とりあえず話を聞いてみる。
それだけのつもりが、いつの間にか契約する方向で話が進んでいた。
いや、まとまっていた。


「引き返すなら、今のうち…」


そんなつもり、これっぽっちもないくせに。




〈7月某日〉

それからは怒涛の日々だった。

運営会社との契約手続き
営業許可申請
保険の加入手続き
保健所の視察

手続きの煩雑さにめげそうになりながらも

仕入れ先の選定
メニュー開発
ポップ・メニュー表作り

これらを同時進行で進めてきた。
それまで通りフルタイムで働きながら、である。


原価計算をすれば、電卓を叩く度に違う金額になる。
ハンドドリップの練習と試飲のし過ぎで、トイレが近くなったりもした。


「やっぱりやめようか…」


何度そう思ったか分からない。


それでも自分の店を持ちたい気持ちが僅かに勝り、なんとか諦める事なく迎えたオープン初日。


看板を用意していなかった事に気づいた時の絶望は、一生忘れないだろう。


ただでさえ人通りが少ない場所に、店はある。
その数少ない通行人は皆、不審者を見かけた時のような目で、少し離れたところから店内を覗いている。


「このままじゃ誰も来てくれない。」


そこで私はまず、箒と塵取りを持ち店の外へ出た。
店の周りを掃きながら、道行く人々に声を掛ける。


「こんにちはー!」
「コーヒーはいかがですかー?」


反応は…概ね引いている。
稀に「こんにちは」くらいは返ってくるが。


ならば次の一手。


入口脇のベンチに座ってみる。
自分で淹れたコーヒーを片手に。


…余計に怪しまれている。


かくなる上は…!


外から見やすい窓際の席に座り、
“ひとりランチを愉しんでいるお客さん”
を装う。
ワンオペの店だ。
サクラも自分で務めるしかあるまい。


無駄だと分かっていても、みっともなくても。
足掻くしかない。



このまま終わらせる訳にはいかない。




こうして記念すべきオープン初日は幕を閉じた。

あの手この手を尽くした甲斐もなく、
店に出入りしたのは、自分だけだった。

張り切って用意したサンドイッチも、
サラダもスープもスイーツも、
全て廃棄。

車を持っていない私は、座席ひとつを占領出来るほどの保冷バッグを肩に掛け、バスと電車を乗り継いで店へ通っている。

それを全て、自らの手で…ゴミ箱に…

悔しさと、哀しさと、言葉にならない感情が溢れて、その日は一睡もできなかった。


これが思い描いた、私の夢の“始まり”だった。


そして翌週も、私は店に立っていた。

続く

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