笹尾根で熱中症になった話(武蔵國山行妖異録)
夏の低山は暑い。
樹林帯で日は射さないとはいえ、奥多摩の笹尾根は蒸し風呂の様だった。
粘度を持った空気が、身体に重く纏わりつく。
息すら熱波を吸っているようで、体の中も熱を帯びている。
「ちょっとペース落すか?もうすぐ浅間峠だ。確かいい感じの東屋があったから、あそこでしっかり休憩しよう」
ハイペースで進みながら話す友人に、俺は息も絶え絶えで、何とかうなずき大丈夫だ、と言った。
賑やかしい蝉の声が、やけに近くで聞こえたり、遠のいたりしながら、自分の荒い呼吸の音と早い鼓動が五月蠅かった。
滝のような汗をかきながら、ようやく浅間峠が見えた。
ふうっと大きく息を吐いた。その瞬間、突然ナニかが飛んできた。
フラッシュをたかれたかのように目の前が真っ白になり、同時に口を塞がれた。柔らかく、熱を帯びたナニかが俺の顔に張り付いている。
何だ、何が張り付いてる?
パニックになりながら顔についたナニかを振りほどこうと顔を掻きむしるも、一向に離れる様子はない。
息が苦しい、意識が遠のき、ダメだ、、立っていられない。
思わずしゃがみ込み、膝をつき四つん這いになる。
このままでは、意識を失う、、、その時、、
「…おい、おい!しっかりしろ、大丈夫か?」
友人にほほを叩かれる。
視界が回復し、ようやく息ができるようになる。
同行していた友人が焦った声で言う。
「熱中症だ、水だ、水を飲め」
心配そうな顔で、申し訳なさそうに続ける。
「塩分も摂れ。すまん、休憩なしで長く動き過ぎたな。ここでしっかり休憩しよう」
そう言いながら、ザックを下ろし、塩サプリを差し出す。
熱中症?
そうか、、、熱中症か、、、
違う、、、大きな生き物の様なナニかが、俺の顔に張り付き、そいつに口を塞がれたんだ、、、
水を飲み、塩サプリを口にする。
少しだけ落ち着く。もう一度何があったかを、自分に起きたことを思い出し、その考えを自ら否定する。
「熱中症か、、、気を付けてたんだけどな。面目ない。ナニかが顔に張り付いたような気がして、目の前が真っ白になって、息ができなくなった……むささびかと思ったよ」
自分で言っておきながら少し可笑しかった。
「むささびは夜行性だ、それに臆病で繊細な生き物だから人を襲ったり、顔に張り付いたりはしないよ」
友人は笑いながら、タバコに火を付け、そして真顔で言った。
「まあ、山は、、、色々あるからな。回復するまでしっかり休もう」
そう言いながら友人は煙草に火をつけ、美味そうに吸った。
吐き出された煙を避けるように、ナニかが飛び去ったような気がした。
そうだ、気のせいだ。自分に言い聞かせ、汗だくの顔を拭った。
手には、動物の毛のようなものが付いていた。
《今回の山行ルート/用語補足/メモ》
【笹尾根】
笹尾根(ささおね)は、多摩川水系と相模川水系の分水嶺標。東京都と山梨県の境界となっており、広義には東京都と神奈川県の境界となる区間を含む。
狭義では槇寄山から浅間峠まで、広義では三頭山から高尾山までを指すが、個人的な感覚的では三頭山から醍醐丸の間くらいを指す。この区間はハセツネのルートとしても有名。
アップダウンが少なく歩きやすい。石尾根ほどの眺望はないが、歩いていて気持ち良いルート。単調で映えないので人が少なく静かな山歩きが楽しめる。
笹尾根につながる尾根も多く、体力に合わせて色々なルートがとりやすいのも魅力。
主な山と峠
三頭山 (1,531m)、槇寄山 (1,188m)、笹ヶタワの峰(1,121m)、丸山 (1,098m)、土俵岳 (1,005m)、浅間峠 (840m)、熊倉山 (966m)、三国峠 (960m)、生藤山 (990.3m)、連行峰 (1,016m)、醍醐丸 (867m)
【浅間峠】
浅間峠(せんげんとうげ)は、檜原村と上野原市との境にある標高840mの峠。ハセツネのチェックポイントとしても有名。しっかりした東屋があり休憩するにはもってこいの場所。
北に降りれば、上乗川のバス停、南に降りれば棡原(ゆずりはら)のバス停
上乗川のバス停から北に登ると浅間嶺がありややこしい。
【コース、地図】
数馬バス停から槇寄山に登り笹尾根を縦走して、浅間峠から上乗川のバス停に下山
槇寄山以降は下り基調で歩きやすい。
コースタイム6時間50分、距離13.6KM、獲得標高821M
浅間峠手前の日原峠から10分ほど下るとこのコース唯一の水場がある。
逆コースにすると登り基調とはなるが、数馬の湯でフィニッシュできるので、そちらもお勧め。

【数馬の湯】
正式名称 檜原温泉センター数馬の湯
三頭山や笹尾根登山後に最適の日帰り温泉施設。
マイタケの天ぷらは絶品。
【熱中症】
高温多湿な環境下で体温調節がうまく働かず、体内に熱がこもる状態。
主な症状には、めまい、火照り、筋肉の痙攣、頭のぼーっとした感じ、嘔吐、だるさ、まっすぐ歩けないなど。
予防には、こまめな水分補給と塩分補給が重要。
応急処置としては、涼しい場所に移動し、体を冷やすことが大切。電解質のバランスが崩れているので、塩分、水分の補給が重要。
彼らはこの後、自力で下山したようだが、回復後すぐの運動はあまり良くない。
症状は、その重さに生じて3種類に分けられる
・I度(軽度)
めまい、筋肉痛、筋肉の硬直(こむら返り)
・II度(中等度)
頭痛、気分の不快(吐き気、嘔吐)、全身のだるさ
・III度(重症)
意識障害、全身のけいれん、活動性の低下、高体温
【ムササビ】
日本の固有種で、本州、四国、九州に生息している。
生息地によってニッコウムササビ、ワカヤマムササビ、キュウシュウムササビの3亜種に分けられている。
山地や平地の森林に生息する。特に、巣になる樹洞があり、滑空に利用できる高木の多い鎮守の森を好む。
夜行性。完全な樹上生活者で、冬眠はしない。
最大120メートル以上の滑空が可能で、その速度は最大秒速16メートルにもなる。
大木の樹洞、人家の屋根裏などに巣を作る。
高尾山で良く見られるのは有名で、しばしば観察会なども行われている。
【野衾】
野衾(のぶすま)または飛倉(とびくら)は、江戸(現 東京都)に伝わる妖怪。
ムササビ・モモンガかコウモリの妖怪だとされ、飛翔能力があり、人を目隠ししたり口を封じて襲うとも、人間や動物の血を吸うともいわれる。
鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』(1779年刊)の「野衾」では、ムササビが体を広げて滑空する様な絵が掲載されている。
「野衾は鼯(むささび)の事なり。形蝙蝠に似て、毛生(けお)いて翅(つばさ)も即肉なり。四の足あれど短く爪長くして、木の実をも喰らひ、又は火焔をもくへり。」と書かれている。

【武蔵國山行妖異図録より】

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