ここまでです、という沈黙があるだけ
きょうの一曲:Bill Fay - Be Not So Fearful
こんばんは。夜11時、FM八丈島。始めていきましょう。
あてもなく車を走らせる夜があります。目的地があるわけではありません。地図で見るとただの細い線でも、夜に入ると道は線ではなく気配になります。ライトの先でシダが重なり、枝の影がフロントガラスをゆっくり横切ります。
道幅はだんだん狭くなります。まだ行ける。たぶん戻れる。そう思ううちに、引き返す場所を一つずつ逃していく。タイヤの下で小石が鳴り、窓を閉めていても森の湿った匂いが車内へ入ってくる気がします。
そして急に道が終わります。舗装が切れ、砂利になり、最後は草の中へ消える。看板もありません。ただ、ここまでです、という沈黙があるだけです。
若いころなら、失敗だと思ったかもしれません。無駄に奥まで来た。何も見つからなかった。けれど今は違って見えます。行き止まりには、進まなくていい理由があります。自分で休むと言えない人のために、道のほうが先に終わってくれることがある。
Bill Fay のピアノは、励ましを大きな声にしません。背中を押すというより、隣の石に腰を下ろす音です。怖さを消してくれるのではなく、怖いまま座れる場所を作ってくれる。音の明かりが低いから、こちらの暗さが責められません。
音量は控えめでいい。届きにくいくらいの声のほうが、山道には似合います。強いサビで世界を変える歌ではありません。それでも、エンジンを切ったあとの森の音と並ぶと、不安の輪郭がわずかに柔らかくなる。暗がりの中で、誰かが灯りを高く掲げるのではなく、膝の上へ小さなランタンを置いてくれる感じです。
古いフォークには、立派な結論へ連れていかない強さがあります。新しい言葉で慰めようとしないぶん、こちらの疲れに勝手な名前をつけません。山道の行き止まりも同じです。理由を聞かずに、ただ車一台分の静けさを差し出してくれる。
車を降りて深呼吸をすると、行き止まりは壁ではなく小さな部屋に変わります。入口は来た道だけ。出口も来た道だけ。それで十分な夜があります。
さて、そろそろお別れの時間です。狭い道でのUターンは、くれぐれも気をつけて。
それではまた明日、この場所でお会いしましょう。おやすみなさい。
(2012.8.17 OA)
