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23%という数字より大切なこと。

「砂糖を2歳まで取らなければ、認知症リスクが23%減少できるって知ってます?」

移動中、後輩がそう聞いてきた。

「あっ、それならボクも聞いた」

2026年7月30日、J-WAVEのラジオ番組「JAM THE PLANET」だった。

J-WAVEのラジオ番組「JAM THE PLANET」

木曜ナビゲーターは武田真一さん。番組内で紹介された国内外のニュースの一つだったと思う。事実を丁寧に検証しながら、安易に一般化しない。ありきたりな言葉に逃げず、一人称で自分の考えを差し出す。その言語化と、人となりまで想像できる柔らかさマックスの声に、ボクはいつも引き込まれる。

たしか武田さんは、これはイギリスの研究であり、科学的な因果関係まで確認されたわけではない、と話していた。

後輩との会話が気になり、あらためて深掘りしてみた。

「23%」は、どこまで正しいのか

研究は2026年7月、医学誌『Neurology』に発表された。

イギリスでは、戦中から続いた砂糖の配給制が1953年に終了した。研究チームはこの制度変更を「自然実験」として利用し、その前後に生まれた64,737人の医療記録を調べた。

その結果、胎児期から2歳まで配給制下にあった人は、配給終了後の世代より、認知症の発症リスクを示す統計上の指標が23%低かった。発症時期も平均2.6年遅かったという。米国神経学会による研究紹介

では、「砂糖を2歳まで取らなければ、認知症が23%減る」は正しいのか。

見出しとして採点するなら、70〜80%くらいは正しい。

ただし、配給制は「砂糖を一切取らなかった」という意味ではない。本人が実際に何グラム食べたかも測定されていない。23%も「100人中23人が認知症にならなくなる」という絶対的な数字ではなく、年齢、性別、高血圧、糖尿病などを調整した相対的な指標だ。

そして研究が示したのは、あくまで関連である。砂糖を控えたことが直接、認知症を防いだとまでは証明していない。

それでも、「因果関係が証明されていないから無視してよい」と切り捨てるのも違う気がする。本人の健康意識ではなく、国の制度変更によって砂糖への接し方が変わった世代を比較している。通常の食事アンケートより、因果関係に一歩近づいた研究ではある。

正しい部分はかなりある。だが、最後の一線はまだ越えていない。そんな研究だ。

ボクの「ゼロリスク習慣」

ボクには、自分なりのゼロリスク習慣がある。

活性酸素などによる酸化ストレスが老化に関係するという研究があるため、ジムのトレーニングやスカッシュで、限界まで追い込みすぎないようにしている。

もっとも、ここにも不確実性がある。

激しい運動や慣れていない運動は、活性酸素を一時的に増やす。一方で、運動によって適度に生じる活性酸素は、身体がストレスに適応するための信号にもなる。活性酸素は単純な悪者ではない。運動・活性酸素・加齢に関する研究レビュー

だからボクの習慣は、「活性酸素が少しでも出るなら運動しない」という話ではない。運動の大きな利益は受け取りながら、回復できないほどの過剰な負荷は避ける。それだけだ。

考えてみれば、これはゼロリスクを目指す習慣ではない。

不確実なリスクに対して、自分が無理なく続けられる範囲で余白を残す習慣なのだと思う。

「ゼロでなければ避ける」の条件

「リスクがゼロでないなら、すべて避ける」という原則には無理がある。科学は、ほとんど何についても危険性が完全にゼロだとは証明できないからだ。

そこで、もう少し条件を加えたい。

害の可能性に一定の根拠がある。起きた場合の影響が大きい。避ける負担が小さい。そして、避けることに別の利益もある。これらがそろうなら、因果関係の確定を待たずに行動することは合理的だ。

2歳未満の添加糖を控えることは、この条件にかなり当てはまる。認知症との因果関係はまだ不確実でも、虫歯や栄養の偏りを避ける意味がある。米CDCも、2歳未満には添加糖を与えないよう勧めている。CDCの乳幼児向け栄養指針

もちろん、果物や牛乳に自然に含まれる糖まで排除する話ではない。親に完璧を求める話でもない。

科学は、白か黒かを即座に決めてくれる機械ではない。

何が分かり、何がまだ分からないのか。行動する負担と、何もしなかった場合の損失はどちらが大きいのか。それを比べながら、小さく選ぶ。

後輩のひと言から考え始めて、ボクの中に残ったのは23%という数字ではなかった。

不確実なまま、どう賢く選ぶか。その姿勢の方だった。


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