「正しさ」が私を苦しめていた|56歳の私が2026年に手放すもの
自分を責める前に、「正しさ」を疑ってみる
――56歳の私が、2026年に手放したいもの
早起きした朝、鴨川の風を感じ、静かな一日を丁寧に重ねる中で、私は一つの問いに出会いました。
それは、「自分を苦しめているものは、本当は『正しさ』ではないのだろうか?」という問い。
56歳の今、2026年という新しい年を迎えて、私が手放したいものについて綴ります。
早朝に目が覚めた朝、夢と現実のあいだで
今朝は久しぶりに早朝に目が覚めました。
仕事に遅刻する夢を見て、めちゃくちゃ焦って目が覚めたのですが、夢だとわかってホッと一安心。明後日から仕事なので、「気をつけなさいよ」という心の声だったのかもしれません。
せっかく早く起きたので、そのままブログを一本書きました。ウォーキングに行こうかとも思いましたが、あまりの寒さに断念。その代わりにフランス語の勉強をして、Clubhouseの「ゼロ秒思考・メモ書き」のルームに入りました。
このルーム、本当にいいんですよね。参加すると、頭と心がスッと整います。
早起きがくれた、ゆったりした時間
ルームの後は朝食をとり、ブログを拡散してから、アマゾンプライムで映画を一本観ました。タイトルは忘れてしまいましたが、なかなか良い映画でした。
早起きすると、時間に余裕が生まれて、「なんだか得したなあ」という気分になります。
同じ一日なのに、こんなにも感じ方が違うのは不思議です。
四毒抜きを意識した、やさしいお昼ごはん
お昼はお蕎麦を作りました。
四毒抜きを意識して、十割蕎麦の麺を使い、卵とお揚げを入れた温かいお蕎麦。
自分でも驚くほど、美味しくできました。
身体が喜んでいるのが、はっきりわかるような食事でした。
掃除は、心を整える時間
午後は部屋の掃除を頑張りました。
片づけが苦手な私は、油断するとすぐに部屋が散らかってしまいます。それでも今日は、物を片づけ、掃除機をかけ、拭き掃除まで。
終わったあとの部屋は、とてもスッキリしていて、心まで軽くなった気がしました。
掃除って、本当に「心を整える行為」ですね。
久しぶりの鴨川ウォーキング
それでもまだ時間がある。
今朝できなかったウォーキングに出かけました。



久しぶりの鴨川。思ったほど寒くなくて、青空も見えてとても気持ちがよかったです。
「京都で一番好きな場所は?」
と聞かれたら、私は迷わず、
「鴨川!」と答えます。
それくらい、私にとって大切な癒しの場所です。
「できるだけ毎日歩きたいな」
自然と、そんな気持ちになりました。
お寺と神社に参拝もしました😊。すごく清々しい気持ちになりました✨



健康は、やりたいことを叶えるための土台
今年はダイエットも頑張ろうと思っています。寒いと億劫になりますが、できる範囲でウォーキングを続け、食事も四毒抜きを意識していきたい。
やりたいことがたくさんある私にとって、体は何よりの資本です。
去年、「進行の遅いガン」と診断され、抗ガン剤治療を受けました。幸い、ガンは消えていましたが、だからこそ、普通の人以上に健康に気をつけて暮らしていきたいと思っています。
『悪魔とのおしゃべり』で出会った言葉
帰宅後は友達とビデオ通話をし、シャワーを浴びてから、さとうみつろうさんの『悪魔とのおしゃべり』を読みました。
以前にも読んだ本ですが、改めて読むと、胸に深く響く言葉がありました。
「自分を責めるヒマがあったら、『正しさ』を疑え!」
「人間は『正しさ』以外の方法で、苦しむことなどできない」
「苦しいのなら、かならず『正しさ』を先に抱えている」
「全ての『正しい』とされていることを、疑ってみるのだ」
「抱え込んだ『正しさ』が、実はその人の未来の可能性を奪っている」
読んだ瞬間、胸にストンと落ちました。
私を縛ってきた「正しさ」
私はかつて、僧侶だった元夫と結婚し、お寺で暮らしていました。
「お寺の奥さんとしての正しさ」という枠に自分をはめようとして、随分と苦労しました。
また、自宅で小学生や中学生に英語を教えていた頃も、「正しい先生」であろうとして、自分で作り上げた理想像に必死で近づこうとしていました。
「正しさ」によって壊れてしまった心
そうした「正しさ」に縛られ続けた結果、私は統合失調症を発症しました。
自分自身だけでなく、家族にも、とても辛い思いをさせてしまいました。
差別や偏見も、「正しさ」から生まれる
戦争もまた、国と国がそれぞれの「正しさ」を押し付け合うことから始まるのではないでしょうか。
以前、働いていたレストランで、オーナーから
「お前、病気やろう?」
「なんで黙っててん!」
「この嘘つき!」
と、従業員やお客さんの前で罵倒されたことがあります。
私は悲しさと悔しさとで、思わず泣いてしまいました。
健常者=正しい。
精神障害者=正しくない。
そんな認識が、今も社会の中に根強く残っています。
そしてその認識が、差別や偏見を生みだすのではないでしょうか?
「正しさ」を疑うことは、自分軸で生きること
それを変えていくためには、まず一人ひとりが、自分の中の「正しさ」を疑ってみることが必要なのだと思います。
それは、健常者だけでなく、精神障害者自身にも言えることかもしれません。
自分で考え、自分を信じ、自分で選択する。
それが「自分軸」で生きる、ということなのだと思います。
2026年、私は何を手放したいのか
私は56歳。今年57歳になります。
この歳まで生きてきて、自分を縛る「正しさ」を、たくさん抱え込んできたと感じます。
2026年は、得ることだけでなく、手放すこと、執着をなくすことも大切にしたい。
自分の中の「正しさ」を疑い、それを手放すことで、私はもっと自由になれる――そんな気がしています。
2026年、どんな年になるのでしょう。
今、とてもワクワクしています。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
