エピクテトスの哲学に学ぶ|変えられないものを手放すと人生は自由になる
最近、とにかく眠くて仕方がありませんでした。
勉強会でも、ライブでも、Zoomでも思わず眠ってしまうほど。
そんな「立ち止まる時間」があったからこそ、一冊の本との出会いがありました。
奴隷として生まれながら「本当の自由とは何か」を問い続けた哲学者・エピクテトス。その教えは、私自身の人生を振り返るきっかけにもなりました。
変えられないものを手放し、変えられるものに心を向ける──。
そのとき、人は本当の意味で自由になれるのかもしれません。
最近の私は、とにかく眠い
みなさん、お元気ですか。
最近の私は、とにかく眠くて仕方がありません。
月曜日の居場所づくりの勉強会でも爆睡。木曜日には出町柳のコミュニティカフェSOSIZIさんで開催された阿部ひろ江さんのライブでも爆睡。そして昨日のアクティブリスニングのZoomでも、また眠ってしまいました。
「どうしたんだろう?」
そう思いながら振り返ってみると、このところ毎日を全力で走り続けていました。
介護補助の仕事、Safe Spaceほっこりの活動、8月の講演会の準備、ブログの執筆、読書、フランス語の勉強……。
気が付けば、自分が思っていた以上に頑張っていたようです。
今日は午前中に用事を済ませ、お昼ご飯を食べたあとは、思い切ってゆっくり過ごすことにしました。
ブログを書き、本を読み、自分の心を整える時間。
私にとってブログを書くことは、「自分が帰る場所」のようなものです。
心が静かになり、自分自身と対話できる、大切な時間なのです。
エピクテトスとの出会い
そんな穏やかな午後、昨日図書館で借りた一冊を読み終えました。
『奴隷の哲学者 エピクテトス 人生の授業』
私はそれまで、エピクテトスという人物を知りませんでした。
エピクテトスは、古代ローマ時代のストア派哲学者です。
奴隷として生まれながら、後に自由の身となり、多くの弟子を育てました。
本人は一冊も本を書いていませんが、弟子のアリアノスが教えを書き残し、『語録』や『提要(エンケイリディオン)』として今日まで伝えられています。
彼が生涯問い続けたテーマは、とてもシンプルでした。
「ごく普通の人が、どうすれば真の自由を得て幸福に生きられるのか。」
その答えに、私は深く心を動かされました。
本当の自由とは何か
エピクテトスはこう語っています。
「自由に至る唯一の道は、『我々次第でないもの』を軽く見ることである。」
私たちは、自分ではどうにもできないことに心を奪われがちです。
相手の気持ち。
過去の出来事。
未来への不安。
世間の評価。
どれも、自分一人ではコントロールできません。
一方で、自分の考え方や行動、努力、誠実さは、自分自身で選ぶことができます。
だからこそ、「変えられないもの」と「変えられるもの」を見極め、変えられるものだけに力を注ぐことが、本当の自由につながるとエピクテトスは教えています。
この考え方を読んだとき、私はスティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』
にある「関心の輪」と「影響の輪」を思い出しました。
私自身も、つい他人を変えようとしてしまうことがあります。
でも、本当に向き合うべきなのは、自分自身。
自分ができることに心を向けるだけで、人生は少しずつ生きやすくなるのだと思いました。
「今」を生きるということ
もう一つ、心に残った言葉があります。
「遠くから欲望を投げかけるな。君のところにやって来るまで待ちなさい。」
この言葉は、「今」を生きることの大切さを教えてくれます。
私は過去を思い出して落ち込むこともあります。
未来を考えて不安になることもあります。
だからこそ、この言葉は私の胸に深く響きました。
禅でいう「一期一会」にも通じる教えだと感じています。
「今、この瞬間」を丁寧に生きること。
それが、人生を豊かにする第一歩なのかもしれません。
私に与えられた役
そして、最も心に残った言葉があります。
「記憶しておくがよい。君は演劇の俳優である。君の仕事は、与えられた役を立派に演じることだ。」
人生は一つの舞台。
誰もが、それぞれ違う役を与えられています。
主役か脇役かではありません。
どんな役であっても、その役を最後まで精いっぱい演じ切ることに意味があるのでしょう。
生きていれば、別れがあります。
病気もあります。
理不尽な出来事もあります。
それでも、自分の役を途中で降りないこと。
それが、生きるということなのだと思います。
苦しみは、人を優しくすることがある
56年生きてきた私も、心が押しつぶされそうな出来事を経験してきました。
一番つらかったのは、息子たちと離れて暮らすことになったことでした。
あの悲しみは、今でも言葉では表せません。
その後、自殺未遂を経験し、パチンコ依存にもなりました。
あの頃の私は、人生という舞台から降りようとしていました。
それでも、多くの人に支えられ、私はもう一度立ち上がることができました。
もう一度、自分の人生を生きよう。
そう決めることができたのです。
今では息子たちとも、とても良い関係を築けています。
信頼できる友達や仲間にも恵まれ、心惹かれる大切な人にも出会うことができました。
今、私は幸せです。
人生の出来事そのものは選べなくても、その出来事をどう受け止め、どう生きるかは、自分で選ぶことができます。
それこそが、エピクテトスのいう「自由」なのではないかと思います。
私は、人は胸が張り裂けるような悲しみや苦しみを経験し、それを誰かに支えられながら乗り越えたとき、以前より少し優しくなれるのではないかと思っています。
もちろん、苦しみ自体が素晴らしいわけではありません。
でも、その経験は、人の痛みに寄り添える心を育ててくれることがあります。
統合失調症を発症し、多くのものを失いました。
立ち上がれないほどの悲しみも味わいました。
それでも歩き続けたからこそ、病気になる前より少しだけ強く、少しだけ優しい人間になれたように思います。
あの苦しみも、決して無駄ではありませんでした。
今日という奇跡に感謝して
生きるということは、本当に不思議です。
人生は、奇跡の積み重ねなのだと思います。
息子たちの母になれたこと。
支えてくれる友達や仲間に出会えたこと。
心惹かれる大切な人と巡り会えたこと。
夢に向かって歩き続けられていること。
その一つひとつが、私にとってはかけがえのない奇跡です。
だから今日も、感謝を忘れずに生きていきたいと思います。
出会えたこと。
今ここに生かされていること。
夢に向かって歩き続けられること。
そのすべてに「ありがとう」を伝えながら、
自分が変えられることに心を向け、
自分らしく、より善く生きていきたい。
エピクテトスの教えは、「自由とは何でも思い通りになることではない」と教えてくれました。
本当の自由とは、自分の心の持ち方を自分で選べること。
その自由を大切にしながら、今日という一日を丁寧に生きていきたいと思います。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
