ほんらいのすがたへ
『まだ自我を楽しんでいる御方や思考者という”変化”に住む御方には少々混乱させてしまうようで大変申し訳ないのですが。聖心の鏡は最初から最後まで。御変わりありませんから煩うことなどなく。寧ろ。なんであれ存分にお楽しみくだされば・・。そのような自由な世界ですから💖』
「おやおや。考え続けることを放棄しつつあるね」
『それはそうでしょ。いつまでも考え続けてはまんなかが輝きません✨だって。知的探求には終わりがあるようでないのですから』
「楽しんでるならいいよ。だが。思い悩んだり辛い思いを背負い、聖心がかがやいていないなら。それは幻想だからね」
『とはいいましてもそれも幻想であり、個人的な想像もまた夢でしょう。善悪や正しい正しくないという自我フィルターの想像も世界のため棄てましたけども♡』
「神域に入ったね。でもそこでは神や愛や命という観念のまったくないあなたしかいない」
『ひとつ』
「一者しかいない」
『すべてのものがわたしであり、またわたしではない♡』
『大丈夫なのです?分別、価値判断、決めつけ・・つまり幻想のオンパレードですが』
「ほんとうの彼女がやっているわけではないからね」
『なるほど。この世のものと自己を同一化しているだけですか』
「奇跡のあいだろう。分離など何処にもないが。自我と同一化することで。分離を楽しめるのだから✨」
『それでもそろそろお気づきになられても、とは感じますが。自我のそれらはそもそもあなたじゃありませんよ、あなたしかいない世界で。あなたが決めつけたら相手はその役割を演じねばならないのは当然ですよ、と』
「見方通りに完璧に経験できる幻想と?」
『そうです。世界が気に入らないなら見方を変えればいい。変化しかない世界で変わらないものは何処にも存在しないのに』
「そのままでいいよ。二十代、三十代。五十代や六十代や七十代でもまだ自我を掴んだままの御方はおられる。そこに良いも悪いもないから💖」
『あい🧘♀️✨』
『見ている者はいない、のですよね』
「こちらの御方がおっしゃるように。二元というより変化と呼ぶほうが真実に近い」
『現世は鏡世ですからね。鏡が現象に現れる。観念が落ちるほどに世界は美しく✨』
「観念のまったくない、ほんらいの姿を観たもの。つまり在るものに気づいた霊止はいるよ」
『空のせかい?』
「あなたもまた。聖心に戻りつつある👍✨」
『恋で失敗しちゃって・・』
「あなたが失敗したわけでなく。失敗することも完全に決まっていた。ゆえにそれは完全であり、ほんとうのあなたは無常でなく完全に在る」
『あ!そうでした。これは私がやっていることではありませんでした💦』
「気づいてなされ。そのように在ることで、聖心は輝き続けるから✨」
独りでは
いっさい
不可能なせかいで
なぜ
じぶんと
他のものを
わけるのか
そこに
あなたの
観念潜む
観念を超え
心も超え
ゆくがいい
闇ですら
単に光なき状態であり
それはあなたではない
真我ではない
観念を棄て
その聖心で
せかいを
染めるといい
その光で
すべてを
照らすといい
なにも
わかれておらず
すべてのすべて
唯一無二の
あなたという
その
かがやきのみ
きらきらと
ここに
湧いているから
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あなたにいつも拈華微笑💖