苦しみに実体なく
「まだ分離の観念があるね」
『在り続けることができていない?』
「大丈夫だ。さまざまな観念はあって当然なのだから。だが、超えていくほど。手放していくほどに、あなたに真実のあなたが観えてくるのも事実」
『どうすれば・・』
「なんであれやってみるといい。ヴィパッサナー、気づきの瞑想、まんなかの一点、ヨガ、禅、ジャーナリング。ここのようなプラットフォームに感情を吐き出すもまた何かを得るだろう。なに。表面的ないいね!を気にすることはない。いついつも。すべてのわたしは微笑んでいるから。そうだね。どちらかといえば、なんら求めず、受け身でいる感覚で」
『エネルギーそのもの、あいそのものを感じる?』
「このようにあなたとわたしは対話しているが、このわたしはいないものとしてごらん。対象をつくり続けてしまうからね」
『・・そういうことですか!』
「いっさいの対象は幻想だ。あなたしかいない。それを腑に落とすことで、あなたは”全あい”を理解する。ずっと”至福”にいたことに気づく。ただ在ることで。まんなかに委ねることで解放は自然と起こる。そこに思考がいてはならない。自我はサレンダーするといい。在るはあなたを受けとめる」
『むむっ。それが難しいですね』
「なに。いっさい考えることはない。思考が浮かんでもそのままに。空を流れる雲のように見送ってもかまわないのだから」
『なるほど』
「何もしない在るとはそのようなものだ。たしかに人間は。霊止は何かをしていないと落ち着かないものであるからはじめは困難だろうね」
『何もしないとは無慈悲におもえて、実は最大のあい・・』
「何もしないことで。在るで在ることで絶対意識にもどる。あなたの意識は拡大する。慈悲深く。神仏のように。もっとも人間らしい人間にもどる」
『聖賢たちはこれを?』
「くりかえすが対象はいない。ひとつのわたししかいないのだ。もちろんかれかのじょらも道は異なれど、空の道にいたことに気づくまではなんら、あなたと変わらない通常の人だよ。気づいても、本人は有名になろうなどとはまったく思わないだろう。まさに目覚める前、水を汲み薪を割る。目覚めた後、水を汲み薪を割る」
『やることは変わらないじゃないですか🤣』
「そうだね。だが、表現を変えるとこうなる。幻想せかいの産物ゆえ、悟りは存在しないと前置きするが。悟る前、幸せをもとめて生きる。悟った後、幸せの状態のまま生きる」
『もし、現象に疲れ果て。あなたの喉がカラカラに渇いているのなら。知識を得、その知識を棄て、ただ在るがいいだろう、と説かれるわけですね』
「まったく無名のままでも、完全に自己の至福に。すべてにおいてみたされる。色を楽しめず、苦しいならなおのこと。空をみるといい。すでに空でせかいはみちているのだから。在るで在るあなたで」
『わたししかいない。それは自我なきところに微笑むもの』
「すでにみちみちている在るによって、あなたが祝福を、そこにはじめからあった至福を感じたなら。あなたはこの”鏡”のしるすおしえを理解した」
『釈迦が現れて。”あなたはわたしだ”と言っても?』
「神秘的な体験は知識としてしまいなさい。それを唯一の神秘体験だと勘違いして浸ってはならない。認識が完全に変わる。それが真の神秘体験だ」
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