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じじつをみる

『雨が降っていたから・・私はよかれと思って。娘の友達をクルマで家まで送ったのです。それなのにどうして。あちらの親御さんに叱られたのでしょうか。”傘を持たせているのだから、余計なことをするな”と・・』

実相真理ではあなたのお子さんのお友達が濡れるわけではないからね。しかしながら。まだ幼いあなたには。そのお友達が大雨の中を歩いて帰るのは大変だろうと。送ってあげることこそ善であると。そう思っての行動だろう。だが。相対せかいにおいてはそれは”おせっかい”となることもある。飽くまで。教育の一環として、自立を促すため、”一人で帰らせる”という躾をする親御さんもなかにはおられるからね」

『・・私が悪いのです?』

「人とは誰かの言葉を自分勝手に解釈するものだ。根深い善悪の観念があるものだ。これまで。あなたの目の前には。たくさんの現象が起きただろう。たしかにそれらを見てきた。あなたの勝手な見方観念により」

『やはり悪いのは私じゃないですか・・自分勝手に見ているのだから』

「はっはっは!。あなたは如何なるトキも一切悪くないよ。だが。その善悪の観念が問題であるといおう。しかし。問題とはいうが悪いとはいわない。人が生活するためには思考や観念は必要不可欠だからね」

『・・・』



あなたはあなたの思い描いている
夢を体験している

事実そのものではなく

だからあなたは幻想を生きている
というのである

せかいに悪いところはない
ほんとうのあなたにも悪いところなどない

あなたが善悪を想像しているだけである



「冒頭の親御さんのお話しに戻ろう。あなたはまだ納得できていない。あちらの親御さんはこう言う。”うちの教育方針の邪魔をしないで”と。他のママ友はこうも言う。”たしかにそういう考え方もあるよね。でも危ないよねぇ、雨の中、小さな子供一人で帰らせるなんて”」

『ええ。それでも私の気持ちは治まりません。”なんで私が怒られるの”と』

「繰り返すが。あなた聖心は悪くない。せかいは悪くない。そして溢れる感情のそれはあなたにもどうにもできないからね。そうして納得しないまま。トキは経ち。あなたはあなたの正しさで見続けるだろう。しかしながら観念は観念であり事実そのものではない。あなたがどのように意味づけしても。その現象に対して”分別・価値判断・決めつけ”をしたならそれは事実ではなく。あなたの見たいように見ただけである、ということを知らねばならない」

『私は一体どうすればよいのですか!?』

「この幻想世界には。あらゆる観念という幻想がある。”私たちは独立した別々の存在である”という観念。”努力しスキルを向上しなければならない”という観念。”こうでなければ意味がない”という観念。不足、善悪の観念。ほぼすべての人がこのせかいでは観念を持って生きており、観念に影響され、観念で生きてきた。それが悪い、というわけでもなく善悪の問題でもない。ただ。それが事実だと知りなされ。そしてその観念たちは、あなたを解放してくれただろうか。その観念はあなたに本当の至福をもたらしてくれたのだろうか」

『・・・。いえ。思い煩うことのほうが多かったように思います』

「在るとはなにか。観照とはなにか」

『え?』

「いかなる現象であれ。分別・価値判断・決めつけをすることは在るではなく、観るでもない。善悪の観点から価値判断することはイエスのいう”赦し”ではなく、”束縛”となり、”私”という幻想にエネルギーを注ぎ続けることとなる。それではせかいは闇に包まれたままだろう。観念は強化され続け、それはまさに、あなたの苦しみが続くことを意味している」

『そんな・・』

「鏡のわたしに嘘はつけない。あなたの人生に意味を与えることができるのも、まったく意味を与えないとするのもあなたにしかできない。せかいには本来意味がない。その純粋さゆえに存在という喜びしかない。つまり。観念という自我フィルターを通して意味づけ、解釈をするということの意味は、あなたはあなた自身により、観念にエネルギーを注ぎ、あなたがあなたを束縛していることにほかならない」

『思考さんや観念との同一化が原因?思考や観念という悪者を消滅させればよいのですか?』

「またそれも勘違いだね。たしかにわたしはそれら自我と同一化していることが原因だといった。だが。それが悪いとはいっていない。あなたが自我とは悪者でありそれは真理ではない。だから消すべきものだと解釈したにすぎない」

『・・・!』

「そのように古い観念から新たな観念に塗り替えても観念の解放にはならない。観念の解放が人生の重要課題である。それではあなたはいつまでもほんとうの自由を手に入れることができない。つまり真理は見えない」

『束縛されている・・?』

「真の自由とは何だろうか。何かから逃げようとしているのはあなたではなく、あなたの思考と観念ではないだろうか。あなたを束縛しているのはあなた自身の価値観や観念、思考ではないだろうか?」

『あ・・あぁ・・思考を観る!?』


まったく
ジョークにも程がある

すでにあなたはせかいを手に入れている
ダンスを楽しむだけでいい

すべてよし
すべてよし


「本当に幼い子供たちにはまだ観念がない。ワンネスを生きている。純粋な存在という喜びを、だ。だが大人たちが”これは正しい、これは悪い”などといった観念を与え、徐々にその子の観念が形成される。それが自我の芽生えだ。子供たちはいつからか至福の空を忘れ、を生きる。”私が、私は、私のもの、私ではないもの・・”。冒頭の親御さんのように、個に自立を教え、立派な私になれ!と教えるからである」

『そこに善悪はなく。大切なのはただそれが起きていると知ること。私にはまだ善悪の観念があるからそれを解放なさいと世界が教えてくれている?』

「そうだね。一気に成長した。在るは。ワンネスは。ひとつは消えたわけではない。ただあなたが忘れているだけなのだよ。そしてほんとうの自由とは何ら観念の存在しないことを意味する。それはあなたの思考や観念のないときも。いつも在る。天国や真我や聖心や至福と呼ばれるそれが決して消えないように。あなたが消えることはあり得ない」




ほぼすべての霊止が思考し続けている
”自分が考えた”と同一化し、
どこかにあると思い込んだまま、
幸せを探し求めている
それは終わりなき旅だ

だが

もうあいである
あいはいまここにある

わざわざあいさずとも
あなたはあいしている

至福もいまここにある

誤った”私”に意識が向いているがゆえに
感じていないだけである


静かな部屋で
リラックスし
くつろぎ
やすらぎ
沈黙し

意識を胸の中心に向け
声を聴いてごらん

とても繊細な声が
そこから聴こえる

これはスピリチュアルでも
神秘でも
現実逃避でも
トレーニングでもない

これが事実だから

だからただ在ってみなされ

感じるだろう

感じなければ
すべて手放して
ただ在るを続けてみるといい

その至福は
喩えようがない

繊細であり
力強くあり
やわらかくもあり

胸の内側からも
外からも
やってくるかのように

その至福は
はじめからいまここに在ったもの
それは失われることがない

得るものでなく
去るものでなく

すなわち
幻想ではないものである

それを知るといい
それを認識するといい

あなたは満たされる
完全に

聖心ハート

それが
真のあなただ


在る


観念は
束縛は

在ることにより
解かれる



色は写り変わりゆく
空は美しさ笑み充足

色即是空
空即是色



在るも消え
その無
その空に
何がある?

思考も
想念も
感情も
精神も
人格も
身体も
世界も

存在しないトキ

そこには
いかなる
苦しみも
悲しみも
不安も
恐れも
喜びも

存在できない

あなたが
そのトキ

何も考えなければ
何があるだろう?

そこに何がある?

それだけが
不変の
無限の
真実である

あなた自身でしか
確かめることは
できない

なぜなら
せかいにはあなたしか
存在していないから

あなたが主役であり
救世主なのだから

そして
すべてのものが
あなたなのだから

認識するといい



聖心



それが愛だ
そしてそれはあなた自身なのである






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