みえてみちて
「それは頭で考えているか、ハートでみているか」
『!・・ハートが輝いているかいないか?』
「どちらでもよいがね💚いかなるトキも。あなたは本当のあなたに救われているのだから」
『・・在る、ことで観念を超える』
「超えるといってもあなたが努力するのではないよ。ただ在ることで自然(自動)に不要な観念は落ちゆく。本質(霊)のあなたによって」
『瞑想・・ヴィパッサナー・・ラベリング?』
「なんであれやってみるといい。熟した実は。落ちるトキに落ちるものであり、対象がなんであれ、分別・価値判断・決めつけをするなら、あなたは真理(あなた)を見逃しているだけにすぎない」
『世界と向き合い私にどんな観念があるか、どんな観方をしているか、決めつけしていたのは他のだれでもない私であること。またこの世界において、顔もしらないだれかのおかげで。あらゆる経験が成り立っていること・・』
「分離も境界もないぞよ。せかいのどこにもね」
『✨✨✨』
「対象がなんであれ。なにかのせい、だれかのせい、にしたこと(過去)を恥じてもよいし、恥じなくともよい。ほんとうのあなたを傷つけることのできる存在はせかいのどこにもいないのだから」
『精神も、感情も。思考も、身体も、〇念も。時間も。空間も。そのすべてが私でなく、同時に私の内側にある。穢れ(観念)などなかった。それは単に私の観方の問題だった。存在は常に。ピュアな聖心に在る・・』
「そうだね。言葉や知識、文字や教えを超えたところであなたは輝く。自分とはなにか。聖心から声なき声がきこえる。空のこころ、空のせかいにもどったあなたはこの変化の幻想せかいをあいしてやまない。そのほほえみで。すべてを光にかえるだろう」
『自我のない者。それは世界のどこにも存在しない』
「そうだ。彼彼女らはせかいのどこにでも存在し、また同時にどこにも存在しない。個の意識でないその絶対意識(霊)こそ在るであり、あい。ほんとうのあなた(真理)はすべてのすべてだからね」
『在ることで。もどれました💚』
「瞑想とは日常にある。観念に気づきながら在るだけじゃよ」
『あ。また誰かと誰かがイザコザを・・』
「なんのことはない。花と花が触れ合っただけである」
『なんでもないことでありながら、とてつもない奇跡😆✨✨✨』
「速水もこみちじゃ」

『わたしもとみちでしょ🤣🤣🤣』
「わかれてみえていっぽんみち🤍」
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あなたにいつも拈華微笑💖