無常は常にすくわれて
「知識も教えも手放し、在る。それだけでほんとうのあなたをおもいだす」
『それは特別なこと?』
「なんら特別ではない。ごく自然なことであり、わたしは目覚めた・悟ったなどと喜んでいるあなたがそこにいるなら、自我を喜ばせているだけにすぎない。喜んでもいいがね♡」
『なるほど。まんなかを外しているだけ、ということですね』
「そう。深き眠りの間、誰もがすべてがじぶん。つまり空。つまり在る。誰もがその状態に在るのだが、つい忘れて現象の何かと自分を同一化しているだけ。色のせかいもまた楽しいからね」
『それでも悟りのそのバには個人的な”私”はいない』
「そうだね。だから誰もが悟っており、また誰も悟れないともいわれる。真理においてあらゆる概念は存在しないゆえ、悟りも神も真我もない。だが、それこそがかみの実現であり、全愛そのものである。在るだけがあなたをソレだと気づかせてくれる。ソレは起きている状態でも顕現かのうだ」
『考えてもわからないハズです』
「あなたではない思考では理解できない。思考でこれらの記事を解こうとしても無理だ。それでもすべてあなたであり、ほんとうのあなたとはまったく関係ないこのジョークなせかいをおもいだすなら、思考さんもなくては不可能だろう。自我はあなたでないとはいえ、あなたの内側にてすべては起きているのだから」
『考えても咲かせないハスです』
「蓮も睡蓮もひとくくりに蓮華という。泥に比喩される鏡世にあっても大輪の蓮華を咲かせる蓮とはあなたのことであり、多種多様な色があり、カラフルに見えてそのすべては根源でも表面でもつながっている」
『まるで霊止のようですね。すべては愛』
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」
『完全が変化を内包している?常世と現世。花言葉は清心、純粋、潔白、信頼、神聖、甘美、救済などいろいろ』
「あなたのことだね」
『・・ありがとうございます💗』
「あなたでない」
『え!?』
「まんなかのあなたのことである。すでにソレ。だが、ソレに観念がまだついている。だから、あなたでないとおかしくも表現しよう」
『なるほど。ほんとうのわたしはすでに完全完璧な在るだけど、観念をまだ落とせていないだけ、と』
「人生において重要なのは、その穢れをおとし、人道から天道をおもいだすだけである。が。おもいださなくともあなたがいつも楽しく、いつも心地よい状態にあるのならまったく問題はない。すでに救済されているのだから」
『そうですよね。真理をおもいだせない霊止は救われないなら、神などいません。でも。悟りや真理や真我という言葉を知らずともだれもが救われているのが公平な在るのせかいです』
「行為者はいない。とは、なにもかもあいであり、すべては神の顕れということだ。だれか独りが神、神の子、特別などということはありえない」
『知的理解をありがとうございます』
「さいごにはまた冒頭にもどる。はじめでもありおわり。自我の死。それはほんとうのあなたが実現することを意味する」
『!・・ええ。教えも手放して、ただ在る』
「ソレをしるころに、などとしるした。だが、あなたはいつもいまここにあり、あなたはすでに在るである」
『頭で理解しようとするのを手放します』
「どちらでも。あなたではない思考や観念もまた。楽しむことですばらしい人生となる。それでも”自分とはなにか?”という探求を終えたければ。思考者やなんでもないものでなく、在るを選択するといい」
『在るだけで恩寵が不要な観念を浄化してくれる?』
「そうだね。あなたにはできない。人間のあなたには何かを変えることはできない。やってくる思考のとおり演じることしか。だが!あなたは至福と絶対存在と絶対意識である。空。もう在る。だから。無常にある人間か、常に在るかみかを選択するだけ」
『思考がどう選んでも。あいにしかなりません✨』
「すべての原因と結果はあいだから♡」
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あなたにいつも拈華微笑💖