じぶんとは
「あいのことだね。あなたそのもの」
『わたし!?』
「愛とは。愛がほしい。愛したい。愛されていない。などなど。このせかいはすでにすべてあいであることを忘れた者の観方だといえる。そのような思考者に成っているというあいともいえる。なぜなら。じぶんとは何か?をしればそこにもどるからね」
『・・あいそのものに、ですか?』
「もどる」
『どうやって・・』
「正確には、もどるという表現もおかしい。在ることで目覚める真理とは在るであり、ずっと変わらぬままのあいであるからね。それ以外は実体がないのだから。沈黙に。静寂にみちゆく」
『どういうイミ・・』
「事実では。時間もない。空間もない。人生もない。そのうえ、せかいにはあなたしかいない。どう考えてもそれはもうあいとしか呼べない。それ以外にあなたしかいないせかいをなんと呼ぶのだろう。もちろん、命でもいいだろう。生命そのもの。意識そのもの。存在。実在。至福でもいい」
『わたししか?』
「ここのレビューを見るのもおもしろいかもしれない。悟りの一瞥体験のレビューがあるだろう。真理とは、ある限られた仏教という教えでもなければ、個人的な自我さんや念などではないがね」
『たしか。あらゆる聖典教典はおなじ”ひとつのこと”を記していると』
「呼び方はさまざま。在るでも空でもあいでも一者でも。涅槃でも真我でも梵我一如でも。阿吽でもアーメンでもオンでも。イチなるものでも同じである。そこに個人、つまり想念の私、思考の私、自我はいない」
『・・なんら特別でなく、ごく自然な状態』
「ある探求者は自分という自我を鎮めようと躍起になるかもしれない。思考を消そうなどと。だが鎮めようとするその思考自体が自我であることに気づいていればまだ救いがある。真理は。つまり、何もしない在るはなにもしないのだ。ひとつだけに何もする必要はないから。できない」
『なにも?』
「我がないからね。自我がない。つまり。この教えは違う。この自我はダメだ。この考え方はおかしい。などなど。対象がないゆえに否定や批判をする対象もなく、争いなど起きないせかい。空のせかいとは。在るとは。あいとは。完全にひとりで。せかいそのものという実在に充足して在る」
『それが空??わたし・・もし、わたしがすべてなら。わたしがせかいなら。許そうとする者も許される者もいない世界。ほんとうの赦しですね』
「教えや知識を掴んだままではそこへ入れない。だが、それでもあなたはすでに空である。あいである。この老人は色即全愛、愛即全色といおう」
『な、なんて!!?』
「色欲全裸、裸族全エロ」
『ちょ💦それって変態です!😂』
「そう。ひとつが変態し続けている」
『・・ハッ!絶対無と絶対有』
「観念を手放すということは自分を解体していくことである。人生においてもっとも重要なその学びもたのしく、冗談を交えながら。考えも。心さえも超えていくことで、キラキラと満開の花咲みにあなたはみたされる。存在にみたされる。あなたはすべてを超越して在るものだからね」
『あいは・・ほんとうのわたしはなにもかも超越している!』
「だからこそ安心なされよ。もっと自由を生きなされよ。実在のそれ以外は真理ではなく。いかなる物語も。思考であっても、ほんとうのあなたではないから♡」
『なんだか・・ムロツヨシかエロツヨシかモロ師岡かで悩んでいたわたしが過去のおとぎ話のように✨』
「ちょっとなに言っているかわからない」
『いえ、好きな役者さんのことです😅』
「すきの延長にあいでなく、あいの影にすきがある」
『・・わたしの観念が投影された世界!?』
「ゆえに過去は変えられる。実際、あなたは観念なきいまここにしかいないからね。それは自我なき真我。心も超えた聖心。すべてがあなたである空のせかい。あなたがすべてなら。変えられないものなどないだろう」
『世界のなかにわたしがいるのでなく、わたしのなかに世界はある!』
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あなたにいつも拈華微笑💖