愛へともどるとちゅうに
『思考からはでました。自動でやってくる思考をみることができ、つまり流れる雲のようにそれを流れるままにさせ、まんなかの透明なスペースにも気づきました』
「いいね。実在に近づいてる。では。あなたでないあなたのおはなしをしましょう」
『わくわく』
「そのまえにお伝えしておきますが、あなたにあなたというとき、それはここに存在するすべてのわたしを指します。で。わたしがわたしに成るとき。そこではあなたは消滅します・・それを仏教では空、イエスいわく赦しと現わされております。
で。あなたは思考や身体や想念などではなく、せかいにはあなたしかいません。で。自我の消えたあなたは、じぶんの完全さに満たされ、わたしとはいいません。それでも生活するうえでは、そのようにふるまうでしょう。愛にいき、そのあたたかな慈悲をもってせかいをてらします。
それらもまた最初からあなたの内側にあったものです。思考から完全にはなれたところにいた。ほんとうの聖なるあなたのおはなしです。真理。よろしいでしょうか」
『え。・・・ええ』
目の前のおかたは
さらに
つづけた
「あと・・くれぐれも、つたえておきますが、だれもがほんとうのすがたはソレです。観念のないせかい。それは真のあなたそのものである天国です。ここからは過去をいきつづける自我でなく、実在のあなたのおはなしです」
『・・ええ(ゴクッ)』
わたしは
覚悟をきめ
わたしである
目の前のおかたの
瞳をみつめつづけた
目の前の
そのひとは
だまりこみ
しばらくして
くちをひらいた
「わたしはどこまでもはてなく。まっさら。現象は。わたしの表面に描かれている。描かれているそれもまたはてなく。しかし。その描写は変化する。変化しかない。それでも。わたしは変化せず。ただただ観照している。かんぜんに。わたしはわたしにみたされたまま。なにひとつ。もんだいなく。描かれた現象と。わたしはまったく関係ない。それでも。観照だけはつづく。すべてのすべてゆえに。なにかを変えようとおもえば。変えることもできるだろう。しかし。なにも変える必要はなく。わたしの本質をもつほかのものに。描写はまかせている。ほかのものとは。いわゆる人間であり。霊とも精霊とも呼ばれるものたち。いついつも。みな。たのしく描きつづけている」
『在るおかた・・ですね』
「じっさいには在るはわたしとはいわない。かみとは何かを説くため、たとえとしてはなした一例と捉えて。あなたがすべて描いている。写し出している。と捉えても問題ありません✨」
『そうか!在るがかみさまなのか!!すべてはかみの顕れであり、いのちであり、愛そのものであり、至福そのものなのか!それはほんとうのわたしのことなんだ!!』
「すぐにそう気づいたものがいるなら、真の天才ですよ」
『スビバセン。いってみたかっただけです😆』
「🤣」
『在る。言葉にすぎない言葉ですが、いただきました😍』
「はい。真理の表現はふかのう。それでも。あなたの居場所にもどるなら。言葉や教えも手放して、”在る”・・くれぐれも、いつまでも考え続けることなく。静寂にある実在のソレを感じたままに💗」
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あなたにいつも拈華微笑💖