You are living the dream of the ego and at the same time living the truth.
あたたかなこのせかいに
うまれた
すべてのわたしたちへ
『何に気づくかですよ。個人的な我を生き続けるか。それとも”私”はいないことに気づいて、無限なる至福の”全”にもどるか。道はいくつもあるようにみえて、実はひとつのあいという道、ひとつの真理しかないのですから』
「”私”物語は決まっている。映画のように。”私”という思考でも人生でもある自我さんはそれを生きる。ところがその”私”でもありながら、真実では”わたし”とは絶対いわない”在るもの”である”空のあなた”はただただ観照する」
『私といっているのは思考です。人生という物語もまた思考です。でも。思考なくとも、ありのままのわたしは全として存在しているのです』
「自分が何者か。を解いたね。者でもないすべてにみたされたものだが」
『アハ💚』
「で?人間とはいったい?」
『おなじ霊止でありながら、おなじ一人の人間でありながら、個を生きるか全を生きるか。前者は死が存在すると思い、後者は生死という観念すら超越し、至福と安らぎ、あたたかな慈悲に在り続ける。そこに個人はいない』
「どちらも。まったく問題ない。ほんとうのあなたは自我ではないからね。たとえ今。色ばかりで空をまったくしらずとも。自分が何者かをまったくしらなくとも、という意味だが。あなたは人間か神の子かを選べる存在であることは間違いない。束縛された人生を生きるか、完全に自由な空のせかいに在るか。あなたがどう在りたいかだけ」
『それでも自我は粗雑で、真我は精妙であり純粋そのものです✨』
「ところで。後者は、自我の死体をどうするかわかるかね?己の自我だけでなく、他者のまだ生きている自我もふくめて」
『自我を?実在しないものをどうする必要もないのでは?変化ばかりで実体がないのですからそのままでよいのでは?』
「思考者にある者も観念や心を超え、まんなかの聖心にもどる。ということは自我すらも自然と”すべてはあいである”と認識する」
『・・!そうか、すべてがじぶんだという在るに在るから!』
「変化する自我さんがみているせかいとは、まったく関係ないところから微笑み照らし続ける。生きている自我はそのままにしてみまもる。真実では、なにも起きていない、すべてあいであることを認識しているから」
『変化しないもの。まさに完全・・すべてであり、せかいはひとつの空』
「完全という観念すら放棄して。完全でありなされ、というわけだ」
『自分なんていないんだよ。すべてである空が実在だから、と』
「それを思考でなく、聖心で。つまり、思考のあなたが気づくのではなく。そのように観念を変えるだけでなく。観照が観照に気づきなさい」
『もし。幻想せかいから解放されたければ、いえ、真実のあなたを生きるなら、となりますか。黄金のくに・・とはよくもまぁ。日のもと。それは地球中の霊止のふるさと』
「国境もない。この世もあの世にも境界はない。あなたの内側と外側にも。在るはどこにでも在る。すべてはひとつでありつながっているのだから」
『ただみたされて。ただせかいを照らすだけ✨』
「そのひかりで照らし続けるといい。あなたは魂や御霊というものを思考でとらえなくてよかった。分離は真実をみせてはくれないからね」
『そう思います。命が命に気づかねばわからないこと。でも。そのように分かれていると考える自我さんもまた愛しきもの』
「なんであれ。価値判断するならそれは幻想である。個人的な自我がそこにいるということだからね」
『わすれません。聖心に在るなら。分別・価値判断・決めつけをした瞬間に実在しない自我を強化することになりますから』
「己を知るという”在る”は難解だろう。それでもすべてはジョークだともいおう。真実では何も起きていないからね。すべてはあいゆえに」
『わたしを理解するはじめのうちは、つい。考えてしまいますね💦考えることもしない在るなのに😆』
「やってくる思考をただそのままに。思考でなく。聖心で行為するだけ」
『観念が消えていくにつれ。恐れや不安をまったく感じなくなりました。病院に通うこともないのです。これが全体とつながったまま在るもの。空のこころ、空のせかい。ソレでもないソレ』
「ソレ以外はすべて幻想じゃよ。だからあなたはあいなのだ💖」
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あなたにいつも拈華微笑💖