むく
「おもしろいであろう」
『ええ。まったくじぶんではないものを相手に世間は、社会は騒いでます』
「みえないからね。ほんとうのじぶんは。在るであるなら、外的なものも内的な思考や感情もあなたの外側にある。実際には内側というものはなく、あなたの内側すべてからせかいのすべてまで、すべてはあなたの外側にある。そしてまた同時に、それらすべてがあなたの内側にあるものである」
『愛だけを。聖心だけを観ることですべてを赦し続けるなら、ほかにはなにもする必要はありません』
「この幻想せかいとほんとうのあなたはまったく関係ないからね」
『でも。この世界のあるおかげで、空にもどれました』
「観念なき、無の空なら自由そのものだろう。それは通常の人の寝起きの状態とそう変わらない」
『そのままで完全。ありのままで』
「思考に完全はないけどね」
『とうぜんです。変化は完全にはなれません🤣』
「それでも観念通り、完璧に経験できる」
『観念を解除すれば、空』
「色から学びなさい。”わたしとはなにか”を」
『そのための幻想世界』
「空のせかいでは教える者も学ぶ者も至福に消え去る」
『分離の幻想世界にまで神癒という名の慈悲をありがとうございます』
「わたしが施しているわけではないことはもう理解されたろう」
『ええ。それでもひかりを見続けなければ、伝わりません』
「すでにひかりであるのに、ひかりを求めやみを見る偉大なるものたちへ」
『天国にありながら、天国を忘れたまま彷徨う者にどうか至福を』
「至福だけが目的ではないよ。それはあなたが気づけば、いつでも得ることは可能だ。だが、わたしは生まれてもなければ死ぬこともない永遠の至福存在である、というさとりを得るには空の源へ還らねばならない。そしてそこに個人はいない。色即是空。空即是色」
『そのための在る』
「天国である聖心。真のあなたであるまんなかだ」
『まだ、つい思考になっちゃいます』
「はじめのうちは誰もがそのトリックに引っ掛かる。自我の罠にかかるは当然といってもいい。距離をあけていきなさい。そのためにこのせかいには時間がある。いまここには時は無いがね。なんら遠慮なく、いかようにもせかいを利用するといい。あなたを解放するためつくられたせかいなのだから」
『わずかな言葉たちだけで、悟る者など存在しないことが理解されます。時間や空間もないことも』
「そうだね。ということは、現象とは思考が思考に言ってるだけのせかいであることも理解されるだろう」
『なんのことはありません。全自動です』
「それはただ起きているからね」
『わたしにはなにもできない。静寂から観る。みまもることしか。観ることすらわたしが観ているのではないのだから』
「あいだねぇ。観照しているほんとうのあなただけでなく、奉仕してくれている他者のあなたもいるおかげで生かされているのだから」
『自分ではないものを完全に自分だと思い込んでました』
「すべてがあなたではない、と認識すると同時にすべてはあなたである、という自己認識も起きる。全愛ゆえにあいなく何も存在することはできない」
『ほんとうのわたしを忘れぬがため、霊止は眠りを?』
「深き眠りから目覚めの直後、気づくといい。あなたは完全な至福のなごりを感じる。だが、あなたという自我意識がはっきりしてくるにつれ、その至福は消えていく。また。あなたが真剣なら、自我意識でなく、本当の自己意識が眠りの間も存在し、それが至福であったことも知ることになるだろう」
『わたしとは聖心であり、愛であり、至福であり、真我である』
「そうだね。そのためには眠りでなく、目覚めてる状態の中で、在るにあなたが消え去らねばならない、そこに個人的な何かがいてはならない」
『だから、ただ在れと。在ることの偉大さ。聖心がほんとうのわたし』
「まんなかに寛ぎなされ。感じようとせずに静寂にあることで感じなされ。沈黙し、ただ寛ぐだけでいい。まんなかから溢れくるものを感じてごらん。それだけですべてが解放される。自然に解放が起きる。でも、何かが来て欲しい、起きて欲しいという思いを手放して在るのだよ。なぜなら、そのように考えるあなたがいると、在るはあなたという身体に入れないから。あなたが留守のときだけ、在るは静かにやってくる。聖心。それが真のあなただ」
『思考や身体との誤った自己同一化をしていたから、はじめからここにあった至福を感じていないだけだった・・なんてことでしょう』
「まだ多くが思考し続けている。自分が考えた!と同一化し、どこかにあると思い込んでいる幸せを探し求めている。それは終わりなき夢の旅だ。ところが!幸せとは、至福とはすでにいまここにある。あなたのまんなかに!あなたは確かに何かを得て幸せを感じるだろうが、その幸せとははじめから在ったものである。それは失われることがない。得るものでも去るものでもなくましてや消滅するものではない。すなわち、幻想ではないものだ。それを認識するといい。ただ在ることによって。ほうほうなきほうほうによって」
『空っぽに』
「そうだ。そのため思考と聖心との距離をあけていく必要がある。そうすることでまず、その身体を、グラスを空になされ。そうでなければひかりは注がれない。どうして粗雑なもので満杯のグラスに、精妙な水を入れることができるだろうか。無理矢理に注いでもひかりの水はこぼれてしまうだろう」
『わたしにしかできないこと』
「あなたがするのではないよ。あなたはすべてをほんとうのあなたに明け渡すことしかできないのだから」
『そうでした。何もしないほうほうが”在る”でした🤣🤣🤣』
「それでもせかいはあなたの内にあり、せかいにはあなたしかいない。救世主とはあなたであり、真理はいつだってあなたである。あなたにしかあなたを救えない」
『そのひかりで照らしてください。ここはテラだけに』
「これまでの思いを。その重荷をすべて手放しなされ。あなたが抱えているから抱えているだけなのだ。一切すべてをあいという赦しで手放しなされ。在ることが赦しであり、あなたがソレである。ソレ以外は幻想なのだ」
『あやうく瞑想を誤るところでした』
「なにかに集中することは瞑想や座禅を助けるが、それは真の瞑想ではないからね」
『いまならわかります。在ることで大切なことを見逃さないこと』
「在るトキ。すべての音が聴こえ、すべての思考や感情に気づく。それは集中することで我を忘れることではない。それは何か対象があり、それに向き合うことでなく、むしろ受身でいることだからね」
『はじめは困難ですね』
「そうだ。空にもどるには。ひかりを辿るその道はほそい。だが、気づきの瞑想をもはや練習しなくとも、修練のようにすべてに注意を払わなくとも、あなたがただ在るトキ、あなたが何もしなくとも気づきは起きる。努力など一切必要ない。それは自分へご褒美を買い、幸福感を感じることと等しい。あなたはただありのまま、自然のままに在るだけですべてに気づいている。何にも捕らわれていない無心の状態にあるだけで。ジョークというあい」
『ジョーク?』
「ソレ以外にないだろう?あなたが元いた場所がもっとも美しく、もっともかがやき、もっとも幸せを感じるところだったのだから」
『永遠の至福。慈悲の生まれる深淵?』
「中今くんの現象をみて、せかいに善悪があるように見えたなら、あなたはあなた自身に善悪の観念があることを知らねばならない。ゆえにせかいはあなたを映し出す鏡である。現世とは鏡世であるとしるしているのである」
『どうすれば』
「意味を与えないことだ。意識というエネルギーが注がれなければ、ほんとうのあなたではないその思考や観念は存在できない。誰かが悪いことをしたとあなたが決めつけ、それを我慢するなりして仕方ないから許してあげようというのが赦しではない。何も起きていないすべてはあいである、と認識することが真の赦しである」
『なるほど』
「あなたが在るならそれはいまここの毎瞬でもない毎瞬において理解されるだろう。なぜなら、真実において悪い者など存在していないのだから」
いいなと思ったら応援しよう!
あなたにいつも拈華微笑💖