ごくらくじょうど
『わたしは過去を生きていた!?😰』
「無理もない。あなたはながらく。個人的欲求を満たすことが成長だと思い込んで生きてきた。観念でできあがった自我さんフィルターのみせる自己満足に浸りながら」
『それでも・・努力をしてきたのです。それを誇ってはいけませんか💧』
「何が良くて何が悪いという、そのような段階のおはなしではないよ。なぜなら。あなたとはなにか?のおはなしをしているのだから」
『わたしとはなにか・・』
「あなたの自我は理が非でも存在していたいだろう。それはよくわかる。あなたとはなにかを理解するまでのわたしもそうだったからね」
『自我とはなんなのです?』
「心と捉えてもいい。思考や感情や思想や想念、精神などは心。身体も心としていい。心の変化が身体に現れるからね」
『なるほど。では本当のわたしとは一体?』
「心や身体とは違い、現れたり消えたりしないもの。意識としていい。生命ともあいとも至福とも呼ぶだろう。もちろん。ここでいう意識とは個の意識でなく、絶対意識のことだが」
『ということは、生命が主で心が従・・ですか』
「そうだね。心もまた結果だ。生命なく心は存在できない。心なくとも生命はいつも存在している。全体、無為自然、いちなるもの。すべてはひとつ」
『なるほど。心が無。つまり無心でも意識はある状態・・』
「瞑想や熟睡のトキだね。ほんとうのあなたに在る」
『禅や哲学っぽいですね。汝、自身を知れ』
「ほんとうのあなたは教えや知識や考え方でもなければ思想でも概念でもないよ。超越した真理に教える者も学ぶ者もいないのだから」
『・・?』
「まだまだ考えているね。長い間、”~べき”や”~でなければ”という世界にいたのだから当然だ。在りはじめの頃は自我は強まり、試されることも増えるだろうが、好転反応だ!とでもおもって何ら気にせず。ゆっくりと。あなたのペースで。心の奥にある聖心に還るといい」
『どうなりますか?自分を知っていくと』
「瞑想が深まると自我は静まる。自我に括られるそれら思考や身体はやすらぎ、本質の意識だけが残る。そこでは心を超えている」
『なるほど』
「しかしながら。勘違いしてはいけない。誰もがその状態をしっているからね。自我を観照し、本質に気づいているかどうかだけの違いである」
『悟りは存在せず、また誰もが悟っているということですか』
「すでに在る。すなわち。すでにあなたはあい」
『・・ありのまま。実在の。神の実現』
「全あいだよ。あなたが聖心に還れば。あなただけでなく。誰もが極楽浄土にいたとしるだろう。飢えも舌もなかったと。上も下もないのだから✨」
『存在・意識・至福?』
「どんまい、キスシーン、省略💔」
『キスはやりましょうよ💦台本になくとも私の物語に入れます!!💗』
「あなたはキスの後にあいがあると思っているのかもしれないが、真実ではまったく逆である。あいの後にキスがある」
何もしていないことに 気づいていない
個人的な誰か が
そこにいるなら
それは夢
だが
あなたは
個人的な誰か
だろうか
ワクワクしながら
枠をぜんぶ
放すといい
痛みも
傷みも
癒える
あなたへ
気づきを
なにものかを
しるために
あなたの人生はある
『在ることで、苦はなくなるのですか?』
「自我との一体化が苦しみの根本原因である。一体化が悪いわけでは決してないが。あなたが真実を観る段階に入ったなら。距離をつくりだすといい。苦と空のあいだに」
『苦と空のあいだに❗❓』
「いつもやってることさ。誰であれ熟睡する時間はある。まんなかで癒されているのではないかね。事実。ほんとうのあなたはそこから一歩も出ていないのだから🔮✨」
『・・しんじられない』
「自分はバカではない、と思っている通常のひとはこれらを理解しようとはしないからね。観念を持つ自我さんは自分が考え、行動していると思っていたい。だが。それもまた完璧に起きている。ゆえに押し付ける必要もない。何もしなくとも、真実ではみな至福にある🌞」
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あなたにいつも拈華微笑💖