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変わらない八丈島で、変わっていく私

2019年の夏、私は人生で初めて八丈島に降り立ちました。

その理由は、かつての世界一周旅行中、インドで出会った友人が八丈島に移住したと聞き、彼に再会するためでした。

羽田空港からわずか50分。
飛行機を降りた瞬間、目の前に広がるのは都会の喧騒とはまるで別世界の風景。

山も、海も、滝も、全ての自然が揃った小さな島。温泉もあれば島料理もある。真夏だというのに、風は涼しく、ただ立っているだけで体も心もほぐれていく。

それ以来、気がつけば毎年のように八丈島を訪れ、今年で5回目になりました。


独身時代の自由と気ままさ


独身の頃は、島をとことん遊び尽くすのが何よりの楽しみでした。

いくつもある温泉をめぐり、気になるオシャレなカフェにふらりと立ち寄り、ジャングルのような森を探索し、時には釣り竿を片手に港へ。船を出さなくても大物が釣れてしまうのが、この島の魅力でもあります。

夜になれば、地元の居酒屋で友達と一緒に島料理とお酒に酔いしれる。

予定もなく、その場その場で決める行き当たりばったりの旅。
自由そのものの時間が、ここにはありました。


家族と過ごす八丈島


子どもが生まれてから、旅のスタイルはがらりと変わりました。

以前は友人の家や安宿に泊まっていましたが、今は朝食とプール付きのホテルを選ぶようになりました。理由は、子どものためです。

もちろん、独身時代のように夜更けまで飲みに出かけることはできません。寝かしつけをする必要があるため、以前のような“夜遊び”はもうできないのです。正直、最初はその窮屈さに戸惑いました。

正直、私はもともと子どもが苦手でした。
「家族旅行」という言葉の響きにさえ、どこか息苦しさを覚えていました。

せっかく八丈島に来たのだから、独身時代のように妻と二人で気楽に楽しみたい…
そんな思いを、心の奥に抱えていたのです。


八丈島で気づいた心の変化


けれど、今年の八丈島で、不意に心の変化に気づきました。

同じ場所を毎年訪れるからこそ、「子どもの成長」がくっきりと浮かび上がるのです。

去年はまったく泳げなかったのに、今年は海に入って潜ろうとしていたり、
ウミガメが泳ぐ姿を見て「一緒に泳ぎたい」と目を輝かせていたり、今まで触れなかったカニや虫を、触れるようになっていたり。

去年はできなかったことが、今年はできるようになっている。

そんな姿を見たとき、胸の奥からあふれてきたのは「嬉しい」「愛おしい」という感情でした。それも驚くほど自然に。

子どもが苦手で仕方なかったはずの私が、いつの間にか子どもの成長を心から喜んでいる。そんな自分がいるなんて、想像すらしていませんでした。

気づけば八丈島は、ただの旅行先ではなく、私と家族の“成長のアルバム”を刻む舞台になっていたのです。


日常を見直すための“背景の交換”


八丈島で過ごす時間は、私にとって“人生の避暑地”となりました。

都会の忙しさから切り離され、解放されていく。

何かをしなければと焦る気持ちが消えていき、心に余白が生まれる。
まるで都会の私とは別の、“もうひとりの私”が現れるような感覚です。

だからこそ、この島には“このまま”であってほしいと願わずにはいられません。海の青さも、山の緑も、風の匂いも、ずっと変わらずにいて欲しいです。

八丈島で過ごす時間は、日常を見直すための“背景の交換”のようなもの。
普段の景色なら、繰り返す日常の中の子育てにしかすぎない一瞬も、八丈島の景色の下では愛おしい思い出に変わる。

ただ子供が走っていく姿だけでも、自宅近くの街並みが背景と、八丈島の雄大な自然が背景とでは、全然感じ方が違ってくる。

「同じことでも、舞台が違えば、記憶の色は鮮やかに変わる」
八丈島は、私にそう教えてくれました。


八丈島で気づいた“人生の余白”


同じ場所を何度も訪れることは、一見「新鮮味がない」と思われるかもしれません。けれど、同じ場所だからこそ気づける「変化」があることに気がつくことが出来ました。

特に子どもの成長を背景ごと脳内に記録できるというのは、思いがけない贈り物でした。

正直、私はずっと「子どもとの時間=育児」と割り切っていました。

けれど八丈島で子供と過ごすうちに、その時間が愛おしく変わっていきました。子どもの成長を感じられる喜びは、私にとって新しい“幸せ”の定義になりつつあります。

人生を長く豊かにするには、新しい場所に行ったり、したことがない体験をすることももちろん必要です。
でも「同じ体験を、違う背景で重ねること」にも意味がある。

八丈島は、そのことを私に教えてくれました。

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