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【掌編小説】ハエトリソウの花が咲いたよ

 爽やかな風が頬をなで、木々の緑が目に優しいこの季節が、私は大好きだ。駅前の商店街の花屋に並ぶ初夏の花々が、気分を軽くしてくれる。和菓子屋のショーケースに並んでいる、葛まんじゅうと柏餅をおみやげに買って、駅に向かった。

  三日前、友人の早智子から「今度遊びに来て?」と、メッセージがきた。私は敦子。お互いにさっちゃん、アッコと呼び合う2人は、大学時代からの付き合いである。当時からよく一緒に遊び、時にはお互いの家をたずねたりして、たわいもない話をして過ごすことが多かった。自己主張が強いわけではなく、人付き合いも、どちらかといえば苦手な彼女が、私のことは気に入ってくれていて、私も、彼女のおっとりとしたところが好きで、そうして、社会人になった今も友人関係は続いていた。

 電車を降り、住宅街をしばらく歩くとさっちゃんが借りているアパートが見えてくる。築年数が結構経っていそうな、レトロな感じのするアパートである。お世辞にも「オシャレ」とは言えないが、さっちゃんはこういう建物が好きらしい。外壁は白だけど、ところどころ雨染みが浮いていて、でも、そこがいい味が出ていて気に入ってる、と彼女は言っていた。

 カンカンカン、と鉄製の外階段を上がり、さっちゃんの部屋の呼び鈴を押す。
「はーい」という、おっとりとした声が中からして、ガチャッ、とドアが開いた。

「こんにちはー。久しぶりー。」
「わー、よう来てくれたねー。お上がりー」
「うん、お饅頭買うて来たよ。」

 八畳と六畳の和室の、2Kのアパート。卓袱台と小さなテレビ、小さめの本棚の他には余計なものは何も置いていない、ミニマリストと言ってもいいほどの、さっぱりした部屋だ。南向きのベランダの向こうから、柔らかな日の光が差し込んでくる。ベランダには物干しざおと、植木鉢をいくつか並べられるくらいの広さがあり、これもここが気に入った要因だと、さっちゃんは言う。

「お茶、いれるねー。新茶を買うてん。」
 と言ってくれたので、おおきに、と言って、卓袱台につく。急須と湯呑を持って、さっちゃんが来たので、買って来たまんじゅうの箱を開けた。
「駅前の店でね、けっこう評判やねんで。」
「柏餅、おいしそう、葛まんじゅうも。」
 湯呑から湯気がゆらぐ。お茶の香りがほんのりとあたりを包む。私は柏餅を手に取り、さっちゃんは葛まんじゅうに楊枝を刺して口元に運んだ。が、口に入れる直前に楊枝から抜け、葛まんじゅうがポトリ、と床に落ちてしまった。
「あ、ごめん、どんくさ。」
 さっちゃんは少し困った顔で言った。
「ええよええよ、まだあるから。」
 私はまんじゅうの入った箱をさっちゃんのほうへ差し出し、笑った。さっちゃんも困り顔のまま、笑った。
「私、どんくさいからねえ…。この間も、失敗して会社で上司に、えらい怒られた。」
「何があったん?」
「うん、上司のお供で、取引先に行くことになっててん、けどね、」

 その日、あるプロジェクトのために取引先に打ち合わせがあったらしい。だが、上司が同席できなくなったため、話を聞いてきてくれ、そして報告するように、と言われ、不安だったが一人で出向いた。そこで細かい仕様変更の依頼を受けた。
 そこでさっちゃんは話を聞き、「いったん上司に確認してから返事をしよう」と思い、内容をメモに取って、帰社した。しかし、その時の上司は外出中、その後、接待の会食やら何やらで、上司と顔を合わせることができなかった、と、浮かぬ顔で言った。

「メモとかメールで伝えるのは上司に失礼かな、って、思ってしもてん…。」
 言葉で報告しなければ、とさっちゃんは考えたらしいが、結果、返答が遅れたために取引先を怒らせてしまい、上司が詫びに行かなければならない羽目になった。
上司からは「なんですぐに伝えへんねん、メールでも伝言でもなんでもええやないか、要領悪すぎや!」
 と、怒鳴られてしまったらしい。

「私、社会人向いてないかなあ…」
 と、さっちゃんは小さな声で言った。私は、慰めていいのやら、ちょっと迷ってしまった。が、
「なんやねん、その上司。ちょっとはさっちゃんのこと、考えたれや、っちゅう話やんか、なあ?」
 と憤慨して、そして柏餅をさっちゃんに差し出した。
「ほら、甘いもん食べたら、ちょっとはマシになるで、な?」
 柏餅を見ながら、さっちゃんは困り顔のまま、笑った。

 さっちゃんは、ちょっと不器用で、要領の悪いところがある。そして、人に気を使いすぎるねんなあ…。

 そのため、さっちゃんは、よくこういう目に遭う。仕事でも、要領が悪い、どんくさい、と叱られ、いいポジションを与えられない。
 また、恋愛にしても、男に都合いいように扱われ、傷つく。

 社交的ではないため、他に相談できる友達もおらず、だが、私には色々話してくれる。私はそれがうれしかった。

 一息ついた後、さっちゃんは私をベランダに誘った。
「これ見て」
 小さな鉢に、小さく白い花をつけた植物があった。
「かわいいね、なにこれ?」
「ハエジゴク」
 さっちゃんはわざと仰々しく言った。

 北アメリカ産の食虫植物で、ハエトリソウともいう。葉が、罠のトラバサミのような形に変形し、寄って来た昆虫を捕まえて消化する。栄養分の少ない場所に生えるため、そのような形になった、と、さっちゃんは教えてくれた。

「ちょっとこれ見て」
さっちゃんは、楊枝をトラバサミのような歯に近づけ、ちょんちょん、と二回触った。
 すると、葉がすっと閉じた。
「こうやって、虫とか捕まえて、溶かしてしまうねん。」
「えー、すごいな。どういう仕組み?」
「この葉っぱの中に、センサーがあって、そこを何かが二回触ると、こうやって閉じるねん。」

 土の近くで口を開けているいくつかの葉の中央あたりから、上に向かって茎が一本伸びていて、その先に、白く可憐な花がついている。
 だが、この花もずっと咲かしていると、エネルギーをそちらに取られてしまって、だんだんと枯れてしまうので、花をしばらく楽しんだ後は、茎を切ってしまうそうである。なので、花が好きな私に、切る前に見せたかったと、さっちゃんは言ってくれた。
「うれしいなあ、そういうとこ、好きよ。」
「あたしも。どんくさいって言わへんアッコちゃんが、好きやねん。」
「恥ずっ。」と言って、笑いあった。

 さっちゃんは自然科学が好きだ。私も興味が出て、いろいろ聞きたくなった。

「花を切らないと枯れてしまうって、狂暴そうに見えて、けっこう繊細なもんなんやね?」
「そう、それと、さっきみたいに虫も与えんと葉をつついて閉じさせていると、そのうち弱って枯れちゃう。多分、筋肉がないから、葉を閉じるということにすごいエネルギーいるんやろね。
あ、そうそう、さっき、二回触らないと閉じないって言うたやろ?
それもすごくて、一回何かがさわっただけやと、砂とかゴミとかの可能性あるやん?
でも、二回触るってことは生きて動いてるものの可能性高いから、かなりの確率でエサを捕まえることができる、いうことらしいねん。」

 こういう話になると、ちょっと饒舌になる。

「へー、すごいね。確実に虫を捕まえるように、進化したってこと?」
「うーん、そうねー」
 ちょっと考えて、
「最初は、一回で閉じるのが多数派やったんちゃうかな。少数派で二回で閉じるのがいて…」
「ふんふん。」
「…一回派からは、どんくさいやっちゃなあ、とか笑われてたんやろけど、
そのうち、一回派は砂でもなんでも触るものみんなに反応して閉じてて、だんだん疲れて枯れていって、
でも、二回派は効率よく虫を捕まえて生き残って、で、今の主流になった、ゆうことやないかなあ。」
「なるほどねえ。面白いねえ。」

 さっちゃんの部屋の本棚には、進化論関係の本とかが背表紙をそろえている。私には縁遠い世界だ。さっちゃんのこういうところが、私が彼女を尊敬するところだ。

「私も、どんくさいけどねえ。」
 と、彼女は続けて話し出した。

「ハエトリソウについて考えてると、どんくさいことは、悪いことばかりやないなあ、って思うんよ。
それで生き残ったんや、としたらね。
私のも、いつか長所になって、何かの役に立てたらいいのになあ、って思うわ。
ハエトリソウ、すごいもん。こんなにかわいい花、咲かすしね。」

「さっちゃん」
 と、私も言った。
「自分のこと、どんくさいって、言わんほうがいいよ。
さっちゃんは優しいねん。おっとりしてるけど、そこがいいねん。
この間の上司のことかって、きちんと報告して、きちんと先様に伝えなきゃ、と思たんやろ?
それと、前に言うてた、実は奥さんがいたあの男のことも、さっちゃんが相手に悪いと思って、引き下がったやろ?騙してたあの男が圧倒的に悪いのに。
さっちゃんはええ子や。めちゃめちゃ優しい。それがあたしゃ嬉しい。それでええねん。」

 ちょっと泣きそうになってしまったので、残ってるお茶を飲もうと、湯呑に手を伸ばした。

「そうかなぁ…」
「そうや!」
「そっか。ほんならわたしも、ハエトリソウみたく罠仕掛けて、男を捕まえたろうかな。そんで、バクバク食うたろうかな。」

「なんや、急に。えらい強引やなあ。」
 と私は笑った。さっちゃんも愉快そうに「ふふ」と笑った。

 さっちゃんが少し気丈になってくれたみたいで、うれしくなった。ふと、ベランダに目をやると、さわやかなそよ風が、ハエトリソウの花を揺らしていた。なんだか、さっちゃんと重なって見えて、愛おしく思えた。

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