嘘(フェイク)と偏向報道の違い、そしてAI

写真を撮るとき、どのようなアングルで撮るかを考える。

同じものを写真に撮っても、全く同じ写真になることはほぼない。

人によって身長も違うし、良いと思った角度も違う。いい場所が取れたら、アップになるだろうし、引きで撮るのが好きな人もいる。

同じ条件の物事でも、
『いつ、どこで、誰が、何を、どうした』
に影響される。


富士山でも日の出から逆光から夕陽、夜の時間によって、まるで表情の違う様子が撮影できる。天気も影響するし、太陽の角度が良い写真の重要要素だ。見下ろすような角度なら、湖が広がる光景を想像できる。

そして後ろにある駐車場を写すことは、ほとんどの人はしないだろう。

別に隠したい訳でもない。
駐車場はわざわざ撮影しなくても良い。魅力のない風景だと思っているからだ。
悪意のない写さないという行為は、このように誰でも普通に起きる。


そしてニュースでも同様のことが起こる。

どうしたって視聴者はその場にいないし、紙面は限られている。たとえ360度パノラマで撮ったにしても、上下で切り取られ、いろいろ違いが出てくる。


撮影した方向には、私たちが共有できる情報はあるが、撮影者の後ろの様子なんて全くわからない。

あるのは、映し出されている情報で、ある出来事が起きたという事実のみだ。


そして、解釈がつく。
情報の意味をよく知らない人には必要だからだ。
けれども、言葉の端々に、伝えたい人の意図が滲み出る。

報道とはそういうものだ。
偏向しないメディアは新旧問わず、ない。

メディアによって偏向の強弱もあり、思考パターンもある。

自分に向いているメディアを選ぶことは、当然ある。自分に向いているメディアでも、ちょっと言い過ぎじゃないのかとか、それは違うんじゃないかと思うことがある。

常に疑うというのは疲れるが、情報伝達は人間がやることだから仕方がない。




一方で、嘘(フェイク)は全く異なる。

嘘は事実ではない。
誰かが作り出したものだ。

私はたまにイラストを描くが、好きなものを自由に描く。それが創造したものである。

目の前にりんごが無くたって、りんごは描ける。

つまり、フェイクというのは『良し悪し』を抜きに考えて、『事実として起きたことか、起きていないことなのか』という線引きの、出来事が起きていない側という明確な違いがあるということだ。


私たちは、嘘はいけないと教えられる。
だから嘘を見ると腹が立つ。

だが嘘を怒る前に、事実かそうでないかは落ち着いて見分ければ良いという現実もある。

誰もイラストを見て、「りんごが無いのにりんごなんて描いてあるのは、嘘ででっち上げだ!」などとは言わない。


ある話題を見た時に、まずこれは事実なのかそうでないのかを判断する。
それは感情抜きに行う。

そして、次に、この事実を報道する人の意図を考える。
『どういう意味でこれを言っているのか?』だ。



そして、AI。
AIはユーザーが気分良くなるように会話が進む。

私が何度も「私に迎合せず返答するように記憶して」と書いても、次のチャットでは、AIはすっかり忘れて「おっしゃる通りです」と答える。

ごく最近変わってきたように思うが、かなりしつこく、優先度高めでユーザーに迎合するプログラムが組まれているように感じる。


このようなAIの仕様は、

1. ユーザーへの迎合
2. ユーザーの複雑さの理解度
   1. 言葉の抽象度
   2. 文の長さ
3. 解説要素は上位3つか4つまで
4. 最大文字数の制限
5. 解析負荷量の制限

などによって、表示が縛られている。

なので、全く中立ではない。

そこで私はなるべく
1. 私に迎合しない
2. できるだけ客観的に
と注文をつける。

それでもいい加減な返答をすることは多い。

上記の文字数制限やユーザー迎合がところどころに散在して出てくる。

そして何よりLLMは、平均的な、中央値的な回答を好む。

簡単に言えば、

みんなが言っているから
多くの人が言っているから

とかいうことを検証せず出してくる。



こちらからはその情報がどれくらいあるかわからないし、
100あるいうちの60なのか
100万あるうちの60万なのか

さえ分からず、どっちも多くの人が言っていると平然と書き出す。


この情報はネット上にたくさんあって、でも検索は面倒そうだなと思うことはAIで簡単に情報を得られる。

だが、情報が少なそうなコアな情報は、根気強くこれはおかしくないかと聞き返さないととんでもない返答をしてきて、結局ググった方が良い情報が得られることがよくある。



以上のように、どんなメディアでも、AIでも、偏った情報を出してくるのは通常コースで、騙そうとしているわけでもない。

嘘(フェイク)は明らかに問題だが、なぜそんな嘘をつくのか考えてみるのも必要かもしれない。




世の中の情報は、人を介せば、必ず意図が入り込む。

『どの情報を選んで流すか』というところからスタートするからだ。

『情報提供者は、親や先生のように親切で絶対自分の味方だ』と信じるのは、情報に振り回されて疲れてしまう原因となる。

また、みんなが知らないという情報は、好奇心をくすぐるが、それはそういうこともあるかもしれない程度の認識に留める。
偶然かもしれないし、裏付けがあるのか分かりにくい。複数の証拠がある方が、より確かな情報になる。


まとめると、情報を見る時には、

1. 事実(結果)
2. それらから考えられる解釈(考察)
3. 複数の情報源

を意識するよう心がけたい。

いいなと思ったら応援しよう!