曲は思い出すもの
今朝読んだ新聞に、作曲家の宮川彬良さんの記事が載っていた。
宮川さんといえば「マツケンサンバⅡ」の作曲者だ。
宮川さんは、「作曲するってどんな感じ?」と尋ねられると、「曲はね、作るものじゃないんだ、思い出すものなんだよ」と答えるそうだ。
私はその記事を読んで、それって箱庭と似ているなあ、思った。
思考して出てくるものでもなく、何らかの外からの刺激を解釈して表現するものでもなく、自分の中にあるものを「思い出し」表現するという感覚。
確かに箱庭制作をしている時にはそういう感覚がある。
それに、思い「出す」というのも面白い表現だ。
思いが勝手に湧き出すように出てくるわけではないのだ。
思い「出す」というからには、幾分か意識の力がそこにかかわっているということだ。それも箱庭と同じだ。
これは私の想像に過ぎないが、曲を「思い出す」ときには「思い出し」ながら口ずさんでいるうちにその続きが出てくる、という感じなのではないだろうか。最初から形があるのではなく、表現する(形にする)ことによって、またその続きを「思い出す」といったかんじ。ある程度形として表現することによって、その次が出てくる、といったような。
箱庭の表現も、何かをそこに置いたことによって、その次に置きたいものがでてきて、それを棚に探しに行く、ということがある。
新聞を読みながら、「ああ、宮川さん、私もその感覚少しわかる気がします」と言いたくなった。
宮川さんによれば、曲を「書く」作業をしている時、そのうちに大切なメロディーが消えてしまうという恐怖があるのだそうだ。
「そうなんです。私も今朝ね、夢の記憶が消えていきそうになるところを、何とか頑張って、夢を書いたんですよ。」と心の中で話しかけていた。
なんとなく、仲間を得たような気持ちになった朝だった。
