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息子と行った、山の中の秘密の神社

ゴールデンウィークは、長野県長野市……と言っても、数十年前くらいに長野市に吸収された……場所へ行ってきました。その集落は標高の高い場所にあり、典型的な過疎地域で、普段は人を見かけることもほとんどありません。

なぜそこへ行くかと言えば、親戚の義叔父叔母の空き家があるからです。年に数回、その義叔父叔母といっしょに、家族でお邪魔していて、今回のGWには4泊してきました。空気が澄んでいる冬は、北アルプスがきれいに望める良い場所です。春にはあちこちに野の花が咲いていて、人が住んでいる家の庭にも、空き家になっている家の庭にも、花々が咲き乱れています。

その集落には、昔、武田氏が上杉謙信との戦いに挑む際に通ったと伝わる道沿いにあります……わざわざ、こんな山奥をなんで通ったんだろう? とは思うんですけどね。そのため、かつて武田方の砦や、のろし台だったと言われる場所が点々としています。

義叔父の家の菩提寺も、戦国時代には城だったと言われていて、周囲には土塁跡が残っていますし、武田菱のような寺紋です。また空き家のある集落には、のろし台だった場所があります。

そんな集落から少し外れた、山の中に入っていくと、古い神社が残っているんです。今では、その山の中へ行ってお参りする住民もいないため、名前も分からないような寂れ方をしています。

その名前も分からない神社へ、10年前くらいに1人で行ったことがありました。今回、前述ののろし台付近から、集落を見下ろした時に、その神社のある小高い丘を見て、思い立ったんです。息子と一緒に行ってみようかなと。

10年前は、息子はまだ生まれていません。これまでも何度か誘いましたが、息子も嫌がるし、義叔母や妻が反対していたため、実現しませんでした。でも息子ももう小学3年生。それほど距離があるわけでもなく、大人であれば20-30分の道のりです。スマホの電波が届かないわけでもなく(届きにくいですけどね)、いちおうトレッキングコースのような道もある……残っているはずなので、大丈夫だろうと。

丘の上から息子に「あの小さな山の上に昔の神社があるんだけど、行ってみない?」と誘ってみました。都会っ子の息子は、山の中が苦手ですが、「うぅん……いいよぉ……」と、行きたくないけど行きたい気持ちもある……といった様子でした。じゃあ行くかと、2人で集落へ下っていき、昔、小学校があったという場所を通って、山の中へ入っていきました。

道は、しっかりと分かるくらいに残っていたのですが、もう何年も人が入っていないんだろうなという様子です。その道の上には、枯れ葉が堆積していて、ふわっふわ。息子は楽しそうに歩いていますが、ところどころで道を塞ぐ蜘蛛の巣を異常に嫌がります。短い棒っ切れをわたして、「この棒を、目の前でくるくると回しながら歩くと、蜘蛛の巣が顔に引っかからないよ」と教えてあげました。

枯れ葉の堆積もすごい量だったのですが、それよりも、何本も道を横断する倒木を跨いでいくのに、息子は難儀していました。時には大きな木も倒れていて、まだ小3の息子は、いちいち倒木の上に這い上がって、それから下りるという感じです。

その神社は、集落から目指すと、小山を巻きながらいったん遠ざかり、ちょうど反対方向へ抜けてから、反転して頂上を目指す……といった道のりになっています。その反転ポイントが、今回は、ものすごく分かりにくくなっていました。そして反転して上り坂に変わると、枯れ葉の堆積もいっそう激しくなります。枯れ葉って、すべりやすいんですよね。時折息子は、その枯れ葉に足を滑らせて、ズルズルズルゥ……と滑り落ちてしまいます。そして……ぼそっと……

「なんか、帰りたくなってきた……」

おいおい……弱すぎだろ、都会っ子……と思いながら、「もうすぐだからさ」なんて言っていたら、息子が「神社の鳥居があるよ!」と、道の先を指差しながら叫びました。僕にはなかなか見えず……「どこどこ?」なんて言っていたのですが、その鳥居は、すぐ目の前にあったんです。でも、もうぼろっぼろに朽ちていて、近くの木々にもたれかかっていました。

ただ、その鳥居を見つけてからは、息子のモチベーションも少しだけアップしたようです。いくぞ! というように、またガシガシと歩を進めていきました。

左右の日月の石燈籠も残っています

鳥居を過ぎて、さらに登っていくと、少し大きな建物がありました。後で義叔父に聞いたところ、歌舞伎舞台だと言います。不安定な斜面に建てられていて、よくこんな辺鄙な集落で、こんなのを建てたものだと感心してしまいます。正面の扉は開け放たれていて、中には杉系の枝葉が重ねてありました。なんか焚き火でもしようとしていたのでしょうか? こんなところで焚き火したら、全山に燃え広がりそうですけどね……。

神楽殿? 歌舞伎舞台?

その歌舞伎舞台を背にして頂上を見上げれば、すぐそこに小さな神社の拝殿と本殿が見えます。さぁ、あそこでお参りして帰ろう! と、息子を励まして登っていき、2人で参拝しました。拝殿の中は、誰も来ている様子はないものの、それほど荒れ果てているという感じもありません。もしかすると周囲の木々が守っているのかもしれませんね。

本殿の中は意外ときれい
きつね様がいるので、お稲荷さんだったのかなと

拝殿の中には、これまでの寄進者の名前が書かれた札がいくつも掛かっていました。14-15年前の、ちょうどGWに亡くなっ

たという義叔父のお父さんの名前もありました。

それから拝殿と本殿をぐるっと一周して、「さぁ帰ろうか!?」と息子を誘い、山を下りました。

かなり消えかかっていますが、義叔父のお父さんの名前も見られます
奥の本殿の後ろから。下に見えるのが先ほど通った歌舞伎舞台
拝殿を出て、ぐるっと一周。写真左側が本殿で右側が拝殿です
早く帰りたいと言う不機嫌面の息子と、神社

家に帰ってから、義叔父などに「山の上の神社に行ってきましたよ」と報告。残念ながらというか、義叔父は、そういった歴史やファミリーヒストリー的なことには、一切の興味を示しませんw ただ「おじちゃんのお父さんの札が掛かっていましたよ」と言うと、少しだけ興味を示した様子。写真に取ってきた札を見せると「ほほぉ……まだ残ってたんだなぁ」と。息子が「鳥居も見つけたよぉ!」と言うと「へぇ、まだあるかぁ。あそこには、鳥居が100個くらいあったんだよ」と言います。ただ、これは信用なりませんw 「ほんとですか?」と疑いつつ聞き返すと「うん、昔はあったんだよ。100個は言い過ぎかもしれないけど」と。それだけあったものが、1つだけになってしまったということか……?

まぁでも、もはや僕が見に行かなければ、誰も見る人はいないような神社です。集落は、60代の義叔父が若手なくらいに高齢化が進んでいますし、定住世帯は3〜4軒しかありません。このまま、ひっそりと自然に返っていくんだろうなぁと。

なんとなく「こんな場所がある」というのを広めない方が良い気がするので、詳細な場所は記しませんが、出身者や近隣集落の方々が万が一にでも見てくれて、懐かしんでもらえればと思い、ここに記録しておきます。

#わたしの旅行記


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