今季は横山大観ざんまいです。@東京国立博物館
横山大観といえば……人によって、挙げる代表作が異なるかもしれませんね。それくらい素晴らしい作品を多数残した画家で、重要文化財に指定された作品も2点あります。
■横山大観の重文指定作品
で、どれが重要文化財に指定されているかといえば、一つが東京近代美術館に所蔵されている《生々流転》で、もう一つが東京国立博物館(トーハク)所蔵の《潇湘八景》です……って言っても「いや、逆にその重文指定の2作品を知りませんよ」という人が大多数のような気がします。
《生々流転》については、先日まで開催されていた東京近代美術館『重要文化財の秘密』に展示されていましたが、撮影禁止に指定されていたので、ここでの掲載は控えます。とはいえ、同館が制作した4Kの高精細動画がYouTubeにアップされているので、興味のある方はそちらをご覧ください。↓
大観重文作品のもう一つ、《潇湘八景》については、同じく『重要文化財の秘密』に展示されていましたので、下に残しておきます(ガラスの筋などを避けつつ撮ったため、写真3つに分割しています。重複している作品があります)……あれ……8点ありますよねw?……まぁ足りていなかったらごめんなさい。



三重県立美術館のWebサイト(毛利伊知郎さん筆)によれば、横山大観は、明治43年(1910)6月7日に、同業の寺崎廣業や山岡米華とともに新橋を出発し、中国へ渡りました。6月11日には日本郵船の加茂丸で神戸港を出港し、上海、蘇州、南京、洞庭湖、北京などを訪問。長江の舟行も体験して、7月25日に帰国(帰京)しました。
その中国旅行の2年後に描いたのが、上の《瀟湘八景》です。三重県立美術館の毛利さんは、「伝統的な瀟湘八景の表現とは一線を画し、各所に大観の創案が盛り込まれている」とし、横山大観が同図で示した3つのアイデアを挙げています。
一つが「水墨が基本であったこの画題に色彩表現を導入したこと」
二つめが「各二幅を対にして春夏秋冬に対応させたこと」
三つめが「いわゆる山水図の範疇にとどまらず、画中人物を多数登場させて近代的な生活感・人間の存在を表現したこと」
ちなみに横山大観は、中国旅行から帰国した年に、水墨画巻「楚水の巻」で長江を下流から遡るように描いています。同年には《燕山の巻》を描いたほか、1914年には《長江の巻》を描くなど、中国旅行からインスピレーションを受けた(画因を得た)様々な作品を残しているんですね。
■中国旅行から画因を得た《長江の巻》
ということで、前置きが長くなりましたが、現在(2023年6月24日)トーハクに展示されているのが1914年に描かれた《長江の巻》です。
前述の《瀟湘八景》とは異なり、紙本墨画……つまりは墨の濃淡だけで描いています。ただ、「いわゆる山水図の範疇にとどまらず、画中人物を多数登場させて近代的な生活感・人間の存在を表現したこと」については、当作も同様です。なんとなくですが、同じく1914年に画家仲間の今村紫紅が描いた《熱国之巻》に、雰囲気が似ているような気がしました←《熱国之巻》はカラー作品ですけど。まぁ同じく旅の情景を画巻にして描いていますからね。

iPhone 12にて撮影

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OLYMPUS PEN Fにて撮影

iPhone 12にて撮影

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OLYMPUS PEN Fにて撮影

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iPhone 12にて撮影

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OLYMPUS PEN Fにて撮影

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■横山大観の師・岡倉天心を描いた? 《五柳先生》

《五柳先生》について調べてみると、神奈川県立図書館の伊津美 泉さん……え? 「いづみ いずみ」さん?……が、横山大観の師である岡倉天心を紹介する文章の中で、次のように記しています。
「天心そのものを描いた作品がある一方、歴史的画題の作品中、暗示的に天心を表している作品」
これは、横山大観の《五柳先生》は、歴史的画題を扱いつつ、岡倉天心を描いたものだということ。
もともと《五柳先生》は、中国の詩人陶淵明を描いているものと言われています。トーハク解説によれば、「中国の詩人陶淵明の文に、酒を好み詩文を楽しむ自適の日々を送る五柳先生なる人物が語られて」います。後世には、この五柳先生が陶淵明と同一視されるようになり、横山大観の当作においても、その前提で記されています。
そして同作の左隻の白い服をなびかせている人物が陶淵明であり、岡倉天心でもあるということ。
なぜ岡倉天心を描いたと分かるかといえば、「天心愛用の道衣の面影が認められる」からだそうです。



また神奈川県立図書館の伊津美さんによれば「(右隻の)絵の中では、心で聴く無弦琴を童子が抱えている。存在するもの、目に映るものを知るだけでは、学問学術の真髄に触れることはできないという意味を持つ無弦の琴は、天心を暗示するモチーフである」としています。
この無弦琴が、陶淵明とセットで語られるアイコンなのだそうです。



トーハク解説では「金を背景に柳、陶淵明、童子が描かれて平面性が強調されています」としています。解説の締めくくりとしては「もうちょっと解説してぇ〜( ; ; )」とも思ってしまいます。


❍△□
勝手な解釈としては(以降はメモです)……今作が描かれたのは1912年の明治45年です。明治維新から半世紀が経とうとしているわけです。
横山大観の師・岡倉天心は徳川家の親藩・越前藩藩士の家系の家に、1863年に横浜で生まれます(父親が藩命で貿易商となる)。つまり、感情的には佐幕派だった可能性が高いでしょう。後年には、日本美術の保護に努めるとともに、日本美術学校(東京藝大の前身)の校長にもなるなど、後進の育成にも力を入れるわけです。ほどなくして校長の座を追われ、1896年に日本美術院(院展)を創設します(岡倉天心自身は、画家ではありません)。
ちなみに校長などの公職を追われた、岡倉天心の姿を1898年に描いた、(水戸藩士の家に生まれた)横山大観の作品が《屈原》だと、前述の伊津美さんは記しています(これが一般的な見解なのかもしれません)。

画像引用:ウィキメディア・コモンズ
そんな岡倉天心の対として思い浮かぶのが、1866年に薩摩藩士の家に生まれた黒田清輝です。1884年にフランスへ留学し、画家になることを決意。岡倉天心と同様に東京美術学校の創立に貢献。岡倉天心が美術学校の校長を追われた1896年に白馬会を発足しつつ、東京美術学校の教員となり、1898年には教授に就任します。
確信はありませんが、岡倉天心は日本の伝統的な美術工芸が好みな一方で、黒田清輝はフランス帰りで、そうした日本の美術工芸…特に絵画については古臭く思えたかもしれません……。
立体感を強調した西洋絵画に対して、平面性は日本の……というか西洋以外の絵画の特徴。横山大観が《五柳先生》やその他の作品で、ことさら平面性を強調したかは不明ですが、立体感を出そうとは考えなかったことは確かでしょうね。
❍△□
■水墨画《竹雨》
現在、トーハクには横山大観の作品が、もう一作展示されています。1915年に描かれた《竹雨(ちくう)》です。

なにか既視感を感じたと思ったら、冒頭で紹介した《瀟湘八景》の一つ、《瀟湘夜雨(しょうしょう やう)》に似た雰囲気です。よくよく見れば全く異なるのですが、遠目から見た時の木々の描きかたが似ているなと。

一番右が《瀟湘夜雨(しょうしょう やう)》
ただし、《竹雨》の方が、より伝統的な水墨画のような描き方のようにも思えます。まず彩色されていないのと、人がポツンと一人で歩いている姿が、そう思わせるのかもしれません。また木々を、伝統水墨画の峰々に見立てて描いているのかなとも思えました。

山の上の方へと続く木々の間を、一人の男が傘をさして歩いていく情景が描かれています。


以上、現在トーハクの1階で見られる横山大観の3作品をご紹介しました。個人的には、この3作と、同じく1階に展示されている虫の図鑑《虫譜》を見るだけでも、十分にトーハクへ行く価値があるかと思います。なんといっても1,000円で入れますから。
ちなみに、妻が不在でゲームとYouTube三昧の息子を、トーハクへ誘いましたが「トーハクだけは行きたくない」と拒否られました。トホホ……。
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