「人は人によって傷つき、人によって癒される」という理不尽。
こんにちは、ハクヒカリです。
みなさんは、こんな言葉を聞いたことがありますか?
「人間関係の傷は、人間関係でしか癒されない」
これ、ものすごく真理をついていると同時に、めちゃくちゃ理不尽だと思いませんか?
「人に傷つけられたんだから、一人で静かに引きこもらせてくれよ!」
「なんで傷つけたのと同じ『人間』のところへ、また戻らなきゃいけないんだよ!」
と、昔の僕なら激怒して壁でも殴っていたかもしれません(笑)
ですが、人生のどん底を味わい、そこから少しずつ顔を上げられるようになった今、僕はこの「理不尽な理」に深く、深く、頷いています。
今回は、僕が自分の殻を破り、世界の色を取り戻すまでの体験と、この言葉の本当の意味についてお話しさせてください。
自分の存在を否定された気がした、あの日の記憶
話は僕が小学4年生のころに遡ります。当時、人前でうまく喋れなかった僕は、それをきっかけに同級生からからかわれてしまいました。
「僕だって…本当はみんなみたいに話したいのに…」
幼い心で必死に叫んでいましたが、どうにもできないコンプレックスを嘲笑(わら)われた気がして、自分の存在そのものを否定されたような強烈な悲しさを覚えました。そこから僕は人と会話ができなくなり、「非言語コミュニケーション」で自分を守るようになったのです。
大人になり、社会人になってからもその壁は立ちはだかりました。職場でのコミュニケーションで怒られ、情けなさと悔しさで涙が止まらず、結果として退職。僕は長いあいだ、自分の部屋に閉じこもることになりました。
一人で部屋にいる時間は安全です。誰にも傷つけられないし、怒られることもありません。でも、傷が癒えるかと言われたら…ただ「麻痺させている」だけだったんですよね。
心の「×印」がハラハラと剥がれ落ちた日
転機が訪れたのは、今年に入ってからのことです。 意を決して支援機関に通い始め、担当者の方とのヒアリングで、思いもよらない言葉をかけてもらいました。
「今まで本当によく頑張って生きてきましたね。」
「それだけ悩んで、試行錯誤してきたことが素晴らしいですよ。」
そうやって僕のこれまでの生き方をまるごと認め、褒めてくれたのです。ずっと「お前はダメだ!」と否定され続けてきた心の深くに、温かい光が差し込んだ瞬間でした。
それからセミナーに通ったり、外出するときに意識して「周りの世界」をよく観察するようになりました。すると、あんなに怖かったはずの街や人々が、急に輝いて見え始めたんです。
「お!案外世界って面白いじゃんっっ!!」
この感覚をわかりやすく例えるなら、映画『聲の形』の主人公・石田将也の視界です。周りの人々を拒絶し、顔にペタペタと貼られていた「×印」が、ある瞬間から剥がれ落ち、世界が色鮮やかに広がっていく——まさに、あの感覚でした。
下を向いて自分を守っていた僕が、初めて顔を上げ、周りの存在や声を受け入れられた瞬間でした。
私たちは、愛おしい「感情の奴隷」だ
一人で部屋に閉じこもっていた何年間よりも、たった一人の人が僕を認めてくれた時間の方が、僕の傷を何倍も癒やしてくれました。
やっぱり、「人につけられた傷は、一人では治せない。別の誰かの温かさによってしか解きほぐされない」のです。本当に理不尽で、でも逃れられない人間の仕組みだと思います。
×印が取れて世界が鮮やかに見えたからといって、これから先の人生、もう誰も僕を傷つけないなんてことはありません。またどこかで嫌な思いをするかもしれないし、なんなら僕だって無意識に誰かを傷つけてしまうことだってあるでしょう。
傷つくリスクのある世界に戻っていくのは、やっぱり怖いです。でも、そうやって理不尽に悩まされるからこそ、僕たちの感情は揺れ動き、「死にたくなるほど落ち込む日」もあれば「生きているって最高だ!」と思える日も訪れます。
僕たちはきっと、一生抗えない「感情の奴隷」なのです。
おわりに
傷つくのも人なら、癒してくれるのも人。そんな理不尽な世界だからこそ、人生はややこしくて、そしてこんなにも面白いのだと感じます。
もし今、人間関係に傷ついて、部屋や心の中に引きこもっている方がいたら。「早く外に出てこい!」なんて野暮なことは言いません。
ただ、いつかあなたのタイミングがきてふと顔を上げたとき、その心の×印をそっと剥がしてくれるような温かい誰かが、この世界には必ず待っているということだけは、覚えていてほしいなと思います。
僕もこれからも、感情に振り回されながら、この泥臭くて愛おしい世界を面白がって歩んでいきます!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
END.
