明日も長生き【和菓子ものがたり】短編小説
免許を返納してから、もう一年以上になる。
最初の頃は、ずいぶん不便になったと思った。買い物に行くにも、病院へ行くにも、車なら何でもなかったところが、自転車になると遠くに感じる。
けれど、人間というのは慣れるものだ。
「自転車で行けばいいもの」
そう思うようになってからは、かえって出かけることが増えた。
市内くらいなら、どこへだって自転車で行く。スーパーにも行くし、銀行にも行く。ちょっと気になる店があれば、ゆっくり眺める。知り合いを見かければ、自転車を止めて立ち話をする。
八十二歳にもなって、自分でもずいぶん元気だと思う。
娘たちには「無理しないでよ」と言われるけれど、無理をしているつもりはない。
ただ、家にじっとしているより、自転車に乗って出かけたほうが楽しいだけだ。
夫が亡くなって、三年が経った。
夫がいる頃は、家の中に二人分の生活があった。
朝になれば夫が起きてきて、食事をして、テレビを見て、新聞を読んで。何か面白いことがあれば話をして、そうでなければ、たいした話もせずに一日を過ごす。
長く一緒にいると、そんなものだった。
夫がいなくなった最初の頃は、家の中が妙に広く感じた。
食卓の向かい側に誰もいない。
テレビを見ていても、何か言おうとして、やめる。
そんなことが何度もあった。
けれど、三年も経つと、少しずつ慣れてくる。
寂しくなくなったわけではない。
ただ、寂しいことばかり考えているのにも、飽きてきた。
娘たちは都会にいる。
電話もくれるし、たまには帰ってきてくれる。心配してくれているのもわかっている。
でも、娘たちには娘たちの生活がある。
だから、自分の寂しさまで娘たちに面倒を見てもらうわけにはいかないと思った。
だったら、自分で楽しいことを見つければいい。
そう思ってから、少しずつ人付き合いが増えた。
昔からの知り合いに声をかけて、お茶を飲みに来てもらったり、地域の集まりに顔を出したりした。
最初は少し気を遣った。
けれど、一人増えて、また一人増えて。
いつの間にか、何人かで集まってお茶を飲むのが楽しみになっていた。
そんな集まりにも、最近はちょっとした流行がある。
誰かがお菓子を持ってくる。すると、それを囲んで、みんなであれこれ感想を言い合うのだ。
「今日はどこの?」
「この前、もらっておいしかったの」
「私はこっちのほうが好きだわ」
そうやって、ひとつのお菓子を前にして、ああでもない、こうでもないと話をする。
どこの店がどうだとか、昔はもっと甘かったとか、餡がどうだとか。
別に結論が出るわけではない。
けれど、それが楽しい。
夫と暮らしていた頃も、こういう話はした。
ただ、二人で話すのと、何人かで話すのでは、少し違う。
同じことを言っても、誰かが笑って、誰かが反対して、誰かが昔の話を始める。
気づけば、予定していた時間をとっくに過ぎている。
そんな時間が、最近は好きだった。
その日、私が持っていったのは、長寿ゆべしだった。
「長寿ゆべし?」
品物に巻いてある紙を見た一人が、名前を読んだ。
「そう。長寿ゆべし」
「ずいぶん縁起のいい名前ねえ」
笑いながら紙をちぎり、竹皮風の包み紙を開ける。
ほんのりと醤油の香りがした。
このゆべしには、市内にある二つの醤油屋さんの醤油が使われているそうだ。

同じ醤油でも、メーカーが違えば味も少し違う。それを合わせることで、甘いゆべしの中に、醤油の美味しさが引き立つ。
むっちりとした食感に、甘じょっぱい醤油の味が広がる。
私は昔から、この味が好きだった。
そして、その中でもお気に入りが中に練り込まれている和クルミだ。

洋クルミより小ぶりで、少し苦みがある。
子供のころは、山でクルミ採りもした。
木から落ちたクルミを拾って、殻を割って。
あの頃は、クルミがお菓子の中に入っているなんて考えもしなかった。
今こうして食べてみると、少しほろ苦くて、噛むほどに香ばしい。
クルミは店でローストしているから、口に含んだときに、焼いた香ばしさがちゃんとする。
「おいしい」
「クルミがいいわね」
「醤油の味がする」
「でも甘いのね」
「そりゃあ、ゆべしだもの」
また始まった。
私は笑った。
こうしてみんなとお菓子を食べながら話していると、夫が亡くなってから三年経ったことなんて、すっかり忘れてしまう。
それでいいのだと思う。
夫のことを忘れたわけではない。
ただ、夫がいない時間にも、ちゃんと自分の時間ができてきた。
帰り際、一人が言った。
「年を取ったら、お金と筋肉と友達が必要なんだって」
「お金はないわねえ」
みんなで笑った。
「筋肉は?」
「あるわよ。私、自転車でどこまででも行くもの」
「この間もずいぶん遠くまで行ったんでしょう?」
「そうよ。自転車なら平気」
「八十二歳なのに?」
「八十二歳だから何なの」
そう言うと、また笑われた。
でも、考えてみれば不思議なものだ。
八十二歳になっても、自転車に乗っている。
行きたいところへ行って、途中で寄り道をして、知り合いを見つければ自転車を止める。
そういえば、中学生や高校生の頃もそうだった。
自転車があれば、どこへでも行けた。
友達と待ち合わせをして、意味もなく遠くまで行ったり、帰り道に寄り道をしたり、ぼんやりと空を眺めたり。

あの頃と比べれば、身体はずいぶん変わった。
でも、自転車に乗って、自分の行きたいところへ行くということだけなら、今もたいして変わらない。
年を取ったからといって、全部が変わるわけではないのだ。
娘から電話が来たのは、その日の夕方だった。
「今日、何してたの?」
「友達とお茶飲んでたの」
「楽しそうね」
「楽しいわよ」
そう答えてから、少し考えた。
夫が亡くなったばかりの頃、娘から同じことを聞かれたら、「大丈夫」と答えていたと思う。
あの頃の大丈夫は、心配をかけたくないという意味だった。
今の大丈夫は、少し違う。
「最近、結構忙しいのよ」
そう言うと、娘が笑った。
「何がそんなに忙しいの?」
「来週もお茶飲むの。今度は別のお菓子を持っていくから」
電話を切ったあと、私は冷蔵庫を開けて、夕飯の支度を始めた。
日中食べたお菓子の分があるから、今日は少し軽めにしよう。
次は何を持っていこうか。
あそこのお菓子もいい。
あ、でも、あれは前に誰かが持ってきたか。
だったら、別のところにしようか。
そんなことを考えていると、なんだか可笑しくなった。
夫が亡くなって、もう三年になる。
それなのに私は今、次にみんなで食べるお菓子のことを考えている。
長寿ゆべし。
最初は、少し大げさな名前だと思った。
長生きしたいと願っているわけではない。
ただ、来週もみんなと会いたい。
またお菓子を持ち寄って、くだらない話をしたい。
誰かが持ってきたお菓子に、「こっちのほうがおいしい」と言ってみたい。
次はどこのお菓子にしようかと、また考えたい。
そう思うと、もう少し長く生きてもいいような気がしてくる。
人は、長生きするためだけに友達を作るのではない。
友達とくだらない話をするために、もう少し長生きしたくなる。
翌朝、私はいつものように自転車を出した。
今日の行き先はまだ決めていない。
今日は少し遠くまで行ってみようか。
そう思って、ペダルを踏んだ。
八十二歳。
まだ、自転車で行けるところはたくさんある。


あとがき
この物語は、作者の着想をもとに、一部の文章表現や構成にAIを活用しながら制作しました。作品全体の企画・構成・加筆・修正は作者自身が行っています。
作中で登場した長寿ゆべしは実際に店舗のほか、ECサイトでも販売しているものです。
和菓子とともに流れる、穏やかな時間を感じていただけたなら幸いです。

