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エレガントな実験で愉しむ量子力学!『二重スリット実験』試し読み

二重スリット実験とは、光の波の性質を証明したほか、量子の不思議な振る舞いをあらわにする、科学でも有数のエレガントかつ意義の大きい実験です。高校生でも理解できるほどシンプルなのに、その結果の意味するところに、かのアインシュタインも頭を悩ませました。それでいて、その解釈は今なお議論の的になっています。

本書は、200年前の実験から、偉人たちの思考実験、技術の進歩によって進化したものまで、さまざまな二重スリット実験を軸に、量子力学を楽しむ科学読み物です。イメージを掻き立てるエレガントな実験で、量子力学の深淵をのぞき見る本書から、第1章をお届けします。

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第1章 二つ穴の実験について


リチャード・ファインマン、核心部の謎を説明する

実際に見ているものほど抽象的で非現実的なものはない。
──ジョルジオ・モランディ

 リチャード・ファインマンがノーベル賞を受賞する一年前のこと。そしてファインマンが物理学者でない人々に向けて、金庫破りからドラム演奏まで何にでも関心を寄せ率直な物言いをする科学者として自分を描いた自伝が出版される二〇年前のこと。しかし、一九六四年一一月、すでにコーネル大学(ニューヨーク州イサカ)の学生にとって彼はスターであり、学生たちの歓迎ぶりからも、それがはっきりわかった。ファインマンは、一連の講義をするためにやって来ていた。「Far above Cayuga’s Waters」がコーネル・チャイムから鳴り響く。学長はファインマンを、卓越した指導者で物理学者であるだけでなく、一流のボンゴ奏者であると紹介した。ファインマンは演奏芸術家に送られるような拍手の中を大股で演台に上り、講義を始めた。「妙な話なんだが、私が公式な場でボンゴを演奏するように頼まれるのは、そうあることではないのに、紹介者は私が理論物理学者でもあることに言及する必要性を見出さないようです」

 ファインマンは六回目の講義まで、拍手をしている学生にいっさい前口上を語らず、形だけの「どうも」さえ言わなかった。そして、いきなり本題に切り込んだ。見たり聞いたり触れたりできる日常的なものを扱うのに適した私たちの直感が、非常に小さなスケールの自然界を理解するうえではどれほど役立たないか、ということに。

 そして、私たちの直感的なものの見方に疑問を呈する実験について繰り返し話した。ファインマンは「そのとき、私たちは予想外のことを目にする」と述べた。「それは想像可能なものから遠くかけ離れている。そのため、私たちの想像力はこれでもかと引き延ばされる。フィクションという意味ではない、存在しないものを想像しようとして。しかし、想像力がどんなに延ばされても、私たちには存在しているものしか理解できない。私が話したいことは、そんな状況なのです」

 講義は量子力学、つまり非常に小さなものについての物理学で、とくに電子など原子より小さなものや光の特性に関する話だ。言い換えると、それは実在の本質についてである。光や電子は(水と同じように)波のような振る舞いを示すだろうか? あるいは、(砂粒のように)粒子のように振る舞うだろうか? 「イエス」あるいは「ノー」という答えは、ともに正しくもあり、間違ってもいる。原子より小さな要素の実在を可視化しようと試みるたびに、私たちの直感は無様にも意味をなさなくなる。

 ファインマンは「それらはほかのものではとうていあり得ない振る舞いを見せます」と言った。「そういう性質を専門的には『量子力学的』と言います。その振る舞いは、あなた方が見てきたどんなものにも似ていない。目に見えるものに対するみなさんの経験は不十分、つまり不完全なのです。非常に小さなスケールでの物体の振る舞いは、ただもう違っている。それらは粒子のように振る舞うというだけではありません。そして、波のように振る舞うというだけでもない」

 しかし、少なくとも光と電子は「厳密に同じ」ように振る舞うとファインマンは言った。「つまり、それらは非常に奇妙なのです」

 ファインマンは学生に、講義が難しくなっていくと警告した。自然界のしくみについて人々がもっている直感とは相容れない話になっていくからだ。「しかし、その難しさとは実際には心理的なものです。『それにしても、どうしてそうなるのだろう』という自問自答からくる際限のない苦悩のせいで生まれるのです。さらに本当のことを言うと、その自問自答は、身近なアナロジーを用いて理解したいという、抑えがたいうえに無益な衝動の結果です。私は身近なもののアナロジーで説明しません。ありのままを説明するだけです 」

 そして、聴衆を一時間釘づけにした講義で、ファインマンはメッセージをしっかり伝えるために「あるひとつの実験」に話題を絞った。

最もエレガントな科学実験

「その実験は量子力学におけるミステリーをすべて含むように設計されたもので、自然界のパラドックスや謎や奇妙さを突きつける」ものだった。

 それが二重スリット実験だ。これ以上単純な実験はなかなか思いつけない。しかも、本書を通じてたびたび発見することになるが、これほど不可解な実験もない。実験を始めるには、まず光源が必要だ。そして、光源の前に不透明なシートを置く。シートには、二本のスリット(細長い穴)が隣り合わせにして開けてある。これで光の通る経路が二つできた。不透明なシートの向こう側には、スクリーンを設置する。では、光源から光を当てると、スクリーン上にはどんな像ができるだろうか?

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 その答えは、少なくとも私たちが慣れ親しんでいる世界での見方では、答える人が光の性質をどう考えるかによって変わってくる。一七世紀後半と一八世紀の間は、アイザック・ニュートンの説が、光に対する見方を支配していた。ニュートンの主張では、光は「コーパスル」という小さな粒子からできている。その「光の粒子説」は、音と違って、光が角を回り込むことができない理由を部分的に説明していた。粒子は外から力が加わらないかぎり、その軌道が曲がることはないため、光もまた粒子でできているに違いない、というわけだ。

 ファインマンは講義で二重スリット実験を解説したとき、まず、二本のスリットに向かって粒子を飛ばす場合を考えさせた。飛ばされる粒子の特性を強調するため、ファインマンは受講者に原子より小さい粒子(たとえば電子や光子など)の代わりに、銃から撃ち出された弾丸が「塊となってやってくる」のを想像しなさい、と話した。あまりに暴力的なイメージを避けるため、弾丸ではなく砂粒を飛ばすものと想像しよう。そして、砂も塊で飛ばされるわけだが、弾丸に比べるとはるかに小さい。

 まず、右のスリットか左のスリットのどちらかを閉じて実験しよう。粒子源から飛び出す砂粒は、軌跡が直線になるくらい十分に高速であるとする。このとき、スリットを通った砂粒のほとんどは、その真向かいにあたるスクリーン上の領域に当たり、そこから左右にいくにしたがってぶつかる砂粒の数は少なくなる。図中のグラフは、高くなるほど、スクリーンのその位置に到達した砂粒の数が多いことを示している。

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 では、両方のスリットを開けたら、スクリーンにはどんなパターンが現れるだろうか? 予想されるのは、どの砂粒も開いている左右どちらか一方のスリットを通って、反対側のスクリーンに到達するということ。そして、スクリーンに到達する砂粒の分布は、左右どちらかのスリットを通ったときに見られる分布を単純に足し合わせたものである。それは、非量子的な世界=日常的な経験がもつ直感的で常識的な性格が反映されたものだ。要するに、ニュートンの運動法則で非常にうまく記述される古典的な世界のあり方が、そこに表れている。

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 それが砂粒に実際に起こることなのだと実感するためには、砂が二本のスリットからスクリーンへと落ちていくように装置を回転させるといい。直感に従って考えれば、二本の開いたスリットの下には二つの山ができるはずだ。

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 実験装置を元の状態に戻し、今度は砂ではなく、光を照射してみよう。このとき、光はニュートンの言うコーパスルでできていると仮定する。砂粒を使った実験をふまえて予想すると、スクリーン上には二本の明るい光の帯ができそうだ。一本は右のスリットの後ろに、もう一本は左のスリットの後ろにできて、それぞれの帯は両端に向かって暗くなる。そのパターンはスリットを片方ずつ開けたときのパターンを単純に足し合わせたものになるだろう。

 ところが、そんなことは実際には起こらない。どうやら光は、粒子でできたもののように振る舞うわけではない。

光をめぐる論争

 ニュートン以前の時代でも、光が粒子の性質をもつという彼の理論とは相容れない現象が観測されていた。一つ例をあげると、ある媒体から別の媒体、たとえば空気からガラス、さらに空気へと進むとき、光は進路を変える(この現象は屈折と呼ばれ、そのおかげで光学レンズができる)。もし、光が空気やガラスの中を移動する粒子であると考えると、屈折を簡単には説明できない。なぜなら、空気からガラス、またガラスから空気へと進むときに、光の方向が変わるには外的な力が加わる必要があるからだ。しかし、光が波であると考えれば説明できる(波の速さは空気中とガラス中で異なるため、光がある媒体から別の種類の媒体へ進入するときに光が方向を変える理由を説明できる)。これは、一六〇〇年代のオランダ人科学者クリスチャン・ホイヘンスの提案そのものである。ホイヘンスは、光がまさに音波のような波であると主張した。音波とはそのじつ、それが伝播する媒体の振動であるため、光も私たちの周囲の空間を満たしているエーテルと呼ばれる物質の振動でできている、と。

 これは、きわめて有能な科学者が導き出した、真剣な理論であった。ホイヘンスは物理学者であり、天文学者でもあり、そして数学者でもあった。彼は自らレンズを磨いて望遠鏡を作り、土星の衛星タイタンを発見した(二〇〇五年に初めてタイタンに着陸した探査機は、彼に敬意を表してホイヘンスと名づけられた)。さらに、独力でオリオン星雲を発見してもいる。そのホイヘンスが、一六九〇年に、「光に関する論文(Traité de la Lumière)」を出版し、そのなかで光の波動説を提唱した。

 ニュートンとホイヘンスは同時代の人物であったが、ニュートンのほうが星回りがよかったらしい。なんといっても、ニュートンは、弧を描いて飛ぶ野球ボールから、太陽の周囲をまわる惑星の運動まで、あらゆるものを説明する運動の法則と万有引力の法則を考えついたのだ。そのうえ、ニュートンは、かなりの名声を得た博識家であった(物理学は言うまでもなく、微積分をもたらした数学者であり、化学、神学、さらに聖書の解説執筆にも踏み込んだ)。ニュートンの光の粒子説が、欠点をもつにもかかわらず、光を波のようなものとするホイヘンスの理論を覆い隠してしまったとしても、そう不思議ではない。光を理解するのは、ニュートンを超える別の博識家の仕事となった。

 トマス・ヤングは、『最後の博識家(The Last Man Who Knew Everything)』と題した伝記が書かれるほどの人物である。ヤングは一七九三年、二〇歳で、ヒトの眼が異なる距離の物体に焦点を合わせるしくみについて、牛の眼の解剖をもとに説明した。翌年、その研究が認められ、ヤングは王立協会のフェローとなり、一七九六年には「医学・外科学・助産学博士」となった。彼が四〇代のころ、エジプト研究者に協力してロゼッタ・ストーン(ギリシャ語・象形文字・未知の文字の三種類の文字で刻まれている)を解読した。医師になり、エジプト学に急速に関心をもち、さらにインド・ヨーロッパ語族を勉強するかたわら、ヤングは物理学史上もっとも興味深い講義を行った。それは一八〇三年一一月二四日のロンドン王立協会での講義のことであった。ヤングは、威厳のある観衆を目の前にして、シンプルかつエレガントで、素朴な実験を行った。ヤングにとって、その実験は光の真の性質を疑問の余地なく明らかにし、ニュートンが間違っていたことを証明したものだった。

「私が行おうとしている実験は、太陽が出てさえいれば、簡単に再現することができます」と、ヤングは観衆に話した。

 太陽が出てさえいれば──実験の単純さは決して誇張されていなかった。「窓のシャッターに小さな穴を開けてその穴を厚紙で覆い、そこに細い針で穴を開けました」と彼は言う。そうしてできたピンホールからもれる太陽光は、一筋の光線になる。「私は、その太陽光線のなかに、およそ三〇分の一インチ〔一ミリ弱〕幅の細い紙を差し入れて、壁や異なる距離に置いたカードに投影される影を観察しました」

 光が粒子でできているならば、ピンホールの正面の壁には、ヤングの「細い紙」の影がくっきりできているだろう。なぜなら、その紙は光の粒子をいくつか遮断しているからだ。もしそうであれば、ニュートンは正しいということになる。

 しかし、ホイヘンスが主張するように光が波であるなら、流れる水を邪魔する岩のように、紙が波を邪魔するだけで、波はその両わきに分かれて二つの経路をとり、細い紙を回り込んで進む。その後、二手に分かれた光は合流して、窓のシャッターと反対側の壁に、明るい縞と暗い縞が交互に連なる特徴的なパターンを形成する。そのような縞模様は干渉縞といい、二つの波が重なるときにつくられる。そしてなんと、中心部の縞は明るくなる。ここは、もし光が粒子であるとすれば暗い影ができると予測されるところなのである。

 干渉については、水面に生じる波を通して、日常の経験として私たちは知っている。沿岸にある堤防に開けられた二つの開口部に、海の波が当たる状況を考えよう。それぞれの開口部から新しい波が生じ(回折と呼ばれる現象)、それら二つの波が前方で互いに重なり合って干渉する。両方の波の波頭が同時に到達するところでは、二つの波が強め合う建設的干渉が起こり、水位がもっとも高くなる(光の明るい縞に対応する)。また、一方の波の山ともう一方の波の谷が同時に到達するところでは、二つの波が打ち消し合う破壊的干渉が起こる(暗い縞に対応する)。

 ヤングは、そのような干渉縞を光で観察した。とりわけ、彼はすべての色の光を含む太陽光で研究していたため、中心の縞の左右にさまざまな色の縞が並んでいるのが見えた。さらに詳しく調べると、中心の領域は明るい縞と暗い縞でできていることがわかった。これらの縞の数と幅は、スクリーンまたは壁と、ピンホールとの距離に依存する。そして、中心領域の中央部は常に白い(明るい縞になる)。彼は、光が波であることを示したのだ。

 聴衆は信じなかったに違いない。なにしろ、ニュートンの理論に異議を申し立てているのだ。その講義の前の時点で、エディンバラ・レビュー誌に匿名で掲載された論文はヤングの研究にきわめて批判的であった。その著者はのちに弁護士のヘンリー・ブルーム(一八三〇年にイギリスの大法官となった)であることがわかったが、ヤングの研究を「どこにも価値を見出せない」もので「子供じみた、淫らな想像のような、卑怯で不毛な享楽」と酷評した。

 しかし、その批判は見当はずれだった。すぐにヤングの考えは、ほかの物理学者たちから支持を集めた。彼の実験は、いま二重スリット実験と呼ばれるものへと発展し、事実上、光の波動説を最初に実証してみせたのだった。二重スリット実験は、コーネル大学での講義でファインマンが褒め称えた、あの実験である。より標準的な二重スリット実験では、ヤングが用いた太陽光線は光源に置き換えられる。ヤングの実験では、「細い紙」を太陽光線に差し込んで光の経路を二つにしていたが、その代わりに、二重スリット実験では、二本の細いスリット(開口部)を開けた不透明な板に光を当てて、二本の光の経路をつくる。そうすれば、スリットから離して置いたスクリーン上に干渉縞が投射される。それは、窓のシャッターの反対側の壁にヤングが見たのと本質的に同じものである(もしスクリーンを写真乾板あるいは感光物質でコーティングされたガラス板にすれば、そこに生じる画像はネガ、つまり光にさらされた領域が黒くなると考えられる)。左右が次第に暗くなる二本の光の帯、つまり光が粒子の塊であったときに期待されるパターンはできない。光は波のように振る舞うのだ。

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 このようにして、量子力学の光が灯るずっと前に、ヤングはニュートンとホイヘンスの間の議論を表面上は解決したように思われた(ニュートンを支持し続ける懐疑論者は根強く存在していたが)。ヤングは、光が波であるというホイヘンスの考えに賛同した。そして、量子革命が起こるまで、その状態が続いた。

ふたたび覆される光の概念――量子の登場

 量子革命は、一九〇〇年代初めになされた衝撃的な発見の数々で幕を上げた。そうした発見の一つが、光は粒子でできていると考えるべきだという、アインシュタインが一九〇五年に行った主張である。そう考えることでしか、光電効果(このおかげで、太陽光を電気へ変換でき、太陽電池を作ることができる)として知られる現象を説明できなかったからだ。この光の粒子は光子と呼ばれるようになった。光子とは、ある振動数(つまり色)で光がとり得る最小のエネルギーの単位で、それ以上分割することができない。つまり、光は一個の光子がもつエネルギーよりも、少ないエネルギーをとることはできない。アインシュタインの主張は少々複雑なのだが、とりあえず、物理学には光を粒子からできたものとして扱わなければならない状況が存在するということを受け入れよう。すると、二重スリット実験は私たちの実在に関する直感とは相容れなくなっていく。

 ファインマンは、二重スリット実験を量子力学の「中心的な謎」を体現するものと言った。その理由を説明するために、ファインマンは電子を銃の弾丸(本書では砂粒)に置き換えた。一九六〇年代には、電子は塊となってやってくることが知られていた。電子は、光子同様、亜原子の世界を構成する多くの素粒子の一種である。さて、ここからの議論では、電子の代わりに光子を使うことにしよう。質量をもたない光の粒子である光子を使おうと、わずかな質量をもつ物質粒子の電子を使おうと、二重スリット実験とその結果、さらにその意味合いは変わらない。その事実からは、さまざまな不可解な疑問が生じる。ファインマンが言うとおり、それらは同じように奇妙なのだ。

 光子を使ったら、何が起こるだろうか。砂粒を用いたときとは違って、スクリーンに二本の光の帯はできない。その代わりに、ヤングが観察した干渉縞によく似た明暗の縞模様が観察でき、そのことから、光子が波のように振る舞っていることがうかがえる。明瞭な縞模様を観察するには、単色光を使うとよい。たとえば、光源として赤色光の強力な光子ビームを用いて、二重スリットに照射すればいいのだ。

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 両方のスリットを開けると干渉縞が見られるということは、光(今は光が粒子であると考える)は両方のスリットを通り抜けていると考えられる。しかし、二つのスリットのうち一方(どちらでもかまわない)を閉じれば干渉縞は消える。このとき、光は一つのスリットを通過し、そこにはその光と干渉するものが何もないということだ。

 ところが、光源から一度に一個ずつ光子を放出した場合、この実験は途端に不可解なものになる。本書ではのちほど、物理学者が一度に光子を一個だけ放出する光源をどうやって発明したのか見ていくが、ファインマンが講義を行った一九六四年には、この実験を行うことは不可能だった。とりあえず、今はそのような光源を使えることにしよう。それを使って、一度に光子を一個だけスリットに通す。光子は光源の反対側にある写真乾板に当たり、点を残す。これを繰り返し、写真乾板にたくさんの点を打てば、直感的には、砂粒で実験したときと同じように、二本のスリットの真向いの場所に、点が線状に集まるはずだ。干渉縞なんて、できるはずはない。

 しかし、それは違う。一つひとつの光子は乾板のランダムな位置に当たったように見えても、それを何度も繰り返せば、写真乾板に縞模様が現れる。光子はそれぞれに乾板に黒い点を残していくが、たくさんの光子が到達した場所は黒い帯となり、時間とともに、縞模様が形成されていく。

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 これは、いくぶん奇妙だ。一つの波が別の波と干渉して干渉縞ができるのには、なんの不思議もない。しかし、先ほどの実験では、光子は一個ずつ装置を通り抜けている。ある光子と次の光子、あるいは最初の光子と二番目の光子、あるいは最初の光子と一〇番目の光子との間に干渉は起こらない。それぞれの光子は単独なのだ。それにもかかわらず、それぞれの光子は写真乾板上の建設的干渉にあたる位置に集中し、破壊的干渉にあたる位置にはほとんど到達しない。その結果、干渉縞ができる。それぞれの光子が、まるで波の性質を示し、まるで自分自身と干渉しているかのようである。

 それぞれの光子を粒子としてつくり出し、写真乾板で粒子として光子を検出しているというのに、こうなってしまう。この結果からは、粒子が生成されてから検出されるまでの間を波として振る舞い、両方のスリットを同時に通り抜けるように見える。この干渉縞に、それ以外の説明をつけられるだろうか?

 べつに、それほど奇妙だとは思わない? だったら、光子がどちらのスリットを通るのかはっきりさせようとしたときに、起こることを考えてみよう(結局、私たちの直感では、両方ではなく、一方のスリットを通ったとしか思えないのだから)。光子を壊さずに、どちらのスリットを通ったのかを検出できるしくみがあるとしよう。これを使って実験すれば、干渉縞は消える(光子が波のような振る舞いをやめ、粒子のように振る舞い始める)。つまり、粒子の「塊」が片方ずつスリットを通ったときのパターンを、単純に足し合わせたものができる。ところが、光子の経路を盗み見ようとするのをやめれば、光子は波のような振る舞いを取り戻し、再び干渉縞が現れる。
 この謎をしっかり認識するために、次の点に注目してほしい。光子の経路を盗み見ていないとき、ほとんどの光子は写真乾板上の特定の場所を避ける。その結果、そこが破壊的干渉の領域になる。しかし、光子の経路を監視し始めると、光子はそれまで避けていた場所に到達するようになる。なぜ、そんなことになるのだろうか?

 奇妙な振る舞いは続く。もし、二重スリットに向かって砂粒を飛ばしたとき、それぞれの砂粒の初期条件(初速度や砂粒の射出角度など)がすべてわかっていたとすれば、ニュートンの法則から、砂粒が二重スリットの向こうにあるスクリーンのどこに到達するかを、スリットの縁に当たったらどれくらい曲がるかといったことまで考慮しながら、厳密に予想できる。これが、物理学に期待される役割である。しかし、光子(あるいは電子など、ほかの量子的なもの)に対しては、そんな期待は裏切られる。

 ある一個の光子について、光源を離れてから二重スリットに至るまでのすべての情報を知っていたとしても、写真乾板の特定の場所に光子が到達する確率を計算できるだけだ。つまり、光子は建設的干渉が生じる領域のどこかに到達するだろうが、どの光子がどこに到達するかを厳密に予測する方法はない。自然は、そのもっとも深いところで本質的に非決定論的であるように見える。それとも、ただ秘密になっているだけで、それを暴くほど研究できていないだけなのだろうか?

 疑問はまだある。光子の生成と最後の検出、それは粒子の特性をもつことの証拠であるのに、その二つの間で、光子は、私たちが経路を盗み見ないことにしたときは、波として振る舞うように見える。そして、盗み見ようとすれば、粒子として振る舞う。光子は、私たちが波の性質あるいは粒子の性質を見ていることを「知っている」のだろうか? もしそうなら、どのように知るのだろうか? また、私たちは光子を騙すことはできるだろうか? たとえば、光子が波として二重スリットを通過するまで、手の内を隠しておく。光子がスリットを通ったあとに、経路を見ることにしたら、粒子のような振る舞いを確認できるだろうか? 

 答えはもっと単純である可能性もある。光子は常に粒子であり、常にどちらか一方のスリットを通り抜けるというものだ。そして、標準的な理論では考慮に入っていない、何かほかのものが、両方のスリットを通り抜け、波のような性質を生み出している。その場合、その何かとは、何だろう?
 
 もしあなたに、人間の意識が何らかの形で関与して、光子の波あるいは粒子としての振る舞いが決まるという考えが心に浮かんだとすれば、そう考えたのはあなた一人だけではない。よく見られるように、二つの謎(この場合、量子世界の奇妙な性質と、無意識の不可解な性質)に直面したとき、それを融合しようとするのは人間のさがなのだ。

 二重スリット実験が単一の光子を用いて行われたのは、コーネル大学でのファインマンの講演から二〇年後のことだ。つまり、ヤングが実験した一八〇〇年代初頭から現在まで、物理学者は実在の本質を理解するために、手を変え品を変え、二重スリット実験を使い続けてきたのだ。二重スリット実験は、二〇〇年以上もの間、その単純なコンセプトは変わっていないが、技術の面では、たえず進化してきた。それは、実験科学者が自然を騙し、その深淵な秘密を明らかにしようと、知恵をしぼり続けた成果である。(第1章終わり)

本書の目次

第1章 二つ穴の実験について―リチャード・ファインマン、核心部の謎を説明する
第2章 「存在する」とはどういうことか?―実在へ向かう道《コペンハーゲン発・ブリュッセル行き》
第3章 実在と認識のあいだ―二重スリットを通す、光子一つひとつ
第4章 神聖なる記述より―不気味な遠隔作用についての啓示
第5章 消すべきか、消さざるべきか―山頂での実験が導く
第6章 ボーミアン・ラプソディー―明確なかたちで進化していく明確な実在論
第7章 重力は量子の猫を殺すか?―時空を系に追加した場合
第8章 醜い傷を癒す―多世界解釈という薬



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