日曜日の夕方 〜昔の自分に「ありがとう」を伝えに行く日〜
日曜日の夕方
子どもの頃、日曜日の夕方が少し苦手だった。
夕焼け。
カレーの匂い。
テレビの音。
外で遊んでいた子どもたちが、それぞれの家へ帰っていく時間。
「祭りのあと」。
そんな言葉は、まだ知らなかった。
けれど、あの静かな寂しさだけは、今でも覚えている。
何が不安だったのだろう。
月曜日だったのか。
学校だったのか。
それとも、子どもながらに「世界は思い通りにならない」と、少しずつ知り始めていたからなのか。
あの頃、私は転校したばかりだった。
知らない教室。
知らない友達。
家では、母の笑顔が少し減っていた。
後になって知った。
父の事業がうまくいかず、母も不安の中にいたことを。
時々きつく当たることもあった。
それでも、ごはんはちゃんと食卓に並んだ。
少しすると、
「ごめんね。」
そう言って笑った。
怒る母も、本当の母。
笑う母も、本当の母。
だから私は、母を嫌いにはならなかった。
子どもの私は、大人の事情なんてわからない。
それでも、「大人も大変なんだな」と、ぼんやり感じていた気がする。
サンタクロースはいない。
人は空を飛べない。
思い通りにならないことのほうが、この世界には多い。
そんな現実を知ることは、少し寂しかった。
でも、それは夢を失うことではなく、世界の輪郭を覚えていくことだったのかもしれない。
やがて私は大人になった。
仕事を覚え、失敗を重ね、人生は思うように進まない日のほうが多いと知った。
それでも不思議なことに、日曜日の夕方だけは、今でもあの頃の空気を連れてくる。

今、母は施設で暮らしている。
認知症が進み、今日のことを忘れてしまう日がほとんどだ。
それなのに、私と笑った思い出は覚えていてくれる。
「あの時、楽しかったね。」
そう笑う母を見るたびに思う。
記憶とは、不思議だ。
苦しかった時間より、笑った時間のほうが、長く残ることもある。
私は、そのことに何度も救われてきた。
だから最近、日曜日の夕方になると、ときどき昔の自分に会いに行く。
励ましに行くわけでもない。
説教をしに行くわけでもない。
ただ、そっと報告しに行く。
「けっこう大丈夫だったよ。」
友達もできた。
たくさん失敗もした。
思っていたようなヒーローにはなれなかった。
でも、誰かを笑わせる日はあった。
「ありがとう」と言ってもらえる日もあった。
母との笑った思い出も、ちゃんと残っていた。
そう報告して帰ってくるだけなのに、不思議と少し元気になっているのは、いつも今の私のほうだった。
もしかすると、救われたかったのは、あの日の私ではなく、今日の私だったのかもしれない。
そして、
今の私がここにいるのは、あの日、不安を抱えながらも毎日を生きてくれた子どもの私がいたからだ。
だから今度は、報告だけじゃなく、一言だけ伝えたい。
「ありがとう。」
人生は前に進むだけじゃない。
ときどき立ち止まり、昔の自分に会いに行く。
過去は変えられない。
でも、過去との関係は、少しずつ変えていける。
日曜日の夕方は、そのことを静かに思い出させてくれる時間なのかもしれない。

