夏の余光は、とても好きだ
夏になると、お酒が少しだけおいしくなる。
冷えた缶ビールでも、日本酒でもいい。
窓を開けると、遠くから花火の音が聞こえてくる夜がある。
そんな夜は、決まって昔を思い出す。
若い頃、地元の夏祭りへ彼女と出かけた。
会場までは、たしか500メートルほど。
今なら「近いね」と笑う距離なのに、あの頃はその道のりさえ特別だった。
浴衣姿の彼女と歩く500メートルは、花火より少し長く感じた。
何を話したのかは覚えていない。
花火が何発上がったのかも覚えていない。
それでも、人混みを抜けて歩いた帰り道だけは、不思議なくらい鮮明だ。
屋台をたたむ音。
少しだけ涼しくなった夜風。
祭りが終わった町の静けさ。
主役だった花火より、そのあとの景色のほうが、ずっと心に残っている。

あれから何十年も過ぎた。
あの日、一緒に花火を見上げていた彼女は、今では妻になった。
夏になれば、子どもたちと庭で手持ち花火をする。
「火、近づけすぎないで。」
「終わったらちゃんとバケツね。」
昔は浴衣姿で花火を見上げていた人が、今では夏限定の防火管理者である。
私は蚊取り線香の管理者だ。
夫婦というのは、案外こんな役割分担でできているらしい。
少し笑ってしまう。
ちょっとだけ自慢していいだろうか。
あの日、花火を見上げていた彼女が、今も私の隣で笑っている。
形は変わった。
会話も変わった。
それでも、一緒に夏を過ごせることだけは、あの頃と変わらない。
これは、高価なものを手に入れた話ではない。
私にとっては、それ以上に自慢できることだ。
花火は一瞬で終わる。
祭りも終わる。
夏も、やがて過ぎていく。
それでも、帰り道の静けさや、浴衣姿で笑っていた彼女は、今も暮らしのどこかで静かに息をしている。
隣を見ると、その彼女が「火の始末、大丈夫?」と声をかけてくる。
……変わったのは彼女じゃない。
きっと私のほうだ。
私は、そんな夏の余光がとても好きだ。

