見出し画像

【創作大賞2026】 「エッセイ部門」 耳を傾ける人 〜信頼は、話す力より聴く力から生まれる〜

〜明日の自分を少し変えられるかも〜


注)ごめんなさい、やや本気の長文です。。
( エッセイ 9.5 : ビジネス 0.5 )AIサポさんより

太めのうどん とか茹でる時に読んで下さい😊

……….……….………….……….…………….……….………….……….…………

〜 四つの「きく」が教えてくれたこと 〜


人は、誰かに理解されたと感じたとき、少しだけ前を向ける。


励まされたからではない。


正しい答えをもらったからでもない。


ただ、自分の話を最後まで聴いてもらえたからだ。


私は長いこと、そのことを知らなかった。


若い頃の私は、話すことばかり考えていた。


中古車販売の仕事をしていると、「説明が上手ですね」と言われることがある。


確かに営業という仕事は、話す力が必要だ。


車の特徴を伝える。


価格の理由を説明する。


不安を解消する。


納得してもらう。


そうした会話の積み重ねで成り立っている。


だから私は長い間、「話すこと」が仕事だと思っていた。


会話が止まるのが苦手だった。


沈黙ができると落ち着かなかった。


何か気の利いたことを言わなければ。


役に立つ情報を伝えなければ。


そんなことばかり考えていた。


今思えば、相手の声を聞く前に、自分の声を届けようとしていたのだと思う。


その考えが少し変わったのは、ある後輩との会話がきっかけだった。


仕事帰りの夕方だった。


「少し相談してもいいですか」


そう声をかけられた。


近くの喫茶店へ入った。


窓際の席だった。


西日がガラス越しに差し込み、テーブルの上のコーヒーカップだけが静かに光っていた。


後輩はしばらく黙っていた。


それから、ぽつりぽつりと話し始めた。


職場の人間関係。


思うように増えない収入。


将来への不安。


結婚への迷い。


転職した方がいいのかという悩み。


話はまとまっているようで、まとまっていなかった。


私は最初、何か良い助言を探していた。


経験者らしい言葉。


先輩らしい意見。


何か正解を渡さなければと思っていた。


しかし途中で気づいた。


後輩は答えを探しているのではない。


自分の気持ちを置く場所を探しているのだ。


そう思った瞬間、不思議と肩の力が抜けた。


私は助言を探すのをやめた。


ただ耳を傾けた。


「そうだったのか」


「それは大変だったな」


「それで、どう思った?」


それだけだった。


一時間ほど経った頃、後輩はふっと笑った。


来た時より少しだけ表情が明るかった。


「なんだかスッキリしました」


そう言って席を立った。


問題は何も解決していない。


収入も増えていない。


転職先も決まっていない。


それでも人は軽くなれるらしい。


店を出ると夜風が気持ちよかった。


街灯の下を歩きながら、私は考えていた。


人は答えより先に、理解を求めているのではないか。


その時から私は、「きく」という言葉について考えるようになった。


日本語には不思議な言葉がある。


聞く。


聴く。


訊く。


効く。


同じ音なのに意味が違う。


人生は案外、この四つを覚える旅なのかもしれない。


まず聞く。


耳に届く。


次に聴く。


心を向ける。


そして訊く。


相手の奥にある本音へ近づく。


最後に効く。


言葉が心へ届く。


振り返れば、私の人生もその四つに教わってきた気がする。


昔、とても疲れていた時期があった。


仕事もうまくいかなかった。


自分にも自信が持てなかった。


何をしても空回りしているような感覚だった。


そんなある日、知人が私の顔を見て言った。


「無理して笑わなくていいよ」


たったそれだけだった。


名言ではない。


人生訓でもない。


どこにでもあるような言葉だ。


けれど、その言葉は今も覚えている。


乾いた土に水が染み込むように、静かに心へ残った。


不思議だった。


何かを教えられたわけではない。


問題が解決したわけでもない。


それでも救われた気がした。


言葉とは正しさではなく、効き方なのかもしれない。


そう思った。


だから今でも思う。


人は立派な言葉で救われるとは限らない。


むしろ何気ない一言の方が長く残ることがある。


それは植物に似ている。


大量の水が必要なのではない。


必要な時に必要な分だけあればいい。


私は植物が好きだ。


ベランダにも観葉植物がある。


家庭菜園もする。


大葉やトマトが元気に育つと嬉しくなる。


反対に元気がなくなると心配になる。


以前、観葉植物の葉が垂れていたことがあった。


私は慌てた。


「水が足りないんだな」


そう思った。


元気になってほしかった。


助けたかった。


すぐに水をあげようとした。


ところが調べてみると、原因は真逆だった。


水のやり過ぎだったのである。


私は思わず苦笑した。


完全な善意の追加攻撃だった。


元気になってほしいと思ってしたことが、逆に負担になっていたのだ。


人との関わりも似ている気がする。


励まそうとして傷つける。


助けようとして追い詰める。


正論で元気づけようとして、かえって苦しくしてしまう。


「もっと頑張れ」


という言葉が必要な人もいる。


けれど今は、その言葉を聞きたくない人もいる。


植物によって必要な水の量が違うように、人によって必要な言葉の量も違うのだ。


だからまず必要なのは話すことではない。


聴くことなのだと思う。


相手が何を求めているのか。


何に困っているのか。


どんな気持ちでいるのか。


そこへ耳を傾けること。


それが人との関わりの始まりなのかもしれない。


ある日の午後、公園を歩いていた時のことだった。


ベンチに座った高齢の男性が携帯電話で話していた。


会話の内容までは聞こえない。


けれど、その表情が印象的だった。


「そうか、そうか」


と何度も頷いている。


時々笑いながら。


電話が終わると、その男性は少しだけ空を見上げた。


安心したような顔だった。


どこか満たされたような顔だった。


私はしばらくその姿を見ていた。


孫との電話だったのだろうか。


昔の友人だったのだろうか。


それは分からない。


けれど、人は誰かと話しただけで、あんな顔になることがあるのだ。


私はその時思った。


信頼とは、理解された記憶なのかもしれない。


私たちは信頼というと、大きな出来事を思い浮かべる。


立派な実績。


大きな成功。


感動的なエピソード。


けれど実際には、もっと小さなところから生まれている気がする。


約束した時間に来る。


以前の会話を覚えている。


困った時に声をかける。


返信を返す。


そんな当たり前の積み重ねだ。


当たり前だから目立たない。


目立たないから軽く見られる。


しかし、人はそういうところを案外よく見ている。


信頼とは、理解された記憶の積み重ねなのだと思う。


そのことを、私は後になって一人の植木職人からも教わることになる。


実家の近所で庭木を手入れしていた人だった。


脚立の上で鋏を動かし、伸びた枝を一本ずつ整えていた。


私は何となく声をかけた。


「切るのって、もったいなくないですか」


青々と茂った枝を見ながら、本当にそう思ったのである。


せっかく伸びたのに。


せっかく葉がついたのに。


すると、その人は鋏を止めて笑った。


「違うよ」


そう言って、少し空を見上げた。


「切るということは、生かすことなんだ」


私は思わず聞き返した。


「生かすことですか」


「そう。余分な枝を落とすと風が通る。日も当たる。栄養も必要な枝へ届く。だから木は元気になるんだよ」


その言葉は不思議と心に残った。


植物の話をしているのに、人の話を聞いているような気がしたからだ。


若い頃の私は、とにかく足し算が好きだった。


知識を増やす。


仕事を増やす。


人とのつながりを増やす。


収入を増やす。


できることを増やす。


増やせば豊かになると思っていた。


けれど年齢を重ねるにつれ、少し考え方が変わった。


本当に大切なものは、案外多くない。


予定を減らした時に見えるものがある。


物を減らした時に分かることがある。


言葉を減らした時に届くものがある。


人との関係もそうかもしれない。


無理に広げるよりも、今ある縁を大切に育てる方が豊かになる。


植木職人の言葉は、それから何年も経った今でも、静かに効き続けている。


切ることは、生かすこと。


それは木だけでなく、人との関係にも言えることなのだと思う。


私は長い間、「人脈」という言葉が少し苦手だった。


交流会へ行こう。


知り合いを増やそう。


名刺を集めよう。


そんな話を聞くたび、どこか違和感があった。


出会うことと、つながることは違う気がしたのである。


名刺が百枚あっても、本音を話せる人がいない。


SNSで何千人とつながっていても、困った時に相談できる相手がいない。


それでは豊かな人間関係とは言えないだろう。


私は最近、「人脈」よりも「縁」という言葉の方が好きになった。


縁は集めるものではない。


育てるものだからだ。


庭木が季節を越えて育つように。


人との関係も時間をかけて育っていく。


そして、その根を育てる水こそが「きく力」なのだと思う。


そのことを、私は妻の姿からも学んだ。


妻は小さな弁当屋を営んでいる。


まだ暗いうちに起きる。


仕込みをする。


配達をする。


帰宅したら翌日の準備をする。


決して楽な仕事ではない。


開業したばかりの頃は、お客様も多くなかった。


私は時々手伝いながら、その様子を見ていた。


正直に言えば、心配もしていた。


しかし、不思議なことが起きた。


少しずつ常連のお客様が増えていったのである。


理由は味だけではなかった。


妻はお客様の話をよく覚えていた。


「お子さん、その後どうでしたか」


「お父さん、お元気ですか」


「この前の試験、終わりました?」


そんな言葉を自然にかけていた。


特別な営業トークではない。


売り込みでもない。


ただ、相手を覚えているのだ。


相手の話を聴いているのだ。


私は横で見ながら感心していた。


人は、自分を覚えてくれている人を忘れない。


理解しようとしてくれた人を忘れない。


だからまた来る。


だから紹介する。


だから応援する。


その光景を見ながら、私は商売について考えるようになった。


商売とは商品を売ることだと思っていた。


けれど、それだけではないのかもしれない。


信頼を届けることなのかもしれない。


実際、私自身の仕事もそうだった。


車を売っているつもりでいた。


けれど本当に積み重なっていたのは、信頼だったのだと思う。


納車して終わりではない。


数年後にまた連絡をいただくことがある。


家族を紹介してくださる方もいる。


友人を連れて来てくださる方もいる。


その時に感じる。


車が戻ってきたのではない。


信頼が戻ってきたのだと。


私は時々、副業を始めたいという人から相談を受けることがある。


「どうしたら仕事が増えますか」


「どうしたら収入が上がりますか」


そんな質問だ。


昔の私なら、ノウハウを語っていたかもしれない。


けれど今は少し違う。


まず信頼を集めてみてください。


そう答えることが多い。


信頼は数字にならない。


フォロワー数のように見えない。


銀行口座の残高のようにも見えない。


だから価値が分かりにくい。


しかし私は思う。


信頼ほど利息の大きい資産はない。


お金は減ることがある。


知識は古くなることがある。


商品は真似されることがある。


けれど信頼は、人から人へ受け継がれていく。


紹介という形で。


応援という形で。


再会という形で。


私は信頼を、見えない通帳のようなものだと思っている。


残高は分からない。


けれど毎日の行動が少しずつ記帳されている。


約束を守ったこと。


感謝を伝えたこと。


相手の話を最後まで聴いたこと。


困っている人に声をかけたこと。


その一つひとつが積み立てられている。


そして必要な時、思いがけない形で引き出される。


人生というのは不思議だ。


急ぐ人ほど遠回りをする。


近道ばかり探していると、いつの間にか大切なものを見失う。


けれど地道な人は違う。


目立たない場所で根を育てている。


だから強い。


だから長い。


植物もそうだ。


花ばかり見ていると根を忘れる。


しかし本当に大事なのは、見えない土の中にある。


春先になると、私は植物の様子をよく眺める。


新芽が出ていないか。


葉の色は変わっていないか。


水は足りているか。


毎日見ていても、大きな変化は分からない。


それでも、ある朝ふと気づく。


「あれ、こんなに伸びていたんだ」


植物は成長している瞬間を見せない。


けれど確実に育っている。


信頼も同じだと思う。


縁も同じだと思う。


仕事も同じだと思う。


今日誰かの話を聴いたこと。


今日誰かを理解しようとしたこと。


今日誰かに感謝を伝えたこと。


それらはすぐには結果にならない。


けれど消えてもいない。


土の中で静かに根を伸ばしている。


だから焦らなくていい。


派手な近道を探さなくていい。


まず目の前の人を大切にすればいい。


耳を傾ければいい。


理解しようとすればいい。


聞く。


聴く。


訊く。


効く。


人生で大切なことの多くは、その四つの「きく」の中にあるような気がしている。


私はこれからも、人の話を聴いていたいと思う。


それは優しさのためだけではない。


仕事のためだけでもない。


人生そのもののためだ。


春先の植物は返事をしない。


それでも私は今日も水をやる。


いつか葉をつけることを信じて。


人との関わりも、きっと同じなのだと思う。





#創作大賞2026
#エッセイ部門

..................…............…....................…............…...............…#エッセイ
#日常エッセイ
#葉レモン
#1 /5 圧縮

既存の未公開原作【完全版】は第4章編成になり、25,000文字程度にもなりました…。6話で投稿する感じになりそうなので、noteでは反応を見て検討したいと思っています(笑)💧ヒトリゴト


いいなと思ったら応援しよう!