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小説のジャンルと資本主義

どんな小説のジャンルが好きですか?

こういう問いは自然なのだと思いますが、もし、僕が聞かれたら困ってしまいます。どんなジャンルがあるのかを詳しく知らないので。

ファンタジー小説、ビジネス小説、恋愛小説といったジャンルがあることをnoteで初めて知りました。僕はそれを窮屈なものと捉えています。僕の一番好きな小説は、アルベール・カミュの「異邦人」なのですが、これはどんなジャンルになるのでしょうか。いらなくないですか? ジャンル分けって。みんな小説じゃダメなの? なぜ分けるの? 分断すると得するのは誰?

分断すると得するのは、僕のようなジャンル否定論者以外の人たちなのだと思います。どんな風に得するのかというと「あなたもあのジャンルが好きなの? 気が合うね。私たち仲間だね」という感じです。ひとことで言えば「読者同士の会話が盛り上がるから」です。

換言すれば、そのジャンルの小説が売れるということです。読者同士の会話が盛り上がる。それは市場(コミュニティ)ができるということ。そのジャンルの小説が『商品』として売りやすくなる。

資本主義の構造として、あらゆる人間の欲望をあらゆる手段を使って貨幣に変えて搾り取ろうとするのは当然です。そして、もし人間の欲望がなくなったら作り出すわけです。作っては搾り取り、無くなったらまた作る。無限欲望自動生産機械として人は扱われています。そんな風にしたら、その機械は壊れてしまいそうですが、ある哲学者はこう言ってました。故障こそがその機械の燃料なのだと。

人が故障することを燃料とする。もっと正確に言うなら、人の欲望を故障させることが資本主義機械を稼働させる。思い当たるふしはないですか? 僕はあるような気がします。それが、修理できる故障ならいいのですが。

なんか話がズレたような気もしますが、ズレてはいません。小説のジャンルの話に戻します。

本来ならみんな同じ小説のはずです。しかし、何かが困るわけです。これは単純に、それを売ろうとする人が困る。誰にそれを届ければ買ってくれるのかがわからないからです。「小説です」というより「恋愛小説です」と言った方が届きやすいから。

買う側でも同じことが起こり、それらが握手してジャンル分けが成立して、売り手と買い手が得をします。つまり、ジャンル分けをすると経済界が得をする。noteでも同じですよね。学び、くらし、短編小説、AI、日常エッセイとかそんな感じでジャンル分けされる。経済界が得をするからジャンル分けしてる。みんな自分を交換できる、届けやすい商品としてジャンル分けする。

僕は別に、経済の邪魔をしようとしてるわけではなく、なんとなく「ジャンル分けなんていらないんじゃないの?」と思っているだけです。そういう姿勢なのですが、この姿勢が図らずも「資本主義の外側」になってしまったというわけです。外側からみるとよくわかる。逆に、内側にいるとよくわからない。「辞めてみたら、外から見たら、勤めていた会社のブラックっぷりがよく分かる」これと同じと思います。

人が故障することを燃料とする。
人の欲望を故障させることが資本主義機械を稼働させる。

こんな、どんなホラー小説よりもブラックな怖いことが現実に起こっているとするなら、小説なんか読んでる場合じゃないような気もします。僕たちは、僕たちを分断するものに警戒しなければいけないと思うのです。小説が、物語が、分断にあらがうそれであればよいと、僕は願うことしかできません。

ちなみに僕は、ジャンルに細断された僕を誰かに受け取って欲しいなんて、そんなブラックなことは……ちょっとは思うかな。こういう哲学っぽいエッセイ? と短い小説と短文にアカウント分けるとか。このくらいならなんともないけど。

「わたしは恋愛小説の、このカップリングかつ、この属性の、このシチュエーションしか刺さらん。同じ趣味の人と繋がりたい!」

こんな風になっていって、それが際限ないということだからね? 資本主義ってこういうことだから。通信が砂粒みたいに小さくなっていく。その小さな特異点がわたし。そこで仲間が増えたら楽しい代わりにわたしが「みんな」に埋没する。そして、また繰り返し。そんな無限に小さくなっていく回転は、奇妙な概念に至る。あるいは、僕にとってそれは、逆転だったのかもしれない。


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