週刊Geminiと俳句生活🧃vol.5
その日の出来事をGeminiに投げる。
返ってきた俳句の中から、私が「これやな」と思う一句を選ぶ。
一週間分の中から、特に気に入った句だけをここに残していく。
梅雨である。
外は雨。
空気はジトジト。
洗濯物は乾かない。
髪はうねる。
心まで、なんとなく湿ってくる。
先週は、治安悪めの俳句と川柳に昭和歌謡をぶつけ、なんとか禊をした。
今週は、そこから少し静かになった気がする。
全体的に、ちょっと湿っている。
まあ、梅雨なので仕方ない。
では、今週の俳句を見ていこう。

6/19(金)
紫煙(しえん)絶(た)え
おやじの背(せ)なや
風鈴能(ふうりんのう)
喫煙所でタバコを吸っていた。
すると、知らん喫煙者がゴミを落とした。
私はそれを見た。
見たが、拾わなかった。
なぜなら、知らん奴が落としたゴミを拾いたくなかったからである。
正直である。
人としてどうなのかは置いておく。
少なくとも私は、その時、拾わない側の人間だった。
しばらくすると、また別の知らん喫煙者が入ってきた。
お爺さんだった。
そのお爺さんは、床に落ちているゴミに気づいた。
そして、何も言わずに拾った。
そのまま灰皿に捨てた。
偉い。
普通に偉い。
私は自分が拾わなかったぶん、余計にその背中を見てしまった。
注意するでもなく、文句を言うでもなく、ただ拾う。
こういう人、たまにいる。
うるさく正義を語らない。
ただ、目の前の汚れを片づける。
紫煙が消えたあとの喫煙所で、知らんおやじの背中だけが少し涼しかった。
私はタバコを吸いながら、静かに思った。
今日の負けである。

6/23(火)
香水や 私は誰の 過去にも似ず
昔の曲を聴いていたら、幼い頃のことを少しだけ思い出した。
私には祖父も祖母もいた。
末っ子だったので、それなりに可愛がられていたと思う。
祖父が歌っていた演歌の歌手は、もうこの世にはいない。
祖母と一緒に観ていたテレビ番組のコメディアンも、もういない。
ドラマに出ていた俳優も、気づけばどんどんレジェンドになっている。
レジェンド。
便利な言葉である。
要するに、私の子どもの頃に当たり前に存在していた人たちが、少しずつ過去の中へ移動しているということだ。
昔の曲を聴くと、その移動に気づく。
あの頃の茶の間。
祖父の声。
祖母の横顔。
テレビの音。
なんとなく覚えている空気。
別に毎日思い出しているわけではない。
でも、音楽は急に昔の部屋のドアを開けてくる。
ちなみに私は、香水をつけない。
つけないのに、今日の句は香水である。
どういうことか。
たぶん、記憶には匂いがあるのだと思う。
実際の香りではない。
でも、思い出すとそこに何かの匂いがある。
古い家の匂い。
テレビの前の空気。
祖父母の生活の匂い。
私はいつか死ぬ。
その時、誰かが私のことを懐かしんでくれるだろうか。
「そういえば、あの人おったな」と思ってくれる人はいるだろうか。
できれば私は、誰かの過去の中で、その他大勢みたいに薄まるのではなく、ちゃんと私として残りたい。
誰かに似ていた人ではなく。
誰かの代わりでもなく。
私は、誰の過去にも似ていない独立した存在でいたい。
香水はつけない。
けれど、残り香くらいは残したい。
なかなか欲深い女である。

6/25(木)
梅雨下(つゆした)や 過去の私に 会ふ画面
今日は大雨の予報だった。
かなり降るのかと思っていたが、実際はそこまで酷くはなかった。
拍子抜けである。
とはいえ、空はしっかり梅雨だった。
重い。
湿っている。
なんとなく低い。
そんな日に、noteの自分の過去記事を読み返していた。
過去の私が、画面の向こうにいる。
近いようで遠い。
書いたのは自分なのに、少し他人みたいでもある。
最近の私は、暗めの記事が多かった。
梅雨か。
私の文章まで梅雨入りしていたのか。
ただ、読み返していると、少しずつ持ち直している感じもある。
暗いところを通ったあと、だんだん明るい方へ顔を出している。
完全な晴天ではない。
でも、雨雲の隙間くらいは見えてきた。
過去の記事を読むというのは、過去の自分と面会するようなものだ。
「あんた、しんどそうやな」
と思う日もあれば、
「まあまあ面白いこと書いてるやん」
と思う日もある。
梅雨下の画面。
そこには、少し前の私がいた。
暗かったけれど、ちゃんと書いていた。
それだけで、まあまあ偉い。
今週の句をGeminiに詠ませると、発表していない句も含めて、なかなか読みにくいものが多かった。
五・七・五を無視する。
造語を多用する。
季重なりも普通に起こす。
どうした、Gemini。
例えば、今回採用した句に出てくる「風鈴能」。
全く意味が分からない。
しかし、知らんおやじがゴミを拾う動き方は、まさしく能みたいに遅かった。
ゆっくり。
静かに。
無言で。
だから私は、迷わず採用した。
「梅雨下」もそうである。
最初、Geminiはこれを「つゆれか」と読ませていた。
絶対に嘘である。
これは信用ならないと思い、チャッピーに聞いて読みだけ直した。
うちのGeminiは無料版である。
そろそろボケてきたのではなかろうか。
いや、無料版にそこまで求めるなという話かもしれない。
こちらも無料で俳句を詠ませている身である。
しかし、俳句生活を名乗る以上、季語と五・七・五くらいは大事にしてほしい。
これからは、週刊俳句生活をチャッピー有料版に任せようかと本気で考えたりしている。
では、来週はGeminiがチャッピー有料版に座を奪われているかもしれないけれど、お楽しみに。
