『ワールドトリガー』は壊滅的なダメージを受けた組織と人間の「その後」を描く
漫画『ベルセルク』において、かつて鷹の団に所属していた数少ない生き残り、リッケルトというキャラクターは、物語が進めば進むほどその重要性が高まっていったように思える。
なぜなら、「蝕」以降に主人公であるガッツが選んだ戦いの道とは異なる道をリッケルトは歩んでいるからだ。

ガッツとは別の「その後」を生きるリッケルトがいることで、そうするしかなかったとはいえ、修羅の道を邁進するガッツの視野狭窄状態や、一種の独善性みたいなものがあぶりだされ、物語にガッツとは異なる視点と価値観で、かつての仲間の喪失に向き合う一人の人間の在り方が描かれる。
『ベルセルク』最大のクライマックスであり、最大の悲劇である「蝕」以降に生き残っていたのがガッツとキャスカ以外にもいたこと、なんなら「蝕」そのものは経験せずに生き残り、そのことに負い目すら感じている存在としてリッケルトがいるということは『ベルセルク』という物語にとって非常に重要なことである。
仲間が「半分」亡くなっている旧ボーダーという組織
今回の本題である『ワールドトリガー』では、19巻に収録されている第162話において衝撃的な事実が明かされる。そこで判明したのは、かつて少人数で活動していた旧ボーダー組織に所属していたメンバーの存在である。
修が見つけたその写真には現在においても玉狛支部に所属するメンバーや忍田や城戸など、ボーダー本部に所属するメンバーが映っているものの、大半の人間は初めて見る顔であった。それもそのはずで、その写真に写っている19名の内の10名はかつてあった大規模な戦いで、既に亡くなっているからだ。

現在においても、作中で亡くなった旧ボーダーメンバーは名前は明かされているものの、それぞれがどのような人物であったかについてはほぼ描かれていない。苗字の一致などから作中の人物の血縁関係が予想されたり、作者が稀に行うQ&Aコーナーでブラックトリガー化した人物が明かされた程度である。
この19名中9名が生き残っているというのが非常に『ワールドトリガー』らしいところで、『ベルセルク』における「蝕」以降の生き残りであるガッツ、キャスカ、リッケルトがそれぞれの道を歩むように『ワールドトリガー』においては生き残った9名がそれぞれ道を歩み、それぞれの「その後」が描かれている。
たった19名の小さな組織から戦闘員だけで数百名が所属するように組織を短期間のうちに大規模化させた城戸正宗、本部に所属しながら住民の安全を優先する忍田真史、旧ボーダー本部に変わらず拠点を構え、旧ボーダーと一番変わらない形で活動継続しつつ本部とは距離のある玉狛支部に所属する林藤匠、林藤ゆり、木崎レイジ、小南桐絵、迅悠一。そして19巻時点では登場しない本部所属のエンジニアの桐山諒治とこの戦いを機にボーダーを辞めた九条真都。
この生き残った9名がそれぞれの道を歩むことで、結果的にかつてのボーダーに起きた壊滅的な出来事が如何に大きな出来事であったのかが、複数の視点から厚みのある形で浮かびあがってくる。一つの悲劇的な出来事が招く未来は一つではない。それを経験した人の数だけ「その後」の歩みと未来の形は変わる。『ワールドトリガー』19巻第162話で判明したのは、本作がそのようなやり方で「その後」を描く物語でもあったのだという事実である。
だが、そんな中においても特異な存在が、生き残りメンバーの一人、迅悠一である。なぜなら彼は「未来視」の能力によって、未来を予知し、変化させることが出来る人物だからだ。
なぜ迅は旧ボーダーの壊滅を回避出来なかったのか
旧ボーダーの壊滅という出来事が起きたことに関しての最大の謎は、なぜ「未来視」のサイドエフェクト(副作用)を持っている迅悠一が、その未来を事前に予測し、回避することが出来なかったのかということである。
彼の「未来視」は、予測した未来に対して比較的容易に干渉が出来て、望む方向に変えることが出来る。実際に大規模侵攻編などにおいても迅悠一の能力は如何なく発揮され、被害は最小限に抑えられている。
なぜ彼はこの未来を事前に察知し、対策が打てなかったのか。それとも、事前に察知した上で最大限の努力をした上での「半数の死亡」という結果だったのか。
いくつかの可能性は考えられるが、過去に起きたことは変わらない。迅悠一は旧ボーダーの壊滅を回避することは出来なかった。この事実が彼に現在においても暗い影を落としていることは間違いない。
そう考えると、林藤や木崎、小南達がかつてのボーダーの拠点を離れずに活動している理由の一端には、迅悠一のケアという側面があるようにも思えてくる。
生き残った旧ボーダーの背負った負い目は相当に重いが、中でもそのことを事前に予知出来ていたにも関わらず、半数の死を回避出来なかった迅の絶望は、想像を絶するものがある。彼は未だにその「未来視」の力をボーダーのために発揮し続けている。組織内においては終始明るく振舞う彼の歩みは想像以上の苦難に満ちている。
作中で訓練(ランク戦)や試験ばかり描かれていたり、大規模な戦闘が2回くらいしか起きてなかったり、戦闘においてもトリオン体という設定に加えて、緊急脱出(ベイルアウト)機能によって極力「死ににくい」、ともすればゲーム感覚的とも捉えられがちな『ワールドトリガー』の世界は、この19巻第162話によって、当たり前のこととして「死」が存在するという事実をあらためて突き付ける。
そして、大きな災厄によって多くの命が失われた経験をしているのは旧ボーダーのメンバーだけではない。物語の舞台となる三門市は、冒頭において、近界民の侵略によって1200人以上の死者と400人以上の行方不明者を出すという甚大な被害を受けている。つまり、「その後」を生きるのは『ワールドトリガー』に登場する三門市に住む人間たちほぼ全てなのである。
「遅効性SF」とも称される『ワールドトリガー』がなぜ、じっくりと時間をかけて様々な視点から物事を描こうとするのか、その最大の理由は本作が「喪失の後」を描こうとしているからだ。大きな喪失によって負った傷は簡単には癒えない。だからそれぞれの人間にそれぞれの向き合い方、歩み方がある。そのことに対して愚直なまでに誠実であろうとするのが『ワールドトリガー』なのだと思う。そしてそんな「その後」の物語は、3.11やコロナ禍といった「喪失の後」が当たり前の日常と化した我々にとっても無関係な物語ではないのである。
