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誕生日に父を看取ったわたしが今思うこと

またひとつ歳を重ねました。

この1年はまた、面白い時間でした。
去年の誕生日は休みをとり
ひとりで前夜から当時1番気に入っていた
ADDressの鶴巻温泉の拠点に入り
大山阿夫利神社にお詣りし
滝をみたりしてきました。
拠点近くの温泉に歩いて行き
夜は拠点に住んでいた知人と食事をし
なんて自由なんだろう、と
幸せを感じていました。
この1年このことが
わたしの価値観を大きく変えたと
ずっと感じていました。

子どもの頃
わたしの母親は非常に仕事熱心な教員でした。
7月18日という日は
夏休みにはいる直前で忙しく
誕生日と言っても何か特別な
その日は主役、という感じは薄かったです。
父は昭和ひとケタ生まれの
昔の寡黙なお父さんでしたし
兄は歳が7つ上で、反抗期でしたし。

ケーキくらいは食べたと思うのですが。
母も心苦しかったようですが
わたしも誕生日は梅雨明け前の空のような
ちょっとどんよりした気持ちが
強かった記憶があります。

学生の頃は、友達や当時のボーイフレンドと
過ごしていました。
高校や大学の夏休み前は
恒例のボランティアのイベントの準備に
追われていましたね
3交代勤務の職場に就職してからは
もちろん誕生日も普通に仕事ですし
なんとなく誕生日の特別な思い出
というものには縁がないなあ、と
思っていました。

子どもたちを育てながら仕事をしたり
リスキリングをしていた時期は
自分の誕生日どころではなく、食事に行くにも
子どもたちが好きなものになります
それはそれで
とても幸せなことですけれどね。
お母さん何欲しい?って聞かれて
「休みと自分の部屋」とか言ってました。
今思うとひどいですね。

2020年の誕生日に
決定的なことが起きました。
自宅療養中だった父が
わたしの掌の中で、息を引き取ったのです。
お酒の好きだった父
最期にスポンジブラシに獺祭を染みこませて
味あわせてあげました、
がん末期と言われて5年過ぎ、痛みも出ず
伏せたのは最後の数日、在宅で。
娘としてもケアマネとしても
悔いのない看取りではありました。

わたしの生まれた家族にとってこの日は
父の命日、として上書き保存されたのです。
家族とわたしの関係性のなかでこのことは
とても象徴的なように感じられました。
この先ずっとこの日は
父が亡くなったことを重ねて思い出すのだ、と。

1周忌、3回忌と
誕生日当日ではないけど、法要が続き
なかなか悲しみの癒えない母もおり
わたしの誕生日を祝う、ということが
憚られる雰囲気でした。
だれもそんなことは言わないけれども
幼いころからこびりついた思いから
勝手にそんな気がしてしまっていたのです。

その後わたしは
自分の人生の残り時間を最大化しようと
起業して、リスキリングし、推し活に励み
旅も多拠点生活もしていくうちに
少しずつ、自分を大切にすることと
他人のために働くことに矛盾がないことが
わかってきました。
あらゆるところで
時々投げかけられてきて刺さっていた
人間関係に関する小さなネガティブな言葉は
意味がわかると呪いが解けたように消えて
人とのゆるいつながりが
広がっていったのです。

昨年の誕生日
父の仏壇にはあらかじめ花をお供えし
ひとりで行きたいところに行き
好きなことをしたこと
仕事、多拠点生活、地域活動
ALFEE(坂崎さん)の推し活
SNSやリアルでのつながりに後押しされて
やっと自分のいろいろな要素が
ひとつになったと感じています。

誕生日の今日も推し活です。
もともと好きな古いもの
×新しく好きになった人
という最高の組み合わせを
ひとりで、そして、同じ人を愛している方々と
ゆるくつながりながら
楽しんでこようと思います。

お読みいただき
ありがとうございました。

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