見出し画像

ひとつ歳を取った私の、今年の目標|セルフ・コンパッション

今日、誕生日を迎えました。
何歳になっても、誕生日は大切にしていたい派の私です。

今年の目標は、「自分を大切にできるようになること」にしました。
最近気づいた私の課題です。


私は、自分を大切にするのが苦手です。
自分をいたわるより、努力しようとすることを優先してしまいがちです。

自分をほめるのも苦手です。
よくある「1日の終わりに自分をほめましょう」みたいなのを試した時も、その日できたことを挙げたリストを見て、心のどこかで、
「こんなのできて当たり前だ」
「こんなことで自分をほめるなんて甘い」
と思ってしまいました。
他の人には絶対こんなこと思わないんですけどね。

自分で自分をほめられないせいで、自分の評価が他者からの評価に依存してしまっています。
自分の価値を、他の人からほめられたか、注意されたかで決めてしまいがち、という感じです。

自分で自分をほめられない分、人に褒められるととても嬉しいです。
ただ、人からほめられることだけが自分の価値のように思ってしまっている部分もあります。

だから、逆に人から注意されたり指摘されたりすると、自分の価値がなくなったような感覚になって、すごく悲しくなります。

悲しいのは、認知の歪みのせい?

認知行動療法的には、事実と認知を混同してしまっているのだと頭では分かっているのですが、心がどうしてもダメージを受けてしまいます。

でも、ここで区別しておきたいのは、悲しい出来事は認知の歪みとか関係なく悲しいよね、っていうことです。

例えば、就職が決まってすぐに支援者さんに呼び出されて、私のできていないところを羅列されたこと。

もちろん、認知行動療法的に見たら、職員さんは事実を羅列しただけ。それを、責められてるとか否定されてるように感じているのは私の認知。
認知の歪みが原因なのかもしれない。

でも、その時悲しかったことも、私にとっては事実なんです。この悲しさを、認知の歪みだけで片付けたくないなと思っています。

でも、悲しかったのは受け入れつつ、支援者さんにそう言われたから私の内定した喜びの価値まで消えるとは思いたくない。
そこで、支援者さんや他の人たちが何と言おうと、自分では自分をほめられるようになっていたいです。

具体的にどうするか?|セルフ・コンパッションという考え方

私のこの「自分をほめられない」、「自分を大切にできない」というクセは、完璧主義と一緒に長い年月をかけて作られた根深いものだと思っています。
ただ「自分をほめてあげよう」「大切にしてあげよう」と心がけるだけでは、自分へのほめ言葉はただ白々しく感じられて、心に響いてきません。

じゃあ、どうするか。
いろいろと調べていて出会ったのは、「セルフ・コンパッション」という考え方です。

セルフ・コンパッション
悩んでいたり、苦しんでいる自分に、友人や大切な人に対してと同じように優しさや思いやりを向けることを、セルフ・コンパッション(self-compassion)といいます。

有光興記著「やさしいセルフ・コンパッション ―気持ちが軽くなるワークブック―」より


この本はまだ途中までしか読めていないですが、自己批判の3つのタイプはすべて当てはまるなと思いました。

①「もっと頑張らなければ」「この程度で満足してはダメ」と自分を追い立てる(不十分な自己型
②失敗や欠点に対して、「自分なんていない方がいい」「どうせ誰にも好かれない」と感じる(嫌われている自己型
③「ちゃんとしないと人に嫌われる」「期待を裏切ってはいけない」と先回りして行動を制限する(他者依存自己型

有光興記著「やさしいセルフ・コンパッション ―気持ちが軽くなるワークブック―」より


セルフ・コンパッションに関して、今の時点でいいなと思っているのは、「無理に自分を好きになる必要はない」という点です。

自分を大切にする方法を探すと、自分をたくさん褒めてあげましょうとか、自分を好きになってあげましょう、という考え方が出てくることがあります。
それはそれで素敵な考え方だとは思いますが、いくら試しても私には響きませんでした。
そのうち、上手くできないことがつらくなってきてしまい、長続きしないというのが今までのパターンでした。

セルフ・コンパッションでは、「自分のありのままを受け入れる」ことを大切にします。
自分を認められない自分も、自分を好きになれない自分も、それでいいよねと考えられたら、少し楽になれる気がします。


来年の今日、私はどうしているかな。
仕事は続けられているかな。
勉強は続けられているかな。

とりあえず、元気でいてくれたらいいなと思います。
そして、いまよりちょっとでも、自分を大切にできる自分でいられたらなと思います。

いいなと思ったら応援しよう!