透明レモンソーダ 第三章 第一話

第三章

 右手にパフを、左手に化粧道具を持った茶色の髪を一つに結った少女が、にっと口角を上げてこちらに向かって笑いかける。

『かわいーは作れるんだよー』

 『んふふ』と笑い声を零してから鼻歌を歌いだす。下がることのない口角と歌いながらパフを動かすその姿はひどく楽し気であった。

『まー』

 鼻歌が止み、茶髪の少女が手を止める。

 まっすぐこちらを見て、花がゆっくりと開くようにとても柔らかく笑った。

『明日香は最初からかわいーんだけどね!』

 ——澄華の方が綺麗で、可愛いよ。

 その言葉を紡ぐ前に、茶髪の少女——透水澄華は佐藤明日香に対して化粧を施したのだった。



第一話

 ——トオミ、自殺したらしいんだわ。


「うー、頭痛い……」

「あ~~学校きっつ」

 前田は頭を抱えながら、青い顔をした愛崎と肩を並べて講義棟の廊下をのっそりのっそりとまるで冬眠から目覚めたばかりの熊のような足取りで歩いていた。

 好いている人である佐藤に好きな人がいると発覚してから居酒屋でお酒を浴びるように飲んだツケが翌日になってやってきたというわけである。透水澄華が自殺したとの話が出てからというもの、三人は言葉を発することなくひたすらお酒を飲んだ。酔うほどに酒を飲むと決めていた前田だけでなく、いつもであれば自分の限界を把握して考えながら飲んでいる愛崎でさえ、がぶがぶと店の酒を飲み干す勢いで飲んでいた。その後、三人の中で店から一番近い場所に一人暮らしをしている馬場の家にあがり、床に三人並んで横になり、夜を明かしたのだった。

 朝になって体の節々が痛んだが、今日も平日で、もちろん講義がある。前田は愛崎の腕を引いて重い体を引きずりながら馬場の家を出た。一番飲んだらしい馬場は二日酔いにやられ、トイレにこもったまま前田と愛崎を見送った。

 鈍い痛みを発する重い頭を押さえながら教室に足を踏み入れる。他の学生の話し声も今ばかりは煩わしかった。

 二日酔いを抱えた身体は鉛のように重い。今すぐにでもベッドに横になって眠ってしまいたいと心が叫んでいる。だが、習慣というのは身体に染みついてしまっていて、いつものように目は佐藤の姿を、耳は佐藤の声を探していた。

 あぁ、いる。

 佐藤は講義が一番聞きやすい席に座って名前も知らない女子学生と楽しそうに会話をしていた。

 今、佐藤にあったとして、何を話したらいいのだろうか。タバコのことは昨日の時点で終わっている。好きな人についても『内緒』と言われてしまったのだから、今聞いてもはぐらかされてしまうことはわかりきっている。ならば、透水澄華について聞くのか。だが、自殺した少女のことを聞いたとして、どうすればいい。どうして似ているのかを聞いたとして教えてもらえるのだろうか。あぁ、もっと自分にコミュニケーション能力があれば、上手く聞き出せたのかもしれないのに。

 ぐるぐると考えていると、愛崎に背中を少し乱暴に叩かれる。背中からの衝撃で考えていたことが全て飛んで頭の中がまっさらになった。

「ちょっと!」

「いーからいくぞー。ここで止まったら他の奴らに迷惑」

 そういえば、まだ入り口だった。

 愛崎に背中を押されながら教室の中を進んでいく。

「愛崎!」

 進先には佐藤がいた。慌てて背中を押す男の名前を口にするが、返事がくることも背中を押す力が弱まることもなかった。

 二日酔いで思うように動けず、無理矢理歩かされながら佐藤の前に立つ。

「お、おはよう……」

「おはよう」

 佐藤が口角を上げいらえる。頬にはえくぼがあり、昨日見た写真を彷彿させる。

 佐藤の様子はいつもと同じであった。前田に喫煙者だと知られたことが嘘のように、いつもと同じ笑みを浮かべて、いつもと同じ明るい声で挨拶を返した。

「はよー」

「おはよう!」

 佐藤と話していた女子学生に愛崎が挨拶をする。

「え、お酒の匂いする……」

「愛崎、お酒飲んだ?」

「そー。お酒飲んだ……ってか、俺酒臭い? ちゃんと風呂入ったんだけど」

「酒臭いのはマジ」

「でもちょっとだよ。この子の鼻がいいだけ」

「もっとファブればよかったな」

「ファブっても変わらないと思う」

 会話を広げられずに立ち尽くすしかできない前田の隣で愛崎が女子学生と言葉を投げあう。

 酒臭いと笑われている愛崎を見ながら前田は腕を持ち上げて顔の前にもってきて自分の服を嗅いだ。酒の匂いはわからなかった。

「さ、佐藤さん」

「なに~?」

「隣、座っていい?」

「うん。いーよ」

 「失礼します」と断りを入れて佐藤の隣に腰を下ろす。

 佐藤は口を閉じて愛崎と女子学生の会話を静かに聞いていた。無理に会話に入るのではなく、時折小さく頭を振って相槌を打ち、他の人に合わせて笑っている。自然に会話の輪に溶け込んでいた。

 じっと佐藤を見ていると、佐藤が前田の方を見て頭を傾けた。まるで言葉の続きを待っているかのように、濃い茶色の瞳の中に前田の姿を映して、ゆっくりと瞬きをする。

「あの、えっと」

 ただ見ていただけとはいえず、言葉を探す。何か言わなければと思えば思うほど言葉が口の中で溶けて消えていく。

「うん」

 佐藤が小さく頷いた。それは聞いているよと言っているかのようだった。

「佐藤さん」

 言葉がするりと口から出てくる。真っ白になった頭の中で一つの言葉が生まれた。

「聞きたいことが、あるんです」

 答えてくれるかはわからない。でも、聞きたい。

「何を聞きたい?」

 透水澄華さんのことを、聞きたい。どうして、似ているのかが知りたい。

 好きな人が誰か、知りたい。

 だが、きっとこれはたくさんの人がいる場所で聞くべきことじゃないと思うから。

「人がいない場所で聞いてもいい、ですか」

「いーよー」

 「私に聞きたことかー。なんだろうねー」なんて肩を揺らして笑いながら言う。断られないことに胸をなでおろしながら、口を開いた。

「今日はいつ開いてる?」

「今日?」

 佐藤が鞄からスマホを取り出す。その時に、黄色のライターが一瞬だけ見えて、思わず目を伏せた。佐藤は慣れた動作でアプリを起動し、スマホでスケジュールを確認する。

「今日は四限までだから、そのあとの時間なら大丈夫」

「俺も四限のあとなら空いてる」

「じゃあ、その時間にしよっか。場所は食堂でいい? その時間だと人も少ないだろうし」

「う、うん」

 前田が頷いたのを見て、佐藤はスマホを鞄に戻してから言った。

「それじゃー、今日の四限のあと、食堂でね」

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