透明レモンソーダ 第三章 第三話

第三話

 やってしまった。

 後悔ばかりが心の中でぐるぐるぐるぐると永遠と回っている。何度つばを飲み込んでも口の中の渇きは満たされず、手を握ったり開いたりしても震えは収まらなかった。

「はぁ…………」

 吐き出した息は重く、情けないほどに震えていた。

 リュックサックを強く抱きしめて頭を振る。先ほどの己の失態ばかり考えていると鼻の頭がつんと痛んで、どうしようもなく死にたくなった。

 何か、違うことを考えよう。

 しつこいほどに頭を横に振る。バサバサと揺れる自分の黒い髪が鬱陶しく、少しだけ心の底に横たわる淀みを忘れられた。

 考えろ。

 佐藤にとって透水はどんな存在だったのだろうか。

 なぜあんなにもはっきりと自殺だと断言できたのだろうか。

 なんで、佐藤は透水の真似をするのだろうか。

 ゆっくりと呼吸をする。

 考えても何もわからなかった。

「ねぇ」

 耳元で声が聞こえ、顔を上げて声の主を探すように横を見る。

 そこには衝動でお菓子を広げて談笑していた女子学生二人が立っていた。

「えっと……」

 女子学生の顔をじっと見つめる。緩く巻かれた薄い色の髪の毛に整えられた眉毛、きらりと光るアイシャドウに涙袋。ぷっくりとした唇が動いて「ねぇ」と音を零した。

 目の前にいる女子学生とその後ろにいる女子学生は似ているけれど、似ていなかった。二人の容姿は他の女子学生とも似ているようにも見える。

 だが、二人と面識があるか否かでいえば、否である。二人とも全く知らない人たちであった。

「ごめんねぇ、さっきの会話聞いちゃった」

 目の前の少女が「えへっ」と笑っていう。前田は「はぁ」と答えることしかできなかった。

「スミちゃんのこと、知りたいの?」

「え、」

「さっき明日香とスミちゃんの話してたよね?」

 女子学生二人が顔を見合わせて「ねー」と声を揃える。

「スミちゃんって、透水、さんの、こと……?」

「そーだよ。とおみすみか、だから、スミちゃん」

「あたしたちスミちゃんと明日香と同じ高校だったんだよね」

「え!?」

 思わず大きな声を上げると、女子学生は「あっはっは」と爆笑して前田の目の前の席に座った。

「でさ、スミちゃんの何が聞きたいの?」

「あたしたちの知ってることなら教えられるよ」

「あ、ありがとうございます!」

 慌てて頭を下げると笑い声が降ってくる。目線だけあげて女子学生たちを見ると、二人はテーブルの上にお菓子を広げて食べながら笑っていた。スナック菓子の袋がガサガサと音を立てていた。

「それで、スミちゃんのことだよね」

「は、はい」

「スミちゃんね、ちょーいい子だった」

「マジそれな」

 いい子。三文字を口の中で転がす。そんな子が、自殺……。

「スミちゃんさー、誰にでも優しいの」

「一人の子がいたら声をかけるし、話すのがうまくない子の話もちゃーんと最後まで聞いていた」

「そうそう。まっじで優しかった~」

「ね! んで、笑顔がすっごく可愛いの」

「だから澄ちゃんの周りにはいっつも人がいた」

「スミちゃんが一人でいるところなんて見たことないかも」

「それな~!」

「誰かに囲まれてて、めちゃくちゃ人気者だった。男子は必ず一回スミちゃんに告白してフラれてたよね」

「本当に優しくていい人だったから嫉妬すらできなかった。告白されも羨まし~と思うより、やっぱね~って納得しちゃったもん」

「ほんとそれ。高嶺の花? みたいな近づきがたさはないけど、みんなの目を引く人だった!」

 女子学生たちは前田を気にする様子もなく、過去の話で盛り上がっていく。

 お菓子がどんどん減っていく。無くなっては、新しいお菓子が開けられる。二人の会話が途切れることはなかった。

 透水という人物について二人が語れば語るほど、佐藤と似ていると思った。誰にでも優しい、一人の人に話しかける、相手の話を最後まで話を聞く。佐藤明日香の周囲からの評価と同じなのだ。真似ている、という言葉が現実味を帯びていく。

「だからさ、今の明日香の姿を見てすっごいびっくりしたんだよね」

 唐突に佐藤の名前が出てきて体がびくりと揺れる。

「ホントにね!」

「スミちゃんじゃんって思った!」

「マジでそっくりすぎる。まるでスミちゃんの生き写し?みたいな」

 他の人から見ても似ているらしい。佐藤の真似は完成度が高いと言っても過言ではないだろう。

「あ、あの!」

「ん?」

「なになに」

「佐藤さんと、透水さんって、ど、どんな関係……だったんですか?」

「かんけー?」

 女子学生二人が顔を見合わせて首を傾げる。それから前田と向き合うようにして座り直し、スナック菓子に手を伸ばして食べ始めた。

 咀嚼する音と「んー」という考えているときに漏れてしまうような意味のない音が混ざり合ってテーブルの上に落ちていく。ゆっくりと嚥下してから、一人が口を開いた。

「つるんでいるところはあんまり見たことないかも」

「だよね~。まぁ、でも? スミちゃん、いろんな人と話すから、明日香と話していてもおかしくはないよね」

「むしろ会話してないと変」

「たしかに」

「明日香はさぁ~、クラスの端っこで本を読んでる地味な子だったし」

「え、」

 佐藤さんが、地味? なんだそれ。

 何の、冗談……?

「あーでも、誰彼構わず飴とかグミとか配ってた」

「お腹空いたときは明日香のとこいけばいいって皆言ってたよね」

「ふつーにくれるしね」

 二人がチョコレートに手を伸ばす。甘い塊が二人の口の中で溶けていく。

「明日香は陰キャでスミちゃんは陽キャ。相容れない関係だったと思うよ~」

「スミちゃん、あんなことあったからさ、成り代われるとでも思ったんじゃない?」

「うわっ、ありそー」

 カラカラと二人は口を開けて笑いあう。

「あんな、こと」

 思わず口を挟むと、丸い二対の瞳が前田を捉えた。

 二人の顔から色が抜ける。

「自殺だよ、じーさーつ」

「じ、さつ」

 オウム返しをすることしかできなかった。息を止めて二人の様子を伺う。

 二人はそれぞれお菓子を手に取るなり椅子の背もたれに身体を預けた。

 静かに呼吸をする。心臓が嫌な音を立てているような気がした。

「あの、本当に自殺、だったんですか……?」

「本当だよ」

「なんで、」

 そんなはっきりと断言できるのだろうか。

「みんな知ってるし、見てた人もいるから」

「え、」

「スミちゃん、飛び降り自殺したんだよ。学校の屋上で」

 前田は言葉を失った。息をするのも、忘れていた。

「あんた見た?」

「見てない~グロいって話だったから見れなかった。私、グロいのホント苦手でさ~」

「あたしも」

「屋上から、飛び降り……」

 見ている人もいるとの話だ。たしかに、それなら自殺だと断言できる。

「たしか……スミちゃんが死ぬとこ、明日香は見てたって噂あったよね」

「見て。た……?」

「あー、あったね、そんな噂」

 佐藤さんは透水さんが死ぬところを見ていた?

 人が死ぬところを見て、トラウマになることだってあると聞く。嫌な記憶を残していった人のことをどうして真似するのだろうか。

 憎いから?

 忘れたいから?

 どうして……?

 いや、それよりも、

「なんで、飛び降りなんか、」

「さぁ?」

 ザクザクとスナック菓子を咀嚼する音が響く。

「な、悩んでいた、みたいな話とか、ってありましたか?」

「どーだろ」

「スミちゃん、悩みとか愚痴とか言わなかったもんね」

「ね~」

「明日香が意地悪してて病んで飛び降りたんじゃない?」

「うわっ! ありそー!」

 ケラケラと笑う二人の声と袋がこすれる音、咀嚼する音が組み合わさって胃の中のものをひっくり返したくなるほど気分が悪い音を奏でる。今すぐにでもこの場から立ち去りたかった。

『似てる? そうだよ、似てるの、似せてるの。似ていて当たり前だよ。だって私が澄華の真似をしているんだもの。髪の毛の染め方も、結び方も、メイクの仕方も、笑い方も、全部、全部、全部、澄華が私に教えてくれたんだから』

 佐藤の言葉が頭の中に響く。

 嫌がらせをするような人にいろんなことを教えるのだろうか。前田だったら、絶対にそんなことをしない。

 目を閉じる。

 瞼の裏には眩しい淀輝かしい笑みを浮かべた二人の姿があった。

「あ、あと、ひとつだけ、いいですか?」

「ん?」

「さ、佐藤さんの近くにタバコを吸ってる人、いました?」

「そんなの先生くらいじゃない?」

「じゃ、じゃあ、透水さんの、近くには……」

「たしか、お母さんが喫煙者って、スミちゃん言ってたかも」

「たまにタバコの匂いしたよね」

「それがどうかしたの?」

「い、いえ、なんでも……」

 「ありがとうございました」と形だけのお礼をしてリュックサックを抱きしめたまま席を立つ。背後から別れの言葉を言われた気がしたが、前田は言葉を返すことも振り向くこともできなかった。


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