透明レモンソーダ 第四章 第一話
第四章
『はい、これ』
佐藤はポケットから黄色い袋に包まれた飴玉を取り出して、壁に身体を預けて空を仰いでいた透水に差し出した。
青々とした空に向けられていたこげ茶色の瞳がゆっくりと佐藤を見て、それから己に向かって差し出された飴玉を見る。
袋にはレモン味と丁寧に書かれていた。
『ありがと~』
透水がおもむろに飴玉を手に取って、丁寧に袋を引いてから黄色の飴玉を掲げる。
風がざあっと吹いて、茶色の髪と黒い髪を揺らしていく。
屋上は基本立ち入り禁止となっている。屋上へと続く扉は閉ざされていて、南京錠までつけられていた。しかし、屋上へと続く扉が閉ざされているのであって、非常階段につながる扉は開けられていた。建物の外につけられた非常階段を昇れば屋上に行くことができるというのは学生の間で暗黙の了解とされている。先生に見つからなければ問題はないのである。
校庭から見えない位置にある壁に背中を預けて、佐藤と透水は肩がくっつくほど近い距離に並んで座る。辺りには熱心に部活動に参加している生徒の声がとてもよく響いていた。
『綺麗だね』
小さく呟いて飴玉を口に入れる。
カラリと飴が歯とぶつかる音がして、透水の頬が動いた。
『澄華』
透水が佐藤の方を見る。
『おいし?』
『おいしーよ』
口の中で飴玉を器用に転がしてからいらえた。
『明日香がくれるレモンの飴が一番おいしい』
第一話
一度、整理しよう。
講義が全て終わって人が次々と帰っていく教室の中で前田は一人席から立たずにルーズリーフを広げて座っていた。
佐藤と話をし、女子学生二人から話を聞いた次の日。大きな後悔と疑問が心と頭の中を回り続けていたせいで眠ることもできず、目の下にはうっすらと隈ができていた。
まずは、佐藤さんのことだ。
佐藤明日香とそのまま書くと他の人に見られたときに言い訳ができない気がして、Aと書く。Aの隣にはBと書いておく。Aの文字の下に、箇条書きで言葉を連ねた。
・明るい
・誰にでも優しい
・交友関係が広い
・笑顔がまぶしい
書いた四つを大きなまるで囲み、その隣にBの真似と書く。
囲まれた四つの言葉の下に『本当のAは、』と書いてから言葉を並べていく。
・クラスの端にいた
・陰キャ
・地味
・Bの自殺をみた
・Bの値をしている
・飴をくれる
なんだか悪口みたいだ。
何とも言えない気持ちになりながら、初めに書いたBの文字の下に手を動かす。
・明るい
・誰にでも優しい
・人気者
・陽キャ
・高嶺の花?
・学校の屋上で飛び降り自殺をした
そこまで書いて、手を止める。
透水澄華。茶色の髪を一つに結った人。
飛び降り自殺をした人。
佐藤は透水の自殺を見たらしい。
透水の死を引きずっている?
トラウマ?
『似てる? そうだよ、似てるの、似せてるの。似ていて当たり前だよ。だって私が澄華の真似をしているんだもの。髪の毛の染め方も、結び方も、メイクの仕方も、笑い方も、全部、全部、全部、澄華が私に教えてくれたんだから』
でも、トラウマを与えた人の真似をするだろうか。
どんな気持ちで、佐藤はそういったのだろうか。
すべてを教えてくれたということから、仲が良かったことが考えられる。
嫉妬?
いや、嫉妬で真似をするのか?
それだけで、透水澄華を知っている人ならば驚くほど、まるで透水澄華のように成るだろうか。
『あんなことあったからさ、成り代われるとでも思ったんじゃない?』
透水澄華に成りたかった?
いやいやと思いっきり頭を横に振って、女子学生の言葉を頭の中から吹き飛ばす。
文字に起こしたところで前田の疑問が解消されることはなかった。むしろ堂々巡りで、全部投げ出したくなってしまった。
「何やってんだよ」
「エッチなやつ?」
頭上から声が降ってきたかと思うと、手の下にあった紙が一瞬にして消える。弾かれるように顔を上げれば、紙を手に持っている馬場と馬場とともに紙を黙読する愛崎がいた。
「ちょ、返してよ!」
馬場から紙を奪い返して、手の中で紙をくしゃくしゃにまとめる。皺だらけで丸くなったそれを鞄の奥底にしまいこんだ。
「悩んでんの?」
「話、聞こか?」
前田が返事をする前に二人が前田の前の席に腰を下ろす。教室には三人しか残っていなかった。
一度深呼吸をして、口を開く。
佐藤のことをA、透水のことをBとして、佐藤が自殺した透水のことを真似ていることを説明し、それがどうしてなのかわからないと伝える。最後の方は言葉が掠れてしまっていて聞き取りづらかっただろうに、二人は頷くだけで言葉を聞き返しはしなかった。
飛び降りた人の真似をするのは、どうしてなのだろうか。
「ふーん」
愛崎は全て聞き終わっても特に驚くことも考え込むこともなく、はっきりとした口調で、
「Aってさ、Bのこと好きだったんだな」
と、言った。
「え?」
「お、愛ちゃんもそー思う?」
「まぁ」
「え、ちょ、なんで!?」
なんでそう思うのだろうか。
「死んだ人のことを真似するって不謹慎じゃ……」
「別にそーでもなくね?」
「死んだ人のこと真似るって、忘れたくなくて縋っているようにしかみえねーよ」
「Bになりたいんじゃないの?」
「真似をしてもBに成れなくね?」
「BはBだし、AはAだろ」となんてことないように馬場は言った。
「AがBに成りたいなら殺して隠して入れ替わればいい」
「うわ、倫理的問題じゃん。愛崎こっえー」
「例えばの話だろ。つーか、倫理もクソもなくね? だってそうだろ。なりたいなら、成ればいい。でもAは真似をするだけ。それにBは自殺だろ? 自殺ってことは自分で死を選んだ。周りの人もBが死んだことを知っている。AはBが死んだことを知られているのに真似をしてる。真似をしていることを認めている。これ以上の答えはないだろ」
死んだ人のことを忘れたくなくて真似ている。教えてもらったことを、忘れたくないから。
愛崎の言っていることは一つの解だ。
しかし、前田は納得できなかった。
こぶしを握り締めて、じっと愛崎を見る。愛崎は前田を見てはいなかった。テーブルの上に視線を落として、何か別のことを考えているかのようだった。
「でも、AとBはどちらも女の子なんだ。二人の交友関係も本当にあったとはわからない」
「はっ」と鼻で笑う声がした。それが愛崎か馬場か、前田にはわからなかった。
「馬鹿だな」
「チッチッチッ、とーまちゃん、考えが古いよ~」
「なっ……んだよ、二人して!」
「このごじせ、たよーせだぜ?」
馬場が胸を張って言う。
だから何だというのだろうか。訳が分からず、目を白黒させることしかできない。
「お前さ、ジェンダーの講義受けてるくせにそんなこというのかよ」
「……」
ジェンダーの講義を受けているのは佐藤が選択しているからだ。受けたくて受けているわけではないし、まとも講義を聞いているわけでもない。興味がない分野ということもあって聞いても頭に入ってこないのだ。……そう言おうとして、やめる。
言い訳だ。言い訳に過ぎないのだ。
佐藤が透水のことを好いている。その事実を自分は認めたくないのかもしれない。
佐藤が同性愛者であることを、認めたくないのだ。
ジェンダーのなどどうでもよかった。同姓だろうが、異性だろうが、勝手に結ばれて勝手に破局すればいい。自分には関係のないことだ。ずっとそう思っていた。だから、まともに考えたことがなかった。好きな人が同性愛者で、自分は性的対象にならないなんて、そんなこと考えたくもなかった。認めたくなかった。
前田は佐藤が好きだ。
しかし、佐藤は前田のことを好きになるところか恋愛の対象とも見ていない。
そんなこと、認めたくはなかった。
きっとこれは間違った考えなのだろう。だから言葉にできなかった。目の前の二人に吐き出すことなどとでもできそうになかった。
「俺の友達にさ、ゲイがいんだけど」
黙り込む前田に向かって愛崎が言葉を投げる。
おそるおそる顔を上げると、前田と視線が交わった愛崎が困ったように小さく笑って、「あー、男が好きな男、な」と言葉を付け足した。
愛崎が頬杖をついて言葉を紡いでいく。目線は交わっているはずであるにもかかわらず、愛崎は前田を見ていなかった。
「そいつは自分が男であるけれど男が好きなことを理解してた。でも、それを公にしたくなくて、好きな人をつくらずに一人で生きてる。男が男を好きだなんて、変な話だって思う人もいれば、そう思わない人もいる。そう思わない人だって、自分が同姓に好かれたとたんに手のひらを返して『気持ち悪い』だのなんだろ言うこともある」
喉が渇いていく。唾をのんでみたが、喉をせりあがる焦燥は消えてくれなかった。
「誰が誰を好きでもいーだろ。男が男を好きなように、女が女を好きでいいんじゃないのか?」
「そーだぜ! 好きな人が同姓だったってこともあるだろ? あと、人ってさ、ずっと会わないと色々忘れてくんだぜ? Aはさ、Bのこと、めちゃくちゃ大好きだったんだよ。でももう会えない。会えないと、いろいろ忘れてく。好きな人のこと、忘れたい人なんていないんじゃね?」
人は忘れる生き物だと誰かが言ったのを思い出す。
好きな人のことを、忘れたくない。だから、真似をする。その人を、忘れたくないために。
その人を生き写したかのように、そっくりに、真似る。
佐藤は己の姿を見るたびに透水のことを思い出すのだろうか。
どんな気持ちで、思い出すのだろうか。
「それってさ、辛くないのかな」
「さぁ?」
「辛いかどうかはA次第だろ」
