見出し画像

デザートじゃんけんに参加する少女は単為生殖の夢を見るか?

うちの子が学校から持ち帰ってきた給食のメニュー表に、みかんゼリーの文字を見つけた。

みかんゼリー、懐かしい。

見た瞬間、小学校の給食の「デザートじゃんけん」を思い出した。

デザートじゃんけん。それは欠席者の分のデザートが余った時、それを巡って熾烈な争奪戦が繰り広げられる、小学校の風物詩である。

私が小学生だった昭和末期、デザートじゃんけんに参加するのは男子と相場が決まっていた。だからその日も、1つ余ったみかんゼリーの周りには、たくさんの男子が群がっていた。男たちの戦いを前に、教室には白熱した空気が充満している。しかし、そこに紅一点、果敢に戦いに挑む女子児童がいた!

そう、この私だ!

しかも、その女子は、やせ細った色白のひょろガリで、陰で男子たちから「もやし」のあだ名で呼ばれているという曰く付き。そんな女子が、クラスいち背の高い男子、クラスいち横幅のある男子、足が速い男子、ひょうきんな男子など、並み居る強豪が競うデザートじゃんけんに挑戦する!

すると、何が起こるか?

「女子のクセに、まだ食うのかよ?」
「女子でデザートおかわりしたいとか、ヤバくね?」
「そんなガリガリなんだから、もう食えないんじゃねぇの?」
「お嫁に行けなくなるわよ〜ん」

男子からの総攻撃が始まった!

ほほぅ、つまり考えるに、彼らは一人でも敵を少なくして勝つ確率を上げたいのではなかろうか?そのために、私が女子であることを利用して、戦意を喪失させようとしているのだろう。しかし、そうは問屋が卸さない!

「うるせぇな、食べたいモンは食べたいんだよッ!」

もやし女子も負けじと啖呵を切った!

さぁ、みかんゼリーを賭けた勝負の行方や如何に?!せーの、最初はグー、じゃんけんポン!

……と、まぁ、こんな感じの小学生時代を過ごしていた。当時の私は、なぜ他の女子が誰もデザートじゃんけんに参加しないのか、なんて考えたこともなかった。でも、今にして思うと、この暗黙のルールを理解できていなかったことが、その後の私の人生をずいぶんややこしくした。



中学校はマンモス校で、小学校からの顔見知りより、初めて会う生徒が多かった。

でも、女子はすぐにグループを作り、トイレに行くにも何をするにも、いつもグループで行動していた。私は小学生の時と変わらず、休み時間は一人でトイレに行っていた。

5月の連休明け、女子の一部が私を避けていることに気がついた。机にゴミや画鋲が入っているなんてこともあった。

「誰がこんなことを?」と思っていた矢先、小学校から一緒だった、同じクラスの女の子から電話がかかってきた。彼女によると、他校出身の女子たちの間で、私をいじめようという話になっていたらしい。

「花っち、休み時間一人でトイレ行ってるじゃん?あと授業中、男子も誰も手ぇあげてないのに、一人で手ぇあげて発表したりするじゃん?そういうのがムカつくって言ってる女子がいて」
「はぁ?なんでトイレに一人で行ったり、手あげたりしたら、ムカつくとか言われるの?」
「なんていうか、女子ってそういうものなんだよね……」

そういうものって、どういうもの?


1学期が終わり、夏休みになった。

母に「夏休みなのに、誰とも遊びに行かないの?」と言われたので、何度か「友達と遊びに行く」と嘘をついて家を出た。

駄菓子屋でガリガリ君を買って、近くの神社に行き、大きな杉の木陰で食べた。頭上では、蝉が途切れなく鳴いていた。図書館で、閉館まで本を読み続けた。帰り道、自分の何がいけないのか考えてみたけれど、あまりよくわからなかった。

結局、中学校の3年間、なんだか上手くできなかった私は、隣県の私立高校に進学することにした。



高校は女子高だった。

学校説明会で、校長先生は開口一番「我が校では中学校の内申書は、担任の主観も入るので、参考程度にしか見ません」と言った。中学校でテストの順位が良かった割に内申点が悪かった私には、お誂え向きだと思った。

入学してみると、まさにドンピシャ。休み時間は、トイレに行く子もいれば、次の授業の予習を必死にやってる子、漫画を読んだり、友達と喋ったり、早弁する子までいた。

中学校ではみんな同じアイドルの話をしていたけど、高校では自分がハマってる漫画をひたすら布教し続ける子、時代劇ファンで毎日『水戸黄門』を観てるという子もいた。

中学での閉塞感が嘘のように、高校は自由だった。

でも、みんな勉強は真面目にやっていた。

2年生までに高校の学習範囲を終え、3年生は授業をまるまる受験対策に充てるというカリキュラムだったせいで、私たち生徒は常に予習と復習に追われ、授業中も真剣にならざるを得なかった。


初めての定期テストで、私はクラスで一番だった。

なんでも、学年で私一人しか解けなかった応用問題があったとかで、先生からどのように考えて解いたのかを聞かれ、それを説明したら、思考力があると褒められた。そんな褒められ方をされたのは生まれて初めてで、嬉しくてもっと勉強を頑張った。

その後の定期テストでも毎回上位に入り、全国模試でも偏差値70以上をキープして、先生から「この成績なら難関大学を狙える」と期待をかけられた。



2年生になり、初めての三者面談があった。

面談が終わればあとは夏休みという時期で、友達と遊ぶ約束や、教室の窓から見える青い空が、私の気持ちを高揚させていた。

先生は母の前に私の定期テストや模試の成績表を広げて見せて「お嬢様の成績でしたら、早稲田、慶應は確実、頑張り次第では難関国立もお考えに入れて良いと思います」と言った。

けど、母はにべもなく答えた。

「女の子ですから、うちは短大に行かせるつもりです」

急に、蝉がうるさいことに気がついた。
教室の窓の外の木立から、やかましい鳴き声がする。

「お母様、もったいないですよ。偏差値70もあるのに」
「偏差値って何ですか?私、そういうのよくわからなくて」

先生が偏差値の仕組みについて説明している間、母は浮かない顔で聞いていた。

校舎を出たあと、母が「先生、何回も偏差値70、偏差値70って言ってたけど、100点満点中の70点なら、そこまででもないわよね?」と言った。

さらに母は続けた。

「花子は昔からほっておくと、小難しい本ばっかり読んでて、年頃の女の子がみんな興味を持つ、アイドルとかおしゃれとか、そういうの何も関心持たないでしょう?それじゃあ、ダメなのよ。このまま勉強ばかりして難関大学なんか行ったら、もっと良くないからね」

母が何を言っているのか、私には理解できなかった。

蝉が相変わらず鳴いている。
そして、空は青い。
私の気持ちなんか関係なく、青く澄んで続いている。



結局、父が勧める女子大に進学した。

入学式の翌日登校すると、門の中は何やら大騒ぎになっていて、校舎の入り口付近まで、たくさんの若い男性がひしめいていた。

「東大のテニスサークルでーす」
「慶應の学生研究サークルでーす」
「早稲田の演劇サークルでーす」

押し付けられたビラには「女子大生大歓迎」「新歓コンパ」などの文字が並んでいたが、私には何のことだかさっぱりで、とりあえず鞄にビラを押し込んだ。



私が大学で一番時間を費やしたのは、紙芝居作りだった。

学内のボランティア委員会に入り、施設の子供たちに披露する紙芝居を作るため、よくクレヨンや絵の具と格闘した。

その日も授業の合間、私たちは大学のレクリエーションルームに集まっていた。

「オオカミの声は誰がやる?」
「怖い声出せる人がいいよね」
「ちょっとオオカミの声やってみて」

委員会はうちの学生しかいないので、女子だけで、何やかやと賑やかにやっていた。

一方、すぐ隣では、次元の違う話題で盛り上がるグループがいた。

「今日はサークルの日だから、あとでメイク直さないと」
「大学だけなら適当な格好でもいいけど、サークルには男の子たちがいるから、ちゃんとしないとね」
「やっぱり、女子大は良いよね。男の子の目を気にしなくて良いから。サークルは男の子がいるから、楽しいけど気を遣うよね」

インカレサークルに所属している人たちだ。

実は当時、私たちのように学内の女子だけで活動している学生は少数派で、インカレサークルに入っている人がだんぜん多かった。インカレサークルは、有名大学の男子学生と限られた女子大の学生だけが参加できるものだったらしい。

彼女たちは、見た目からして華やいでいた。

髪を綺麗に巻き、ブランドのバッグを持ち、首元にはスカーフ、足元はパンプスという、コンサバファッションのお手本のような子。

髪をポニーテールに結い、サークルのロゴが大きく描かれたウィンドブレーカーとスポーツバッグを身に着け、はつらつとした雰囲気の体育会系女子。

彼女たちは、廊下や食堂、研究室でも、気になっている男性やお付き合いしている男性の話をしていた。いつでも話題の中心は「男性」で、それが私には不思議で仕方なかった。


3年生の終わり頃、大学で就職説明会があり、学年全員が講堂に集められた。

進路指導の先生が「今年度は日本航空と全日本空輸の客室乗務員の募集はありません」と告げた瞬間、あちこちから悲鳴が上がった。大声で泣き出す学生までいた。

私は、なぜこんな大騒ぎになっているのか全くわからず、説明会の後、同じ学科の子に聞いてみた。

すると「スチュワーデスになりたくて、大学1、2年生から養成学校に通って準備していた人がたくさんいるから」と教えてくれた。ため息まじりに「私もダメ元で受けてみようと思ってたんだけどね」とも。

私が「どうしてそんなにスチュワーデスになりたいの?」と尋ねると、彼女は不思議そうな顔をして言った。

「え?だってスッチーだよ?」

その返事の意味が、私には理解できなかった。

さらに驚いたことに、女子アナやマスコミ系の職種を希望している人たちは、就職活動をとっくに始めていて、既に内定も出ているらしかった。

私も就活を始めなければと気づき、いろいろ考えた結果、生協に応募してみた。いつも自宅に野菜やお米を届けてくれる生協の配達員さんが親切で、ああいう仕事をするのも良いかもしれないと思ったからだ。

しかし、面接に行ったら、妙なことになってしまった。

面接官の一人から私だけ別室に呼ばれ、「あなたのような人には、生協は合わないから、もっと大企業の事務職を受けなさい」と、思いもよらないことを言われた。

その面接官は、自身の職場での苦労を切々と語った。「あなたには私と同じようになってほしくない」と真っ直ぐに目を見て言われてしまい、私は「アドバイスありがとうございます」とだけ言って帰るしかなかった。

そして、その話を母にしたら「その人の言う通りよ。あんた車運転して配達なんて無理でしょ。銀行とか保険会社とか、そういう会社にしなさいよ」と呆れられた。

友人にも話したら「私も銀行とか証券会社にエントリーしてるよ。女子大だから一般職ね。総合職にはエントリーしても無駄だから気をつけてね」と教えてもらった。

なぜ総合職へのエントリーが無駄なのかわからず、彼女に聞くと「大学名で足切りされるから。今年は一般職の採用を減らしてるところが多いから、女子大卒はつらいよね」と答えてくれた。

私はとりあえず、聞いたことのある銀行や保険会社にエントリーして面接に行ってみたが、ことごとく落ちた。

内定が出たと喜んでいる人たちをよく見れば、サークル活動に精を出していた、巻き髪のコンサバ女子か、ポニーテールの体育会系女子ばかり。同じ学科のわりとよく話す子は「まだ内定が出ない」とメガネの縁をいじっていた。

とうとう冬になっても私は内定がもらえず、卒論だけ仕上げて、残りの大学生活を所在なく過ごした。ある日、学科の研究室に行くと、就職が決まらなかった子たちが、卒業後は某省庁で非常勤職員として働くという話をしていた。

うちの女子大から採用されている人が多いと聞き、私も応募することにした。



4月、省庁で非常勤職員として働き始めた。

初出勤の日、お昼はエライおじさんにごちそうになったのだが、その席で「田中さんはお付き合いされてる方はいらっしゃいますか?」と聞かれた。

私は何を聞かれたのか、すぐに理解できず、ポカンとしていると、おじさんはニッコリ笑って、「もしご結婚のご希望がおありでしたら、ご紹介しますよ」と言った。

官庁というからお堅いイメージがあったのに、男女交際について聞かれるなんて、とんでもない職場に来てしまったのかもしれないと汗をかいた。

しかし、実際に働いてみると、職員さんたちは穏やかで、同僚の非常勤職員たちは優しく親切だった。

非常勤職員は、ほとんどが女子大卒の20代前半で、気配りができて、人当たりが良く、おしゃれで華のある女性ばかりだった。若手の男性職員とお付き合いしている人が多く、そのまま結婚して退職する人も珍しくなかった。

非常勤同士はみな仲が良く、昼休みや仕事の合間の給湯室でいろんな話をした。

ある時、私は「就活で女子アナやスチュワーデスが人気職種だった理由がいまだによくわからない」と話した。同僚は「エリート男性と出会えるからでしょ」と教えてくれた。

私がさらに「エリート男性と出会うと何か仕事にプラスになるの?」と聞くと、その人は一瞬、不思議そうな顔をした後、破顔して「ねぇ、田中さんて面白い。あなたはまだ結婚とか考えないの?」と言った。

私は官庁で働く女性職員を見て、自分も公務員になりたいと思っているが、両親に反対されて受験を迷っていることを話した。

すると、彼女は小さく「もったいない」と言ったが、なぜそう言ったのか、私にはわからなかった。


梅雨明けの頃、所属していた部署で暑気払いの飲み会が開かれた。

その前日、母に職場の飲み会で帰りが遅くなることを告げると、「そろそろ結婚しないといけないし、飲み会で親睦を深めて、誰か良い人を探してきなさいね」と言われて、びっくりした。私は職場の飲み会は、仕事上の人間関係を円滑にするためのものだと思っていた。

飲み会が始まって間もなく、おじさんが若い男性職員を連れてきて、「佐藤君が田中さんと話したいらしいんだよ」と言い、私の隣に座らせた。目の前の男性職員はどこか緊張している。

え?これ、どういう状況?
母の言ったことは、あながち間違いではなかったのか?

こうして飲み会の夜は更けていった。



大学を卒業して4年目の春、晴れて私は念願の国家公務員になった。

非常勤で働く傍ら、公務員試験の勉強をして、2回目の受験で合格した。でも両親からは、今から就職するより結婚をした方が良いと反対され、宿舎での一人暮らしも「嫁入り前なのに」と猛反対された。私はそれを振り切った。

職場に退職の挨拶をしに行ったら、「何年も働いてた非常勤さんで、職員の誰とも付き合わなかったのは君くらいだった」と職員さんたちに笑われてしまった。

しかし、とにもかくにも、これからは正規職員として働いて、経済的に自立して生きるのだ!

けれど、現実は厳しかった。

毎朝8時に出勤、帰りはほぼ毎日終電、土日も出勤、ゴールデンウィークも出勤。多忙で昼食を食べ損ね、窓口では客に怒鳴られ、先輩にもいびられた。疲れているのに眠れない日が続き、病院で睡眠薬を処方してもらうほどだった。

そんな生活に忙殺されているうちに、いつの間にか30歳になっていた。

その頃、学生時代の友人の結婚式に呼ばれ、招待状には「無事、結婚決まりました!花ちゃんもファイト!」と書かれた花柄の付せんが貼られていた。

披露宴で久しぶりに会った友人たちは、みな専業主婦になっていて、独身で働いているのは私だけだった。

私が激務と体調不良の話をすると、「体壊しちゃいそう」「結婚して、お仕事やめたら?」と口々に言われた。「主婦なら昼寝もできるよ」とか「夜は子供と一緒に9時には寝てる」という話もされた。

その時、私の中で衝撃が走った。

そうか、結婚って、自分の代わりに配偶者の男性に働いてもらうシステムなんだ!

職場では、男性との体力差を嫌というほど見せつけられていた。へばっている私の隣で、同じように働いているはずの男性職員は平気そうだった。そう考えると、労働は男性に任せたほうがよほど合理的だと思えた。

なんということだ!

私はそれまで結婚を自分の人生の選択肢として考えたことがなかったけれど、こんなにも優れたシステムだったとは!もっと早く気がついていれば良かった。

そして、生まれて初めて、結婚したいと思った。

「私も結婚したい」

そう口に出すと、友人たちは「うん、良いと思う」と笑顔になった。

でも、私が「結婚相手って、どうやって見つければ良いの?」と聞くと、一瞬、静かになり、まずは職場で探してみたらと助言された。

なので、私はさっそく職場で、隣の席の先輩に「結婚したいんですけど、誰か良い感じの人いませんか?」と聞いてみた。

先輩は「俺くらいの歳だと、マトモな男はみんな結婚しちゃってるからなぁ」と言った。ちなみに先輩は私の4つ上、34歳だ。

先輩は、私の大学時代の友達に頼んで、その旦那さんの知り合いを紹介してもらうのが良いと言った。きっと、それなりの勤め先で、身元もしっかりした人のはずだと。

「花ちゃんは体調もきつそうだし、共働きは無理そうだから、稼ぎのある人がいいと思う」と、現実的な助言もくれた。

私は神妙に頷き、また後悔した。

もし結婚して仕事を辞めるのなら、私は何のために公務員になったのだろう。非常勤職員だった頃に、結婚のシステムの合理性に気づいていれば、チャンスはあったのに。

その後悔は、婚活を始めてさらに深まった。

先輩のアドバイス通り、数名の友人に紹介を頼んでみたが、色よい返事はなかった。「すぐ紹介できるような独身男性は知らない」だの「30過ぎの女性を紹介するのは難しい」だのと言われた。

私は仕方なく、いったん婚活は諦めて、仕事に集中することにした。

けれども、その矢先、私は勤務中に倒れて救急搬送され、その後、うつ病という診断まで下された。

しばらく仕事を休むことになり、一人暮らしの宿舎で寝込んでいたところ、友人から一通のメールが来た。

『以前、相談があった件だけど、紹介できる人が見つかりました』

私はすぐに返信して、約束の日に着ていく服を見繕うために、狭いクローゼットを急いで漁った。



1年後、私はバージンロードを歩く花嫁になっていた。

両親も親戚も友人もみんな、おめでとうと笑っていた。

でも私は、目の前のタキシード姿の新郎を心から愛しているのか、本当にこれで幸せなのか、正直よくわからなかった。

しかし、その不安は、結婚生活が始まってすぐに払拭された。

私は仕事を辞め、朝、夫を送り出した後は、洗濯、掃除、買い物、ご飯の支度をする日々を過ごした。働いていた時は、毎日4時間ほどしか眠れなかったのが、8時間は寝られるようになり、それが一番ありがたかった。

食欲が出て体重が戻り、顔色も良くなり、友人に会った時にも「花ちゃん、とっても元気そう。やっぱり結婚してお仕事やめて正解だったと思う」と言われた。

その上、想定外のラッキーもあった。

結婚する前は、いろんな人がいろんなお節介をしょっちゅう私に言ってきたのに、それがなくなったのだ。

例えば、母なんかは、私を見るたびに「年頃なんだから、もっとおしゃれして綺麗にしなさいよ。そんな暗い色の服より、明るい色にしなさい。お化粧も、若いんだからもっと華やかに」とうるさくて仕方なかったのが、結婚が決まった途端ピタッと止んだ。

他にも「彼氏いない歴が年齢ってヤバい」とか「30過ぎてまだ独身なんですね」とか、悪意を感じる言葉を吐かれたことは数知れずだったけれども、それも一切言われなくなった。

結婚すごい。



結婚して2年半がたった頃、子供が生まれた。

出産は死ぬほど大変だったけれど、赤ん坊を抱いて帰った私には、家族からも親戚からも友人からもご近所さんからも、よく知らない通りすがりの人からも、盛大な祝福と賛辞が贈られた。

こんなに全肯定されたのは、生まれて初めてかもしれない。

そういえば、子供を産んでからは、周囲から否定されることが格段に減った気がする。

子供を生後8ヶ月で保育園に預けた時、両親はそんな小さな子を預けるなんて、と反対したが、夫も賛成していると伝えたら、それ以上は何も言ってこなくなった。これに限らず他の場面でも、夫の名前を出すと、両親は急に静かになった。

相変わらず人付き合いが苦手な私は、ママ友さんともあまり上手くできなかったけど、私を咎める人は誰もいなかった。

小中学生の頃は、私がクラスの子と上手くできないと、親も先生も、なぜもっと上手くやれないんだと私のことを責めたのに、ママ友が相手だと、親も保健師さんも保育園の先生も、いろんな人がいるから合わないこともある、としか言わなかった。

これまではずっと、周囲に馴染めない変人という扱いだったのが、ちょっと合わないだけの人という立ち位置になった。

結婚と出産を経た私は「基本的に正しい人である」という前提が確立されたように感じる。

でも、実際の私自身は昔と何も変わっていないのに、この違いは一体どういうことだろう?

昔は何かと反対ばかりされていた。

難関大学を受験したいと言った時、生協に就職したいと言った時、公務員受験をしたいと言った時、なぜ反対されたのだろう?別に法を犯しているわけでもないし、人として道徳に反することでもなかったのに。


そんなことを考えていたら、たまたま、婚姻数の減少が少子化の原因の一つだというネット記事を読んだ。

コメント欄には、近頃は女性が高学歴になって仕事をするようになったからだ、という書き込みがあった。一昔前は、高学歴だったり仕事をバリバリする女性は男性から敬遠されると考えられていたらしい。

このまま、若者の恋愛離れ、結婚離れが進むと、日本人が生まれなくなる、なんてコメントもあった。なるほど、だからずっと、やれおしゃれだ、結婚だと言われ続けたのか。

私の選択は、周囲には結婚から遠ざかるように見えたのだ。

私が試験を突破して公務員になるよりも、既に公務員になっている男性と結婚するほうが、子供が生まれる可能性が高くなる。

私が勉強して高学歴になるよりも、おしゃれして彼氏を作るほうが、結婚への近道になる。

私が授業で張り切って手を挙げるよりも、空気を読んで控えめにするほうが、可愛らしい女の子に見える。

私が男子と張り合ってデザートをゲットするよりも、大人しく譲ったほうが、男の子から好かれる女の子になる。

全ては、私が結婚して子供を産むゴールを想定して課せられたルールだったのだ。

周りの女の子たちは、そのルールを早くから自然に身につけていたのに、私はルールからことごとく外れた行動をしていたから、都度、矯正が入ったのだ。

でも、そのルールは、私が本来したかったこととは、かけ離れたものばかりだったけれど。

それにしても、結婚して子供を産むというゴールに辿り着くためのルールは、どうしてこんな複雑なのだろう?

……そうか!

人間が有性生殖だからでは?

結婚して子をなすには、異性が必要だ。異性と結婚するために、異性の目を気にして、異性に好かれるように振る舞い、異性と仲良くなるという、いくつものステップが必要だ。ルールも難しくなるわけだ。

……そうだ!

人間も単為生殖ができるようになれば良いのでは?

そうすれば、面倒なルールもステップも、ぜんぶ省ける。恋愛も、婚活も、結婚も、全て飛ばして、一人で子供を作れる。もしかしたら、少子化も解消できちゃう?

あーあ、やっぱり、私、もっと勉強して医者か科学者になれば良かったかも。それで単為生殖の技術を確立して、少子化対策に貢献する研究者として名を馳せたかった。

お父さん、お母さん、あなたたちは私を結婚させて子供を産ませることに熱心だったけど、それよりも私を研究熱心な学者に育てるべきでした。そしたら私は、ルールを守れない変な子ではなく、人類を救う偉人になれたかもしれないのに。

惜しいことをした。





#創作大賞2026   #エッセイ部門

いいなと思ったら応援しよう!

花子 よろしければ応援お願いします!