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あなたをお迎えにあがりました。3

通り魔によって、不運にも殺されてしまった安藤裕紀と、救済に来たと言う謎の多い少女リリアンは、裕紀の死後の選択のため、電車に乗ってビル街までやってきた。

人々の流れに沿うように階段を降りて、流れるように―まるでロボットのように―改札にカードやら電子機器をかざして、流れるように外に排出される。
これまで何年も毎日、欠かさず行ってきた流れを、裕紀は思い出す。
だが今は、そのロボットの姿は殆ど見当たらない。
ピークオフ通勤を利用している社会人がちらほらいるくらいだが、現実問題そういった制度を毛嫌いする社会のほうが大多数だ。

「やはり、向かわれるのは務めていた会社なのですね」
そこで口を開いたのはリリアンだ。
改札口を抜け、電子看板が表示する「南口」に向かって歩いているときだった。
「……あぁ、最後にやっておかなくちゃいけないことが少しあってな」
自分が突然いなくなったところで、困るのは一瞬。 3日もすれば何事もなかったかのように回るのが会社だ、世界だ。そんな事はわかっている。
だが最後に仕事の引き継ぎだけはしっかりしておきたい。

周りがスーツ姿な人間しかいない中、Tシャツにズボンというあまりにもラフすぎる格好の自分が浮いて見えて仕方がないが、それでも見向きもされないのは、本当に周りの人間が裕紀を認識していない証だということだ。
裕紀は安心感と虚しさを抱きながらも、己が勤めていた会社のビルに足を踏み入れる。
エントランス、と言えるようなものはない。警備員が2人に駅の改札のような、社員証をかざすことでゲートが開く機械と、その奥に定員30名ほどのエレベーターが2つあるだけだ。
裕紀とリリアンは、ゲートは素通りしタイミングよく降りてきたエレベーターに乗り合わせた。
「そういえば、裕紀様はどんなお仕事をされていたのですか?」
「……知ってるんじゃないのか?」
こいつは俺の生前の行いがなんちゃら……って言って迎えに来ているはずだ。なら、俺の仕事くらい把握していなきゃおかしい。
「もちろん知っていますが、書類で見るのと本人の口から伝えられる情報では、本人にとっての重みや温かみはわかりませんから」
「重みや温かみ、ねぇ……」
6階で止まったエレベーターから降りた二人は、そのまま裕紀のデスクがあった場所に向かう。
だがそこには予想を裏切るかのよう――いや、ある意味予想通りの光景が広がっていた。
「まだ死んで一日経ってないもんな、デスクが片付いてないのも当たり前か」
目の前のデスクは昨夜―まだ生きていた―裕紀が退勤する前とほぼ変わらない状態で残っていた。
「死人のデスクに、追加の書類を置くくらいなんだから、やっぱイカれてるよなこの会社……」
「皆さん、目の前の仕事で精一杯、といった感じですね」
「そりゃあ、曲者たちばかりを相手にする仕事だからな」
「曲者、ですか」
「そう、出版社なんてどこもこんなんだと思うぞ」

裕紀は都内某所にビルを構える出版社に勤めていた。
その中でも書籍出版の、校閲・校正を担当する部署に配属されている。
膨大な量の原稿と睨み合い、作家の機嫌を伺いつつも世に出せる完成形へと導かなければいけない。
体力的にも精神的にも、よほどの根性がないか頭のネジが何本か外れていないと務まらない仕事だと裕紀は思っている。
裕紀は自分のデスクに広がる仕事の山、基大量の原稿を手に取る。
「この状況は、端から見たら原稿だけが浮いているように見えるんだよな」
そう言いながらリリアンの方へ振り返ると、リリアンは静かに頷いた。
「そのとおりでございます」
「……まぁ、ここの奴らはそんなこと気にも止めないだろうけどな」
自嘲気味に笑う。 かく言う自分自身も、昨日までは職場で笑ったりのんびり誰かと会話するなんてことはしていなかったからだ。
改めて、自分のデスクを見下ろす。

「もしかして、仕事をなさるおつもりですか?」
「支障なく引き継ぎができる程度にな。 なに、少しだけだよ」
リリアンは呆れた目で裕紀を見る。
死んでまで仕事をする人間がいるだろうか。 いや、今目の前にいるから困っているのだ。
「俺はこのまま少し集中するから、リリアンはどこかで休んでいてくれて構わないよ」
「……いえ、私はあくまで貴方様の監視役ですので、お気になさらず」
リリアンはそう言うと、どこからか持って来た椅子を裕紀の隣に置き、ちょこんと座った。
「一応、人の目は気にして行動してくださいね」
「大丈夫だよ、わかってる」
それからはただ黙々と仕事をする裕紀を眺めるだけのリリアン。
パソコンと原稿と、辞書とメモ用紙と、目まぐるしい勢いで視線を動かしていく。

――――5時間後
「……よし、こんなもんかな」
裕紀がようやく顔を上げた。
自身が請け負っていた案件は簡単に捌き、後任のためへの引継書の作成も完了した。
これで少なくとも、仕事に遅れは出ないはずだ。
「リリアンごめん、思ったよりも時間がかかった」
「……お疲れ様です」
顔に、退屈すぎて死にそうだと書いてある。
「正真正銘の仕事納めだ。 付き合ってくれてありがとう」
疲弊の色が滲んでいる顔で微笑みながら、裕紀はリリアンに礼を伝える。
やっておきたいことの一つはやり遂げた。
人がひとりいなくなったところで、社会はなんの問題もなく回るだろう。その証拠に、この会社もいつもと変わらず、忙しなく稼働している。
裕紀の訃報を知らない、あるいは知らないフリをしている可能性も大きいが……。
裕紀も重々承知している。
俺がいなくても会社は、社会は変わりなく進んでいく。
それでも今日、わざわざ会社に来て死んでもなお仕事をしたのは、仕事に対してそれなりの責任感とプライドを持ち合わせていたからだ。
裕紀は改めて、原稿の山に手を触れる。

「この紙の山には、人の魂が宿っているんだ」
「魂、ですか……?」
「そう、いろんな魂がな」
売れてやる、成功してやるという野心はもちろん、誰かを感動させたい、人の心を動かしたいという思いが詰まったものもある。
社会の歯車の一つに過ぎないと自覚はしつつも、この魂を知ってしまっているから、一瞬でもその歯車を止めたくないと思ってしまった。

「死んでも真面目なんですね」
「……それは褒めてくれているのか?」
「そういうことにしておきます」
「まぁ、そういうことなら、ありがとう」

裕紀とリリアンは立ち上がり、会社から出るために歩みを進めた。

「――正直、呆れと同時に驚愕しています」
エレベーターの中で、リリアンが口を開いた。
「私は幾重の方をお迎えにあがりました。 でも裕紀様のような方はいらっしゃいませんでした」
「死んでも働くバカなやつ、か?」
「確かに最初はバカなやつだと思いました。ただ……」
今まで積んできた得が嘘だったんじゃないかと疑ってしまうほど、死んでから豹変する人間のほうが遥かに多かった。
割合的には、すぐに転生を望むものが2割、天国で自由気ままに生きたいと願うものが5割、裕紀のように選択の延長を希望するものが3割といったところだ。
その3割のうちの大半が、死んでいるから何をしてもいいと勘違いして、好き勝手に暴れる。
そんな人間ばかり見てきたからこそ、裕紀の行動に驚いているのだ。

「死んでもなお、身内でもない他人を思いやって行動される方は、裕紀様が初めてです」

みな結局は、自分が一番可愛いのだ。
自分のために一生懸命生きて、その結果得が積まれていたというだけ。心の底から誰かのために行動できる人間は限りなく少ない。

「なぜ管理局が、貴方様を救済の対象として選んだのか、なんとなくわかった気がします」
「……俺も少し、リリアンのことがわかったぞ」
「私ですか?」
「最初はすごい機械みたいな子だなぁって思ってたけど、結構人間味のある子だった」
裕紀は笑顔でリリアンの頭を撫でる。
が、リリアンはその手を勢いよく払いのける。
「子供扱いしないでください。 貴方の何十倍生きてると思っているんですか」
そう言って頬を膨らませる姿もまた、子供らしいと思ってしまう。
「ごめんごめん」
そう言って笑い、二人は会社を後にした。

「‐―――飯、どうしようかな」
駅のホームで電車を待つ間、裕紀が口にする。
「いくら食事の必要はないからといっても、なにか食べなきゃ死んじゃうって思うのが人間だろ?」
「もう死んでます」
間髪入れず、リリアンが突っ込む。
「あ、そうだった。」
「ただ味覚は健在です。 空腹も満腹も存在しませんが、満足感は得られます」
「一つ疑問なんだが、俺達は視えない存在なのに外食ができるのか?」
店に入れたとしても、料理を注文することができるのか、食べているときの現象―料理が勝手に浮いたり、減ったりすること―は、どうするのか
「それに関しては問題ありません。 実際に店に入ってからご説明いたします」
「そうか……、なら行きたかった喫茶店があるんだ」
リリアンの言葉を信じ、裕紀はある店を指定した。
場所は裕紀の自宅と最寄り駅のちょうど中間あたりに位置する、所謂昔ながらの喫茶店だった。

「あの家に住むようになってから休みの日は、だいたいこの店に来てたんだ」
店は入口からL字型に客席が広がり、向かって左側にグラスやコーヒーメーカーが並ぶカウンター(ここでドリンクを作っているのであろう)、その奥にキッチンへの入口が続いていた。
客は数組、店員も少人数でとても落ち着いた雰囲気が漂っている。
裕紀とリリアンは出入り口から一番遠い、L字型の奥の席に腰かけた。

「それで、ここからどうやって注文するんだ?」
店に入った時点で、誰も裕紀たちに気づいた様子はなかった。
今普及されているモバイル注文もこの店にはない。店員を呼んで、口頭で注文する必要があるのだ。
「裕紀様はなにを注文されるのですか?」
「え、あ、あぁ、俺はいつもと同じ、ナポリタンとアイスコーヒーにするつもりだけど」
「かしこまりました」
「かしこまりましたって、どうするんだよ」
「まぁ、待っていれば大丈夫ですよ」
そういうリリアンは、ただじっと座っていた。言葉の意味が理解できないものの、どうすることもできないため裕紀も大人しく待ってみる。
するとしばらくしないうちに、店員がテーブルにやってきた。
「ご注文のナポリタンとアイスコーヒーです」
ただ裕紀たちを見ることなく、静かに注文の品をテーブルに置いて去っていった。
「……どういうことだ?」
「この席には”客”がいて、”注文をうけた”という認識を植え付けたんです」
「……待て、わからない」
「確かにここにいる全員に私達の姿は視えません。 ですが客はいると思わせたんです」
誰もその席に座っている人間を、注意深く意識することはない。
店員も注文の品をテーブルに運ぶのが仕事だ。どんな客が座っているのかなんて、よっぽど目立つ特徴がない限り気にもとめないだろう。
「とてつもなく影の薄い客だと思えば大丈夫です」
「……いまいちピンと来ていないが、まぁ頑張って飲み込むよ」
だが
「食べるのはどうしたらいい? 料理や飲物は変わらず周りに見えてるんだろう」
「そこも問題ありません。 影の薄い客なんですから、誰も私達の席を意識することはありません」
正直リリアンが何を言ってるのか、一ミリも理解できていない。
それでも現実として、ここには誰も座っていなくて、料理と飲物だけが置かれている状況に変わりないのではないだろうか。
「大丈夫です。 皆ここには誰かが座っていて、その誰かが食事をしていると思いこんでいますので」
「……つまりリリアンがなにかした、ってことだな?」
「早く食べないと料理が冷めてしまいますよ」
そう言われると食べないわけにはいかない。
裕紀は周りを警戒しつつも、食べることを決心した。
「……いただきます」
口に運んだナポリタンは、生前食べていたときと変わらない、裕紀の好きな味がした。

「休みの日はよく来られていたと言っていましたね」
「あ、あぁ、ここは基本的にこんな感じだから、のんびり食事をしながら本を読むのに最適なんだ」
店内は穏やかなBGMが流れており、それ以外の音はさして気にならない。
店員も客もこの静かさを好んで、そしてその雰囲気を壊さぬよう気をつけているようだ。
「仕事で散々文字と睨みっこしているのに、休日も読書なんて疲れないんですか?」
「仕事は仕事だし、あれはまだまだ生まれたての赤ちゃんみたいなもんだ。 完成された本を読むことで、仕事での方向性や新しい発見も得られる」
それに、自分が今手掛けているものがいつか出版され誰かの手に渡る未来を想像すると、より仕事に対して責任感が芽生える。
なにより、その未来が楽しみになるのだ。
「……やっぱり変わっていますね」
「そんなことより、リリアンはなにか食べないのか?」
テーブルには、裕紀が注文した(と言っていいのかわからないが)ナポリタンとアイスコーヒーしか届いていない。
リリアンの前にはなにもないのだ。
「私も食事は必要としない体ですし、満たされないという欲求もありません」
「ここのナポリタン美味しいぞ? 一口食べるか?」
「いえ、結構です」
リリアンは淡々と答える。本当に必要ないらしい。
「そうか……でも味覚はあるんだろ?」
「はい」
「じゃあ、今度はもっと美味しい店に連れて行くから、そのときは一緒に食べような」
二人でいるのに、自分だけが食事をしているのは気まずい。
なにより食事という時間を、共有したいと思ってしまう。

「……私は早く、裕紀様が今後の選択をされることを願っています」
「それはわかってるよ」
あまりにつれない返事に、つい語尾を強めてしまう。
そのままふたりとも無言のまま、裕紀は食事を再開させた。


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