「また今度」を減らしてみる。2025年残り50日の決意
カレンダーが残り少なくなってきた。頭の中で「今年やり残したことリスト」が自動再生され始める。「ああ、あれもやらなきゃ」「あの人に連絡しておきたい」。そんな焦りに似た感覚の中で、引っかかるのが「また今度」という言葉の残骸だ。
「最近どう? 飲みにでも行こうよ」 「いいね、行こう! ……あ、でも今、何かと忙しくて。また今度、落ち着いたら連絡するね」
この「また今度」は、便利な言葉だ。相手を傷つけずに、やわらかく現状維持を選ぶことができる。本当に忙しい場合もあるし、心の余裕がない時もある。だから、この言葉に頼ってしまう自分を、一方的に責めることはできない。
けれど、その「また今度」が、いったい何度、本当に「今度」として実現しただろう。
そんなことを考えていた矢先、先月末から続けている書類整理の手が止まった。はがきを収めたクリアファイルの中に、懐かしい名前を見つけたからだ。
差出人は、わたしが記者になってちょうど一カ月経った3月31日に出会った、保育所の所長先生。この日限りで閉所してしまうという、悲しい場面だった。子どもたちも大人もみんな顔をぐちゃぐちゃにしているのを見て、もらい泣きした。あの時の悲しい空気と、保育所特有の匂いは今でも覚えている。
以来、20年以上にわたりお世話になってきた大切な方だ。文面の最後には「お会いできる日を楽しみに。ちゃんと食べて ちゃんと寝て 無理せずに頑張って下さーい」と、いつもの温かい言葉が並んでいた。
読み返すたびに胸が温かくなる。だが、そこに書かれた「お会いできる日を楽しみに」という一文が、今は少しだけ重く感じる。残念ながら、その「今度」を実現できないままでいる。
わたしたちは、「今」が永遠に続くかのように錯覚してしまう。体力も、時間も、人間関係も、明日も同じようにそこにあると思い込んでいる。でも、現実は違う。状況は刻一刻と変わり、会いたかった人にはもう会えなくなるかもしれないし、行きたかった場所は形を変えてしまうかもしれない。
ここ北海道の地方で暮らしていると、それを痛感する場面が増えた。高齢化や人口減で、長年通った行きつけの店が、静かに店を閉じていく。あの味も、あの空間も、もう「今度」はないのだと天を仰ぐ。
年末が近づくこの時期は、人恋しくなる季節でもある。だからこそ、今年は「また今度」を少しだけ減らしてみようと思った。
「元気?」とLINEを送る代わりに、思い切って電話のボタンを押してみる。行きたかった展覧会の最終日が近いなら、他の予定を調整してでも足を運んでみる。
そんな決意を新たにした矢先のこと。わたしが担当している講習の会場で、かつて取材でお世話になった、ある町の要職にある方の姿を見つけた。仕事のできる方だ。すぐさま声をかけ、あいさつをした。すると講習の後、改めて話しかけてくれ、近況を伝えることができた。
それから一週間ほどして、その町の別の職員の方から着信があった。知らぬうちに何か不手際でもしていただろうか、と恐る恐る電話に出ると、なんとその幹部の方からの飲みの誘いだった。二つ返事で「行きます」と答えた。
もちろん、すべてを「今すぐ」にできるわけじゃない。無理をすれば、自分がパンクしてしまう。それでも、自分から「今度」という言葉を口にする回数を、ひとつでも減らしてみる。
それは、未来の不確かな約束よりも、目の前にある確かな「今」を大切にするための、小さな、けれど重要な決意なのだ。
今年も、きょう11月12日を含めて残り50日。この限られた時間で、わたしはいくつの「また今度」を「今」に変えられるだろうか。
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