「シャカリキ」と「インスピレーション」の間〜見えない分断と、見えない橋〜

最近、私はある静かな分断を感じています。
それは「シャカリキに生きる人たち」と「インスピレーションで動く人たち」の間に生まれている、言葉にならない断層です。

どちらが正しいわけでもない。
でも、なぜか噛み合わない。
お互いが疲れているのに、すれ違ってしまう。



「シャカリキ魂」はこの社会の主流

段取りを組み、時間を守り、期待に応え、結果を出す。
頭の中には常に「To Do」があり、やるべきことが並んでいる。
だからスピードもある。目に見える成果も出る。
「すごいね」「頼りになるね」と言われる。評価される。

でも――
その人の背中に、疲れがにじんでいるのを私は見てしまう。
「なんで私ばっかり」が心の奥にこだましているのを感じてしまう。



「インスピレーション魂」は空気を調える

目の前の人の、言葉にならない違和感に気づく。
場の空気を察して、誰かが言えないことを汲み取る。
無意識の重たさを、そっと和らげる。

それは、掃除機では届かない場所の掃除みたいなもの。
誰にも気づかれなくても、やっている。
でも、これって役に立ってるの?
そんなふうに、自信が持てなくなることもある。



分断が生まれるのは、社会の評価軸が「見える成果」に偏っているから

「ちゃんとしている人」が正しくて、
「感覚的な人」は甘いと思われがち。

でも、私には分かるんです。
どちらも、限界までがんばってる。
ただ、ちがう言語を話しているだけ。



その間にいる私のこと

私はたぶん、そのどちらにも共鳴するタイプです。
段取りも気になるし、流れも大切にしたい。
感覚も分かるし、現実の制約も見えてしまう。

だから、真ん中にいることのしんどさも知っています。
あっちの気持ちもこっちの気持ちも分かるからこそ、
どちらの怒りにも巻き込まれやすい。

でも、もしかしたら私の役割は、
その「翻訳」なのかもしれない。
ちがう価値観を持つ人どうしが、
出会っても壊れないように、
橋をかけたい。



シャカリキな人も、インスピレーションな人も、どちらも必要だから

一方がもう一方を責めたとき、
世界はちょっとだけバランスを失います。

この社会は、両方の力でできているから。
見える仕事と、見えない仕事。
結果と、余白。
勢いと、静けさ。

だから私は思うのです。
違うタイプに出会ったとき、
「わからない」で終わらずに、
「そういう在り方もある」と受け止める視点を持ちたいと。



最後に

私は掃除が苦手です。
だけど、場を整えることには少し自信があります。
掃除機では届かない領域、
そこを私なりに清めているつもりです。

もし私と同じように見えない仕事に疲れていたら――
あなたのしていることに、ちゃんと意味があるよ、と伝えたい。

そしてもしあなたが、結果を出し続けて疲れていたら――
あなたの頑張りも、ちゃんと伝わってるよ、と伝えたい。

違うけれど、敵じゃない。
違うからこそ、支え合える。

そんなふうに生きられたら、
ちょっと世界はやさしくなると思いませんか。

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