生き方について発信する人は、意識高い系?
わたしはフリーになる半年前くらいから「生き方」についてこのnoteで発信し始めました。
はじめの頃は自分の考えてることをただアウトプットしていただけだけど、だんだんなんとなく筋が見えてきて、道理につながるというか体系立てるというか、なんか繋がったらそれを知識として発信し出したんですよね。
でも初めの頃は、なんか生き方について語る、発信するって、周りから見たらめっちゃ意識高い系って思われそうやなぁって思ってて。
それで躊躇してたときもあります。
でも、徐々に自分を生きられるようになって、周りの目(大衆の目)は全く気にならなくなって。
わたしがわたしで生きることを必要としてくれる場所や人がいるかもしれないし、いなくても自分がそう生きたいならそれでいいや、って。
生き方について向き合ってアウトプットすることも、わたしの一種の自己表現なんです。
で、今日LINEを開いたらLINE NEWSのバナーに堂本剛という文字と、生きづらいという言葉が目に飛び込んできたので、思わず記事を読みました。
それがこちらです。
これ、全人類に読んでもらいたい。
今すぐ、何も感じない人が大半かもしれない。
むしろ、可哀想やなぁとか思う人が多いのかな?口に出さなくても、ちょっと感じるとかね。
あとは、堂本剛やから成り立つストーリーやん、とかね。思うよね。彼は才能あるからよね、みたいな。
まぁそう思うなら今はそう思う時だと思うからいいんだけどもね。
でも、彼のように自分を生きたい。って本心が思うのなら、堂本剛だから、じゃなくて、あなたも生きられるんだよってことを伝えたい。
烏滸がましいかもしれないけど、わたしがいつも伝えていることは彼が話してることと同じです。
ちょっとこの記事読んですぐの感想載せます。

剛くんは剛くんなりにとてつもなく自分を生きることが難しかったのよね。
わたしたちと同じように。
でも、とあるきっかけで自分を取り戻した。
そしてそれをちゃんと掴んで、もう抗うことなくそこに向かって突き詰めていった。
その先に今の彼がいる。
自分を生き切っている彼に世間の評価や賞賛がつき、才能が開花し、色んなものが循環している。
失礼かもしれないけど、才能とかお金地位名声、そういう目先の欲のようなものは堂本剛でさえ結果なだけなのよ。
自分を生きて、自分をこの世界で表現すると覚悟を決めたその先の結果に過ぎない。
インタビューでも語られてるけど、彼はでもそれを望んでたわけでもないのよね。
純粋に自分を生きたかっただけだろうね。。
それって、わたしやみんなが思ってることと同じじゃないかなぁって。
価値観はそれぞれやから、みんなは語弊あるけどらこの記事をここまで読んでくださってる方って意味で…。もうこんな説明も、ここまで読んでくださってる方は不要だよね?と信じたい。
剛くんほどの有名な人が伝えてくれることが本当にありがたい。
人の目に届きやすいし、その分心に響きやすいし、輪が広がる可能性が高まる。
そして、自分もこんなふうに生きたいと思った人が、わたしみたいに小さく活動してる人を見つけてくれたら、じっくり寄り添ってサポートさせてもらう。
それぞれの役割があってこそ、輪が広がる。
同じ目線で立って話してるの、ほんとに烏滸がましいけど、みんな本当はフラットなの。
やから、どんな人も自分の可能性をあきらめないで。
堂々と、フラットに、自分の心に向き合ってこの平坦な世界に自分をアウトプットしてみて。
とてつもない仲間ができた気がして気が大きくなったわたしでした。
一人ひとりの個性が守られる、そんな優しくてカラフルな世の中を目指して。
これからもわたしは鮮やかで可能性に満ちた世界をつくるために、自分をアウトプットし続けます。
