錆びついたプロメテウス 第2章
第2章『機巧の迷宮(クロックワーク・ダンジョン)』
第5話:眠らない墓標
巨大な縦穴(シャフト)を抜け、プロメテウスが辿り着いたのは、広大な「虚無」の空間だった。 いや、虚無ではない。そこは音と熱に満ちていた。
ガシャン、ガシャン、ガシャン……。 ウィィィン、プシュー……。
規則正しい機械の駆動音が、地底の闇の向こうまで響き渡っている。 無数のベルトコンベアが血管のように空中を交差し、オレンジ色の火花が散る溶接アームが、誰もいないラインの上で踊っていた。
『現在位置、第6層「旧兵器工廠エリア」。かつて人類の盾となる兵器を生産していた場所です』
テラの案内を聞きながら、アルトは息を呑んだ。 「すげぇ……。ここ、生きてるのか?」 『正確には「死にきれていない」だけです。管理AIの論理回路が破損し、生産停止命令を受理できないまま、1000年間稼働し続けています』
モニターの拡大映像に映った光景は、異様だった。 自動工作機械が精巧なライフル弾を製造し、箱詰めしてベルトコンベアに乗せる。だが、そのコンベアの先は「廃棄炉」に直結しており、完成したばかりの弾薬が次々と溶鉱炉へ投棄されていたのだ。 作る。捨てる。作る。捨てる。 意味のないサイクルが、永遠に繰り返されている。
「……気持ち悪い」
背後のシートで、ミナが呻くように言った。 「なんだよ、すごい技術じゃないか。今の地底じゃ、こんな精密な部品作れないぞ」 「技術の話じゃない! この光景が狂っていると言っているんだ。誰もいないのに、誰のために動いている?」
ミナは自分の肩を抱いた。彼女の「秩序ある世界(政府の管理下)」の常識では、この無意味な浪費は許容しがたい恐怖だった。
『パイロット、警戒を。前方に巡回する警備ドローンを確認。……敵味方識別装置は死んでいるようです』
プロメテウスは物陰――巨大なプレスマシンの陰に身を隠した。 通り過ぎていくのは、カニのような多脚戦車だ。だが、その装甲にはカビのような緑色の苔がびっしりと張り付き、センサーアイは狂ったように明滅している。
「あいつも、1000年間ここを守ってるのか……」 「政府は、この危険なエリアを封印したと教えられていたわ。私たち市民を守るために」
ミナが自分に言い聞かせるように呟く。だが、アルトは冷ややかに反論した。
「守るため? 違うな」 「何よ」 「見ろよ、あれ」
アルトが指差した先。工場の壁面にある搬入口――上層へ続くゲートだ。 その巨大な鋼鉄の扉は、内側から溶接され、さらに物理的なバリケードで厳重に塞がれていた。そして、その扉の前には、風化した作業服を着た白骨死体が、山のように折り重なっていた。 彼らは扉に向かって手を伸ばし、何かを訴えるように息絶えていた。
「あれは……」 「外から閉ざされたんじゃない。内側から出ることを許されなかったんだ。ここで死ぬまで兵器を作れって命令されてな」 「嘘……そんなはずはない。政府は……祖先たちは……」
ミナの顔色が蒼白になる。彼女が信じてきた「慈悲深い統治者」の歴史と、目の前の「見捨てられた死体」の現実は矛盾していた。
『感情的な推論は無意味です。事実として、この工廠は放棄されました。……そして我々も、ここで補給を行わなければ野垂れ死ぬだけです』
テラが現実的な提案で話を切る。
『工廠のデータベースに侵入成功。第3倉庫に、本機と互換性のある大型パーツ反応あり。おそらく「左腕」です』 「左腕だって!? それがありゃ、パイルバンカー以外も使えるようになるのか!」 『肯定します。ただし、倉庫へ向かうには、この狂った生産ラインを突っ切る必要があります』
アルトは操縦桿を握り直した。 「上等だ。ミナ、吐くなよ? 少し揺れるぜ」 「誰に口を聞いている! ……行くならさっさと行きなさい!」
プロメテウスが飛び出す。 終わらない生産ライン、狂気の迷宮へのダイブ。 だがその直後、工場のスピーカーから耳障りなノイズが響き渡った。
『侵入者ハッケン……排除、排除、ハイジョ……』
ライン上の工作機械が一斉に停止し、溶接用のアームが鎌首をもたげるように、プロメテウスの方を向いた。
第6話:鉄の医師(ドクター)
キュイィィィン!!
オレンジ色の火花が散り、プロメテウスの肩の装甲が溶断されかけた。 襲ってきたのは、生産ラインのアームだ。本来は金属板を溶接するための高出力レーザーが、今は正確無比に侵入者の急所を狙っている。
「ちっ、しつこいな!」
アルトは操縦桿を強引に倒し、機体を回転させた。 プロメテウスの巨体が、まるで舞うようにレーザーを回避する。さらに、足元の廃材を蹴り上げ、迫りくる多脚戦車(スカベンジャー)にぶつけた。
ドガァッ!
廃材の直撃を受けた多脚戦車がバランスを崩し、ラインから転落して溶鉱炉へと消えていく。
「……信じられない」
コクピットの後ろで、ミナが呆然と呟いた。 彼女は士官学校で、機動兵器の操縦シミュレーションを受けたことがある。だが、アルトの操縦は教範のどこにもないデタラメなものだった。 センサーに頼らず、機械の駆動音だけで敵の位置を予測し、機体の重心移動だけで攻撃をかわす。それは操縦というより、機械と会話しているようだった。
『パイロット、前方11時方向。第3倉庫への隔壁を確認。……ですが、ロックされています』 「こじ開ける!」
プロメテウスが残った右腕のパイルバンカーを構える。 一撃。 分厚い隔壁がひしゃげ、火花と共に強引に押し開けられた。
倉庫の中は静寂に包まれていた。 埃っぽい空気の中、巨大な棚に鎮座している「それ」があった。 プロメテウスの左腕だ。ただし、オリジナルのスマートな形状ではない。無骨な補強パーツが増設され、指先は鋭い爪(クロー)になっている。そして前腕部には、回転式の多銃身砲(ガトリング)が内蔵されていた。
『パーツ識別完了。試作型重装腕部「ヘパイストス」。火力支援用のオプション装備です』 「へへっ、最高じゃねえか。これなら文句なしだ」
アルトは機体を左腕の横に寄せると、ハッチを開けて外へ飛び出した。
「おい、どこへ行く気だ!?」 「どこって、取り付けに行くんだよ。見てろ、すぐに終わらせる」
アルトは腰の工具袋を鳴らしながら、倉庫の天井クレーンの制御盤へと走った。 ミナも慌てて後を追う。
アルトの手際は魔法のようだった。 錆びついた制御盤のカバーを蹴り開け、配線をショートさせてクレーンを再起動させる。 ウィィィン……。 巨大な左腕が吊り上げられ、プロメテウスの欠損した左肩へと運ばれていく。
「ミナ! そこのレバーを抑えててくれ! 油圧が安定しないんだ!」 「わ、わかった!」
ミナは言われるがままに、油まみれのレバーを押し込んだ。 クレーンが位置を合わせる。アルトはプロメテウスの肩によじ登り、火花を散らしながら接合部のコネクタを溶接していく。
「神経接続(ニューラル・リンク)、バイパス形成……よし、動力伝達良好!」
彼の顔は煤と油で汚れていたが、その瞳は少年のように輝いていた。 ミナはその横顔を見て、ふと思った。彼はただの無知なスラムの子供ではない。この錆びついた世界で、誰よりも真剣に「生きよう」としているのだと。
ガキンッ!
重厚なロック音が響き、左腕が完全に固定された。 アルトがコクピットに戻り、システムを再起動させる。
『システムオールグリーン。左腕部、認識完了。武装デバイス、オンライン』
プロメテウスが新しい左腕を掲げる。 五本の指が滑らかに動き、前腕のガトリング砲がジャキッ!と回転した。
「よし、これで戦える! ……行くぞ、テラ、ミナ!」
完全な姿を取り戻しつつある巨神。その力強い姿に、ミナは不覚にも頼もしさを感じていた。 だが、その時。 倉庫の床が激しく振動し、警報音が鳴り響いた。
『警告。工廠メインフレームより高エネルギー反応。……どうやら、工場の「主」がお目覚めのようです』
工場の奥から、地響きのような咆哮が聞こえてくる。それは機械の駆動音と、獣の唸り声が混ざったような、おぞましい音だった。
第7話:狂った番人
ズズズズズ……。
第3倉庫の奥、搬出用の巨大ゲートがゆっくりと開き、その向こうから「絶望」が姿を現した。 それは、プロメテウスよりも二回り以上巨大な、六本脚の多脚戦車だった。だが、ただの戦車ではない。1000年の歳月で工場のラインと融合し、背中には無数の配管やケーブルが寄生虫のように張り付いている。 そして、その中央には、かつての管理者であったろうAIのメインユニットが、髑髏(ドクロ)のように埋め込まれていた。
『侵入者、検知。……業務妨害、排除シマス。排除、排除、ハイジョ……』
壊れたレコードのように繰り返される警告音声。 こいつが「守護者(ガーディアン)」。かつてこの重要施設を守るために作られ、世界が滅んだ後も、誰一人来ないこの場所を1000年間守り続けてきた番人だ。
「デカいな……! まるで要塞だ」 『警告。敵機、主砲充填中。高エネルギー反応、直撃すれば本機の装甲でも耐えられません』
守護者の背中に背負った巨大なレールガンが唸りを上げる。 スパークする電気だけで、周囲の空気が焦げ付くのがわかった。
「避けろッ!」
アルトが叫ぶと同時に、プロメテウスが横っ飛びに回避行動をとる。 カッ!!
一瞬の閃光。 直前までプロメテウスが立っていた場所の床が、轟音と共に蒸発した。背後の棚が吹き飛び、溶けた鉄が雨のように降り注ぐ。
「なんて威力よ……! こんなの、まともに撃ち合ったら勝てないわ!」 「正面からやり合うつもりはないさ! テラ、敵の死角はどこだ!?」 『敵機は工場設備と有線接続されています。移動範囲は限定的ですが、全方位に防御シールドを展開中。……解析不能。死角が見つかりません』
守護者の周囲には、半透明の障壁が張り巡らされていた。物理攻撃もプラズマも弾く、鉄壁の守りだ。 プロメテウスが牽制のために放ったプラズマカッターの一撃も、障壁に触れた瞬間に霧散してしまった。
「くそっ、どうすりゃいいんだ!」
焦るアルトに、不意にミナが声を上げた。
「待って、アルト。……あのケーブルを見て」 「ケーブル?」 「背中の主砲に繋がっている太いケーブルよ。あれだけの出力を出すには、外部からの電力供給が必要なはず。あの接続部を狙えば……」
ミナが指差したのは、守護者の巨体を支える六本の脚の隙間、腹部の下にある太い送電ケーブルだった。 だが、あそこを狙うには、敵の懐(ふところ)に飛び込まなければならない。
「なるほど、へその緒を断ち切ればいいってわけか。……上等だ!」 『無謀です。接近すれば、副砲の機銃掃射を受けます』 「そこを掻い潜るのがパイロットの腕だろ! ミナ、レーダーを頼む! 弾幕の薄いルートを指示してくれ!」
アルトの言葉に、ミナは一瞬息を呑んだが、すぐに覚悟を決めた表情でコンソールに向かった。 彼女はもう、ただの乗客ではない。
「わかったわ! ……右舷、弾幕展開! 3時の方向から回り込んで!」 「了解!」
プロメテウスが加速する。 守護者の全身から無数の機銃が火を噴くが、ミナの指示通りにアルトが機体を滑らせる。 弾丸が装甲を掠め、火花がコクピットの窓を叩く。だが、致命傷ではない。
「そこよ! 今!」
ミナの叫びと同時に、プロメテウスが守護者の懐へとスライディングで滑り込んだ。 目の前には、脈打つような極太のケーブル。
「喰らえぇぇぇッ!!」
アルトは左腕のトリガーを引き絞った。 新装備、重装腕部「ヘパイストス」。その前腕に内蔵されたガトリング砲が高速回転を始める。
ズガガガガガガガガッ!!
毎分3000発の銃弾が至近距離からケーブルに突き刺さる。 分厚い被覆が引き裂かれ、中の導線が露出する。そこへ、トドメとばかりに左手の鋭い爪(クロー)を突き立て、強引に引きちぎった。
バチバチバチッ!!
激しいショートと共に、守護者の巨体が痙攣した。 背中のレールガンの充填音が止まり、周囲の防御シールドが音を立てて消滅する。
『敵シールド消失。メインシステム、ダウン。……今です、パイロット!』
「これで終わりだ! 1000年の仕事はもうおしまいにしてやる!」
プロメテウスが立ち上がり、右腕のパイルバンカーを構える。 狙うは、守護者の中心、髑髏のようなメインユニット。
「眠りやがれぇぇッ!」
ドォォォォォン!!
渾身の一撃。 鋼鉄の杭がメインユニットを貫き、守護者のコアを完全に破壊した。 巨体から力が抜け、守護者はゆっくりと、地響きを立てて崩れ落ちた。
もう、警告音声は聞こえない。 ただ、破壊された残骸から立ち上る黒煙と、静寂だけがそこにあった。
「……終わった、のか?」
アルトが大きく息を吐き出す。 ミナも、強張っていた肩の力を抜いてシートに背を預けた。
『敵性反応、完全沈黙。……見事なお手並みでした、お二人とも』
テラの言葉に、アルトとミナは顔を見合わせ、少し照れくさそうに笑った。 初めての連携、初めての勝利。二人の間には、確かに「戦友」としての絆が芽生え始めていた。
だが、戦いの終わりは、新たな謎の始まりでもあった。 崩れ落ちた守護者の残骸の中から、何かが点滅しているのが見えたのだ。
「なんだ、あれ?」
アルトがプロメテウスを近づけると、それは守護者のメモリバンクから排出された、黒い直方体の記録媒体だった。
「これ……『フライトレコーダー』? なぜこんなところに……」
ミナが呟く。 それは、この工場が封鎖されたあの日、1000年前に何が起きたのかを記録した「遺言」だった。
第8話:1000年前の遺言
戦闘の余韻が残る第3倉庫。アルトはプロメテウスのコクピットで、回収した「黒い箱」――フライトレコーダーをコンソールに接続した。
「……開けるぞ」
アルトがキーを叩くと、モニターにノイズが走り、やがて一本の音声ファイルが再生された。 しゃがれた、疲労しきった男の声だ。
『……記録者、工廠防衛隊長、ガネット大佐。日付は……もう意味がないな』
ミナが息を呑む。それは1000年前の軍人の声だ。
『弾薬は尽きた。食料もない。だが、我々はまだ戦える。あの「守護者」も稼働している。……それなのに、なぜだ!』
男の声が怒りに震える。
『司令部はゲートを閉鎖した。「汚染拡大を防ぐため」だと? ふざけるな! 我々を見捨てるつもりか! ここにはまだ、何千人もの工員がいるんだぞ!』
ミナの顔色が蒼白になっていく。彼女が学校で習った歴史では、「勇気ある先人たちが、侵略者を食い止めるために自ら犠牲となって扉を閉じた」はずだった。 だが、真実は違った。
『……通信が入った。上層部からだ。「貴官らの犠牲は、地下楽園(アンダーグラウンド)の礎となる」だとさ。……はっ、笑わせるな。奴らは自分たちが助かりたいだけだ。我々を「捨て石」にして、安全な地下に引きこもるつもりだ』
ドンッ、と机を叩くような音が響く。
『聞いているか、未来の誰か。もしこの記録を拾ったなら、覚えておいてくれ。我々を殺したのは、地上の化け物じゃない。……地下に逃げた、同じ人間だ』
プツン。 音声はそこで途切れた。
コクピットに重苦しい沈黙が流れた。 ミナは震える手で口元を覆い、膝から崩れ落ちていた。
「嘘……よ。そんなの、嘘だわ」 「ミナ……」 「だって、私たちは教わったもの。政府は正義で、市民を守るために必死に戦ってきたって……。でも、これじゃあ……私たちは、仲間を見捨てた卑怯者の末裔じゃない!」
彼女の目から涙が溢れ出る。 信じていた正義が、足元から崩れ去っていく音。 アルトはかける言葉が見つからず、ただ黙って彼女の背中に手を置いた。
『……感情的な動揺は理解できますが、補足データがあります』
テラが空気を読まずに(あるいはあえて)淡々と告げた。
『このレコーダーには、上層へのセキュリティコードも記録されています。これを使えば、封鎖されたゲートを開き、次の階層へ進むことが可能です』 「……進んで、どうするのよ」
ミナが弱々しく呟く。
「上に行ったって、また同じような裏切りがあるだけかもしれない。地上だって、本当に希望があるのかわからない……」 「それでも行くんだ」
アルトが強く言った。
「過去がどうだったかなんて、俺には変えられない。でも、俺たちがどうするかは決められる」 「アルト……」 「俺は空が見たい。嘘か本当かわからないなら、自分の目で確かめに行く。……お前はどうする? ここで泣いてるか? それとも、自分の目で真実を見に行くか?」
ミナは涙を拭い、顔を上げた。その瞳には、まだ迷いがあるものの、先ほどまでの絶望の色は消えかけていた。 彼女はエリートだ。真実から目を背けることを、彼女自身のプライドが許さない。
「……行くわ。確かめなきゃ。私たちの政府が本当に腐っているのか、それとも……」 「よし、決まりだ」
アルトはニッと笑い、スロットルを押し込んだ。
「テラ、ゲートを開けろ! 次の階層へ殴り込みだ!」 『了解。セキュリティ解除。……第5層へのルートを確保しました』
工場の天井付近にある巨大な搬出ゲート。1000年間、誰も通さなかった扉が、重々しい音を立てて開き始める。 その隙間から、新しい風が吹き込んでくるのを感じた。
錆びついたプロメテウスは、墓標となった工場を背に、光の射す方へと歩き出した。

第3章:偽りの楽園(ユートピア・マスク)へ続く
