マザーテレサー解放の祈り
4年ほど前に、ある本で見つけた言葉。
自らの弱さ・醜悪さを痛感。まさに利他の祈り。キリスト者でなくとも胸に突き刺さる。
マザー・テレサが、カルカッタの路上で誰からも見捨てられやがて死にゆく人々を、「死を待つ人々の家」に連れて帰り介護するなかで、このような深い祈りで一人ひとりの人間にイエスを見ていた。
イエスよ、私を解放して下さい。
愛されたいという思いから、
評価されたいという思いから、
重んじられたいという思いから、
ほめられたいという思いから、
好まれたいという思いから、
相談されたいという思いから、
認められたいという思いから、
有名になりたいという思いから、
侮辱されることへの恐れから、
見下されることへの恐れから、
非難される苦しみへの恐れから、
中傷されることへの恐れから、
忘れられることへの恐れから、
誤解されることへの恐れから、
からかわれることへの恐れから。
マザー・テレサ
「聖なる者となりなさいーマザー・テレサの生き方」
どれもこれも、私は未だ克服しきれていないのを感じる。今、がんの末期の連れ合いも、痛みを抑える薬のせいもあり日々体力が弱り食欲もなくなりつつある。その状態に対して、私は積極的に「励ます」ことが出来ていないと言われることもある。
マザー・テレサは、死を待つ人々の家で、一人ひとりにイエスを見ていたという。イエスを見ることができない私は、一体何を見ればよいのか?
そういう中、昨日見つけた次のような言葉:
ある活動に完全に没頭することで生まれる、心地よい心の状態を「フロー」という。創造性に関与するとき、私たちは他の時よりも充実して、生きていると感じる。 チクセントミハイ
そうか、彼女をできる限りフローの状態へと誘い込めばいい! 幸い、まだAIBO用の服装の制作には勤しんでいるので、それをできる限り後押しすること。これが人を励ますこと。。
