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傷ついた後の人生を、どう自分のものとして生きていくか

私は二年前、仕事を辞めた。
周囲から見れば、子育てに専念するための前向きな決断だったのかもしれない。しかし本当は違った。
私は逃げたのだ。
仕事からではない。
上司から逃げたのだ。
仕事そのものは好きだった。
いや、好きという言葉では足りないかもしれない。
私は学ぶことが好きだった。子どもの頃から勉強が好きで、成績はいつも良かった。新しい知識を知るたびに、自分の世界が広がっていく感覚があった。
大学生になると、バックパッカーとして海外を旅した。
知らない国を歩くことが好きだった。
言葉の通じない土地で道を尋ねることも、見たことのない景色に出会うことも、現地の人と身振り手振りで会話することも楽しかった。

知らない世界に出会うたび、自分の人生が少しずつ豊かになっていくような気がした。
社会人になってからも、その感覚は変わらなかった。
新しい事業。
新しい技術。
新しい市場。
分からないことを調べ、学び、考え、人と議論しながら形にしていくことが好きだった。
私は事業責任者として働いていた。
責任は重かったが、やりがいも大きかった。
事業が成長することが嬉しかった。
チームで成果を出すことが嬉しかった。
未来を考えることが好きだった。
だから私は、自分の仕事に誇りを持っていた。

しかし、その仕事には一つだけ大きな問題があった。
上司だった。
今ならモラハラという言葉で説明できるのかもしれない。
けれど当時の私は、そんなふうには考えていなかった。

自分の努力が足りないのだと思っていた。
もっと頑張ればいい。
もっと工夫すればいい。
もっと結果を出せばいい。
そう思っていた。

私の上司はいくつもの役職を兼任していて忙しい人だった。
会議を設定すると参加を承諾する。
しかし当日になっても来ない。
メールを送っても返事がない。
電話もつながらない。
日中、私は上司を探し回った。

確認したいことがある。
意思決定してほしいことがある。
事業を前に進めるために必要な判断がある。
しかし上司は捕まらない。

私は事業責任者だった。
判断待ちの案件をいくつも抱えていた。

一方で私は母親でもあった。
保育園のお迎えがある。
夕方には会社を出なければならない。
だから限られた時間の中で必死に仕事をしていた。
他の社員は、私が帰宅した後、上司と様々な話を進めていた。

翌朝になると、
「そんな話は聞いていない」
「なぜ進んでいないんだ」
と言われる。
私は混乱した。
会議も設定した。
参加承諾ももらった。
メールも送った。
それでも話ができない。

私は勇気を出して伝えた。
承諾した会議には出席してほしい、と。
すると上司は怒鳴った。
「エレベーターの前でも俺を捕まえろ!」
私は言葉を失った。

エレベーターの前でも捕まえろ。
その言葉は今でも忘れられない。

私は一分単位で動いていた。
保育園のお迎え。
社内会議。
取引先との会議。
部下との面談。
事業計画。
予算管理。
次々に発生する課題への対応。
その中で、いつ現れるか分からない上司をエレベーターの前で待ち伏せしろと言う。
それは解決策ではなかった。
責任を私に押しつける言葉だった。

しかし当時の私は、その理不尽さを正しく認識できなかった。
自分の努力が足りないのだと思った。
もっと頑張ればいい。
もっと工夫すればいい。
もっと早く出社すればいい。
もっと遅くまで働けばいい。
そうやって自分を追い込んだ。
そして何より苦しかったのは、事業で何か問題が起きると、すべて私の責任になったことだった。
上司の判断待ちで止まっていた案件でさえ、最後に叱責されるのは私だった。
私は次第に変わっていった。
朝起きると胸が重い。
メールの通知音で心臓が跳ねる。
休日も仕事のことが頭から離れない。
夜中に目が覚める。
常に緊張している。
それでも私は働き続けた。
仕事は好きだったからだ。

辞めたかったのは仕事ではない。
あの上司の下で働くことだった。
だから私は耐えた。
耐えればいつか良くなると思った。
しかし良くならなかった。
そして私は壊れた。

退職した日、私はようやく解放されると思った。
もう会わなくていい。
もう怒鳴られなくていい。
もう怯えなくていい。
これで終わると思った。
しかし終わらなかった。

退職後も夜、眠れない日々が続いた。
眠れても途中で目が覚めた。
夢に上司が出てきた。

精神科へ通った。
睡眠薬を飲まなければ眠れなかった。
仕事を辞めたのに、なぜこんなに苦しいのだろう。
何度もそう思った。
職場はもうない。
上司もいない。
それなのに私の中では何も終わっていなかった。

それから二年が経った。
今は睡眠薬がなくても眠れる。
子どもと過ごす毎日は穏やかだ。
一緒に本を読む。
勉強をする。
プールへ行く。
子どもの成長を見守る。
できなかったことができるようになる。

子どもが成長していく姿を見ることは、本当に嬉しい。
私はこの二年間、子どものために生きてきた。
そしてその時間はかけがえのないものだった。
だから私は、自分は回復したのだと思っていた。

ところが、ある日、上司の話をした。
その瞬間、涙が出た。
手が震えた。
自分でも驚いた。
二年も経っているのに。
なぜこんな反応をするのだろう。
私は長い間、自分が悔しいのだと思っていた。
正当に評価されなかったから。
キャリアを失ったから。
好きだった仕事を辞めることになったから。

しかし違った。
私が感じていたのは「恐怖」だった。
私は今でも怖いのだ。
たくさん無理をした。
たくさん傷ついた。
あの頃の苦しさを体が覚えている。

だからもう二度と同じ思いをしたくない。
その恐怖が今も残っている。
そう考えると、最近の自分の不安にも説明がつく気がした。
私は近所へ出かける時、不安になることがある。
知り合いに会うかもしれない。
ママ友に会うかもしれない。
誰かと話すことになるかもしれない。
そう思うと落ち着かなくなる。

不思議なことに、遠出は平気だ。
初対面の人とも普通に話せる。
店員さんにも気軽に声をかけられる。
実際にママ友と会えば楽しく話せる。
人間関係も悪くない。

それなのに会う前は不安になる。
なぜだろうと思っていた。
でも今は少し分かる。
私は人が怖いのではなかった。
「傷つくこと」が怖かったのだ。
誰かに否定されたらどうしよう。
嫌なことを言われたらどうしよう。
また理不尽な思いをしたらどうしよう。
そんな不安が先に立っていたのだ。

今振り返ると、私を傷つけたのは怒鳴り声そのものではない。
どれだけ努力しても、構造的に達成不可能な要求をされ続けたことだった。
日中上司とのコミュニケーションが取れない中で、
私には保育園のお迎えの時間がある。
しかし結果は求められる。
上司の協力がなければ前に進めない仕事であっても、責任は私に向かってくる。

私は努力することが得意だった。
学生時代もそうだった。
仕事でもそうだった。
足りない知識は勉強した。
必要なスキルは身につけた。
努力によって乗り越えてきた経験がたくさんあった。

だから私は思い込んでいた。
もっと努力すれば解決できる、と。
しかし、あの職場には努力では埋められない穴があった。
私はその穴を、自分の努力不足だと思い続けていた。

もっと頑張ればいい。
そうやって自分を追い詰めて、そして壊れた。

最近、私は自分に問いかけている。
私は何が好きだったのだろう。
私は何にワクワクする人だったのだろう。
子どもの成長は嬉しい。
心から嬉しい。
けれど、それは子どもの人生だ。
私自身の人生とは少し違う。
私は長い間、自分のために生きていなかったのかもしれない。
会社のため。
事業のため。
家族のため。
子どものため。
誰かのためには頑張れた。

でも、自分自身のために何をしたいのかは分からなくなっていた。
昔の私は、知らない世界に心を躍らせていた。
学ぶことが好きだった。
世界が広がる感覚が好きだった。
その自分を失ったと思っていた。

しかし本当は違ったのかもしれない。
失ったのではない。
傷ついた私は、長い間、自分を守ることに必死だったのだ。
回復することに精一杯だったのだ。

だから好奇心より警戒心が前に出ていた。
未来より安全を優先していた。
それは必要な時間だったのだと思う。

傷は今も残っている。
でも私は、「回復とは忘れることではない」のだと思う。
過去を消すことでもない。
傷を抱えたまま生きていくことだ。

私は学ぶことが好きな人間だ。
未知の世界に心を躍らせる人間だ。
子どもの成長を喜べる親だ。
そして今、自分自身の人生をもう一度探そうとしている人間だ。

二年前の私は、ただ眠れるようになりたいと思っていた。
今の私は違う。
私は問い始めている。

どうすれば傷つかないかではなく、
傷ついた後の人生を、どう自分のものとして生きていくかを。

傷ついた後の人生を生きるとは、過去を消すことではない。
傷を抱えたまま、それでも自分の人生にもう一度興味を持つことだ。
私はまだ旅の途中にいる。

けれど今度の旅は、誰かの期待に応えるための旅ではない。
自分自身の人生を取り戻すための旅なのだと思う。


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