かけがえのない桜の話
京都市内ではあれだけ絢爛と咲き誇ったソメイヨシノは葉桜となり、今は遅咲きの里桜が行く春を惜しんで咲いています。
私の住む京都市内北部から眺める比叡山の山腹には、まだところどころ点々と山桜が咲き染めているのが見られます。
その手前の低い山並みの中ほどに一本のとても大きな山桜がポツンと今を盛りと咲いています。
遠目からでもすぐに分かる程の大きな木は樹齢はいかほどでしょうか。
いつかその桜のそばまで行ってみたいという気持ちが、毎年花の頃に山を眺める私の願いとなりました。
とはいえ低山であっても山道があるのかも分からず、何年も思うだけにとどまっていましたが、、、
ある年に長年飼っていた飼い犬が心臓病の発作であっという間に死んでしまい、茫然自失の日が続きました。車を運転していても急に涙ぐんで困ったのを思い出します。
そんなある日、ふと遠くを眺めるとあの桜が今を盛りと咲いているのに気がつきました。
なぜか急に、手元に置いていた亡くなった飼犬の遺灰をあの桜の根元に撒いてみようと思い立ちました。
まるで「花咲か爺さん」のようだとちょっとおかしくなりましたが。
決行の日、その山には途中まで獣道のような細い道はありましたが、想像以上に桜のそばにたどり着くのは大変でした。
急斜面のうえに道も無くなり、藪漕ぎというのでしょうか、生い茂る低木をかき分けてやっと桜の木まで辿り着きました。
遠くから眺めるとあんなに美しかったのに、いざ木の下まで近づくと逆光で桜の花びらも暗く沈んで見えました。期待していた花に囲まれた明るい情景とは少し違いましたが、持ってきた灰を小さなスコップで木の根元に埋め込んで少し休み、もと来た薮をたどって下界へと戻りました。
毎年その桜が咲くたびに「また会えたね」と遠くから心の中で呼びかけています。
もうきっと根から桜の木の中に入り、枝や葉や花になってしまったに違いありませんが、、、
その後大きな台風が来た翌年、毎年眺めていた大きくて整った綺麗な樹形に満開の花を咲かせていたあの桜の木が見当たりませんでした。
まばらな枝に少しの花をつけた傷ついた桜の木があの桜だとは少しの間半信半疑でした。
きっと大風で大きな枝が折れてしまって樹形も変わってしまったのでしょう。
我が事のように痛々しく悲しくなりました。
それから数年後の今年、以前の美しい樹形には及びませんが、遅い春にたくさんの花をつけて咲いています。
大怪我のあと少しずつ枝を伸ばしていったのでしょうか。
野生の桜の強さを垣間見たようです。
「うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟(いろせ)とわが見む」
(この世に残された私は、明日からは弟が葬られた二上山を、弟そのものだと思って眺めて生きていきましょう)
弟の大津皇子が謀反を疑われて刑死(自殺?)したのちに葬られた二上山を眺めて、姉の大伯皇女が詠んだ歌として知られています。
文武に秀でたカリスマ皇子の悲劇のエピソードを持ち出して、なんとまあ
飼犬のことを大袈裟なと言われても仕方がありませんが、この古い歌の気持ちがよく分かるようになりました。




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