真のスピリチュアリティへ―時空を超えて繋がる「道(みち)」―
はじめに
季節が巡るのは早いもので、今年の1月にフィリピンのシャルガオ島を訪れてから、半年という月日が流れました。
この、手つかずの自然に抱かれた聖なる場所で過ごした1週間は、私の人生における大きな転換点となりました。
頭で理解していたつもりのスピリチュアルな概念が、体感を通して深く腑に落ち、あらためてスピリチュアルの本質が何かを教えてくれる濃厚な時間でした。
この半年間で、私の中で反芻し温めてきたこの体験を、今後の様々な活動をしていく上での大切な「原点」として、一度、あらためて言葉にして残しておきたいと思います。
この文章が、読んでくださる皆様の心深くにある「何か」と響き合い、共に新しい視点を開いていく小さなきっかけとなれば幸いです。
1. 秘境シャルガオ島「Love & Nirvana Sanctuary」という聖地
フィリピンの南東に位置する小さな島、シャルガオ島。そこは、観光地化された華やかなリゾートとは異なる、フィリピンのありのままの姿やエネルギーが残されている、そんな場所です。そのジャングルの深く、島民すらほとんど足を踏み入れたことがなかったような森の中に、ひっそりと佇む「Love & Nirvana Sanctuary」という場所がありました。
日本ではほとんど知られていないその場所は、世界中を巡って神秘主義や悟りの体験を追求してきた創設者(ナガ・ヤーラ氏)が、最終的にたどり着き、開いた場所です。単なるリトリート施設ではなく、そこに暮らす人々が本気で宇宙や精霊と共鳴しながら、祈りと共に生活を営んでいる、そんな純度の高い空間でした。
足を踏み入れた瞬間に、「何かが確かに息づいている」、そう想わせてくれる安心感と磁場に満ちた空間に身を置いたことで、私の中の閉ざされていた扉が開くきっかけになったのだと想います。
2. 宇宙への拡張とワンネス : 宇宙の果てから昇る「謎の太陽」
この1週間の中で、私の概念を最も根本から覆したのが、夜の深い瞑想ワークの中で訪れた「ワンネス(宇宙との一体化)」の体感でした。
ファシリテーターの誘導に身を委ね、深く意識を沈めていった時、突如として私を包み込んでいた「私と世界を隔てる境界線」が消失し、が宇宙空間へと解き放たれたのを感じました。
「私は、こんなにも大きかったんだ……!」
その衝撃と共に、宇宙へと意識が拡大した瞬間に、私が一番初めに見たビジョンがあります。それは、広大な宇宙の果てに「地平線」のようなものがあり、そこから太陽のような、黄金色のまばゆい光がボワーッと差し込んでくる圧倒的な光景でした。私はそのあまりの美しさに、ただただ見入って感動していました。
しかし、その感動の中で、冷静にふと不思議に思う瞬間がありました。
「宇宙の果てから、なぜ太陽が昇るのだろう?」
太陽というものは、地球という星の地平線から昇るからこそ「日の出」として見えるのであって、宇宙空間の中から見れば、太陽も他の星々と同じように、空間に浮かぶ一つの天体の光として見えるはず。それなのに、なぜ宇宙の果てからあんなにも巨大でまばゆい黄金の光が昇ってくるのだろう...
その時は理由が全くわからず、ただ不思議な感覚だけを抱えたまま時間は過ぎていきました。
3. 半年を経て繋がった真実 ― 宇宙創生の光「ラ(Ra)」
あの宇宙の地平線から昇る不思議な光の正体に気づいたのは、シャルガオ島から帰国し、半年という月日が経ってからのことでした。
「Love & Nirvana Sanctuary」という場では、「ラ(Ra)」という言葉や音が、とても深く大切に扱われていました。それは単なる呼び名を超えて、宇宙創生の始まりに高らかに響き渡った根源の音であり、万物を生み出した神聖な光そのものを意味するような言葉でした。
後に調べてわかったことですが、古今東西の古代文明や神話、伝承のなかでも、この「ラ(Ra)」という音や光は、常に人類の霊的な真理の中心に存在していました。
例えば、古代エジプトにおいては、宇宙の万物を創り出し、闇を照らす至高の最高神・太陽神として「ラー(Ra)」が深く信仰されていました。エジプトの人々にとって「ラー」とは、単に空に浮かぶ天体としての太陽ではなく、あらゆる生命に命の息吹を吹き込み、世界を照らす宇宙の根源的な光そのものでした。また、広大な太平洋に広がるポリネシア文化やハワイの伝統的な伝承においても、「ラー(Lā / Ra)」は太陽や光、日、そして生きる温かいエネルギーそのものを指す言葉として、古くから大切に語り継がれています。さらに、古代インドのサンスクリット語やヴェーダの叡智においても、「ラ(Ra)」という音の響きは、情熱や変容、そして浄化と命の力強さを司る「火」のエレメントの原初音(ビージャ・マントラ/種子真言)として位置づけられています。宇宙の真理とエネルギーを覚醒させ、内なる光をもたらす聖なる振動として、チャクラを開く瞑想や祈りのなかで今なお大切に唱えられ続けています。
このように、地域や時代、言語の違いを超えて、太古の賢者や先人たちは皆、この「ラ(Ra)」という音の響きのなかに、宇宙が生まれる瞬間のまばゆい光と、命の源泉を感じ取っていたのです。
そしてある時、ふと私の中で、これらの古代からの叡智と、シャルガオ島での体験とが、一本の線となって繋がりました。
「あぁ、すべては最初から繋がっていたんだ……!」
意識が宇宙へと拡大された最初の瞬間に、宇宙の果ての地平線から差し込んできた、あの黄金のまばゆい光。あれこそが、世界中の古代の先人たちが崇め、そしてこのサンクチュアリが何よりも大切にしていた、宇宙創生の根源の光「ラ(Ra)」そのものだったのだと、今更ながらに気づいて、鳥肌が立ちました。
文字通り自らの魂の目を通して、「宇宙の始まりの光(ラ)」を目撃させてもらっていたのだと。「Love & Nirvana Sanctuary」という空間に宿った意思や祈りを、「はじめから体験させられていた」のだと、深く感動しました。
4. 黄金の星々の緻密な連動 ― 宇宙の働きは「精霊の働き」である
そして、あのワンネスの体験の中で、私が「ラ」の光と共に見た宇宙の景色は、私たちが普段思い描くような宇宙とは全く異なるものでした。
おそらく私たちがいる天の川銀河だと思うのですが、そこに見えたのは、肉眼で夜空を見上げた時の星空や、宇宙望遠鏡が捉えるような暗闇に浮かぶ光の星々などではありませんでした。もっと繊細に、もっと細やかに、もっと緻密に……無限に思えるようなあまりにもたくさんの「黄金に光り輝く無数の星々(光の存在たち)」が、まるで一つの巨大な生命体のように、極めて緻密に連動して動き続けている、美しい映像です。その黄金の星々(光の存在たち)の連動があまりにも美しく、これまでの人生で経験したどのような肉体的な感動とも全く質の違う「魂の歓喜」に震え、僕は終始、涙を流し続けていました。
「この至福の感覚さえあれば、他にはもう何もいらない...」
そう想えるほど、これまで経験した様々な喜びや感動とは、全く次元の違う「至福感」がそこにはありました。
別の機会で、ファシリテーターの方が会話の中でボソッと伝えてくれたことで、「ライターでカチャッと火をつけるその瞬間にも、新たなエレメント(精霊)が生まれ、一度生まれたエレメントは永遠にこの宇宙を生き続けていくんだよ」という言葉を想い出して、私の内側で再び衝撃的な気づきが起こりました。あの時見た、超繊細で緻密な黄金の星々(存在たち)の連動した動き。それこそが、無数に存在する「精霊たちの緻密な連動や働き」と全く同じものだったのだと直観しました。
言葉で表現するのはとても難しいのですが、あの「宇宙の光の緻密な連動」と「精霊たちの緻密な連動の働き」は、表裏一体の全く同じものだったという感覚です。
宇宙とは、抽象的なメカニズムなどではありません。無量大数とも言える無限の数の「精霊(命の働き・愛のエネルギー・光)」たちが集まり、緻密に連動し、支え合うことによって成り立っている。
宇宙とは精霊であり、精霊の集まりであり、精霊の働きの総体こそが宇宙である。
それこそが、私があの黄金のビジョンを通して体感させられた宇宙の真実でした。
5. 目覚めの衝撃 : 肉体という器の窮屈さと「真の身体性」
このワンネスの体験から目覚め、意識が「今ここ」の現実に戻ってきた時、私の第一印象は意外なものでした。それは「ものすごく、狭い……!」という感覚です。広大な宇宙へと広がっている自分が、この小さな肉体という器の中に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれて、縮こまっているような感覚。その窮屈さが、リアルな身体感覚としてありました。
この時、私が理解したこと。それは、私たちが「自分」だと思っているこの肉体は、決して第一の身体ではないということでした。果てしなく広がる「宇宙(精霊たちの連動する光)」そのものこそが私たちの本当の身体(第一の身体)であり、この肉体は、この三次元の現象世界を体験するために一時的にまとっている(詰め込まれている)「第二の身体」に過ぎないのだということです。
あの瞑想の中で、最も深く響いたのは、「人間は『身体に対する定義』を根本から変える必要がある」という確信でした。
それまで「ワンネス」いうと、どこか抽象的に、魂が肉体を離れてへ宇宙と繋がるような、ふわっとしたフィーリングのように思っていました。ですが、私が今回の体験を通してリアルに身体で感じ取ったのは、全く違うものでした。それは、あの意識が拡張されていくワンネスの感覚とは、単なるフィーリングとしての感覚ではなく、具体的に私たちが本来持っている「身体感覚の一部」だということです。
この「宇宙が第一の身体である」という前提に立った時、身体に対する見方はまったく新しい次元へと開かれていくと想いました。
私たちの物理的な肉体を構成する無数の細胞ひとつひとつは、単なる生体物質ではありません。それらはすべて、巨大な「宇宙という第一の身体」とリアルタイムで通信し、交流し続けている「超高精度なアンテナ」です。宇宙という巨大な身体の中にも、目に見えない臓器や細胞にあたるところが存在します。そして、その宇宙の臓器や細胞にあたるところと、私たちの肉体の臓器や細胞は、目に見えない光のラインで直接リンクし合い、一瞬の休みもなく情報を交わし合っている。私たちが直感を受け取ったり、理由のない安心感やインスピレーションを感じたりする時、それは肉体の細胞という名のアンテナが、第一の身体である宇宙からの情報やエネルギーをダイレクトに受信している瞬間に他なりません。
私たちには、まだ「使っていない身体」があります。
だからこそ、スピリチュアルな学びでよく語られるオーラやチャクラのケア、あるいは日々の身体のメンテナンスや愛でる行為(セルフケア)の本質も、この視座に立ったとき大きく変わってくると想いました。
「宇宙こそが自分の本当の身体である」という大前提がないまま、ただ肉体のケアをしたり、チャクラやオーラを磨こうとしたりしても、それは狭い部屋の中で閉じこもったまま作業をしているようなものであり、本当の意味での身体性は解放されていかない。
「宇宙という本来の身体」を自分のベースとした上で、その第一の身体と接続する「肉体という第二の身体(アンテナ)」を丁寧にケアしていくこと。
自分の細胞ひとつひとつを愛おしみ、宇宙からの愛や精霊たちの働きをより澄んだ状態で受信できるようアンテナを磨いていくこと。
肉体とは全く別のどこかにワンネスという感覚が存在するのではなく、自分自身の「身体の定義」そのものを宇宙へと拡張し、宇宙すらも自分自身の身体の一部として捉え直していくこと。この身体に対する再定義こそが、ワンネスという体験をただの一時的な感覚や概念で終わらせず、日々の現実の中でより実感をもって深く活かし、体現していくために何よりも重要なことなのだと実感しました。
6. ヒマラヤの聖者との邂逅 ― すべてが繋がる「道(みち)」の秘密
ワンネス体験のワークが終わり、ゆっくりと起き上がって、その至福の余韻に浸りながら坐禅をして瞑想をしていた時。目を閉じている私の目の前に、突然、神々しいヒマラヤの山々と、その背後に広がる広大な宇宙や星々がドーンと現れました。それは、目の前にヒマラヤの山々と宇宙が現れたという映像を通り越して、私自身が、そのヒマラヤの山々と宇宙と完全に一つになるという意識の拡張と圧倒的な体感覚に包まれ、そのあまりにも美しい荘厳さに、再び感動の涙で嗚咽して号泣してしまいました。
するとその時、ビジョンの中に「一人のヒマラヤの聖者が深く瞑想している姿」がはっきりと見えたのです。彼を見た瞬間、私は直感的に理解しました。
「あぁ、今私がしているこの美しい体験は、私独自の個人的な体験ではない。過去にこのヒマラヤの聖者が到達した悟りの体験を、今、私が『再体験』させてもらっているんだ」
このサンクチュアリの創設者(ナガ・ヤーラ氏)は、かつてヒマラヤなど世界各地で秘境的な学びや修行をされていた方だと後でお聞きしました。もしかすると、彼がヒマラヤで体験したその波動を、私がこの場で再体験させてもらったのかもしれません。
いずれにせよ、私はその瞬間に「道(みち・タオ)」なるものの正体を直観しました。
「私の体験は、私だけのものではない。私という存在を通した体験は、過去も未来も現在も含めて、この宇宙に存在するありとあらゆる存在たちと『道(みち)』によって繋がり共有されている。そこに、過去や未来などの時間の隔たりは存在しない。すべての体験は「道」を通して共有され、「道」を通して永遠に息づいている…」
誰か一人が孤立して努力し、勝手に悟ったり覚醒したりすることなどあり得ない。すべては深い意識のネットワークで連動しており、「道」の繋がりを通じて、私たちはお互いの体験を共有し合い、共に目覚めていくのだという壮大な仕組みを肌で感じた瞬間でした。
そして、この時空を超えた繋がりの世界のことを、老師は「道(タオ)」と呼んでいたんだなと想いました。
7. 古代の部族からの眼差し ― 時空を超越した「意図的な接続」の衝撃
さらに、別のワークで「フリム」という古代のマントラを唱えながら瞑想をしていた時の体験は、私の時空概念を根本から覆すものでした。
マントラを唱えながら深く瞑想状態に入っていくと、目の前にかなり古代の、どこかの集落か部族の集まりのようなビジョンが浮かび上がりました。そこで起きたことは、単なる過去生や歴史のフラッシュバックではありませんでした。なんと、その古代の部族の中の一人が、明確な「意図」を持って、未来を生きるはずのこの私に、意識を意図的に接続し、「彼が今、私の目を通して、この現代の世界を見ている」という強烈で鮮烈な感覚が走ったのです。私の中で「私と彼が同時に同居して世界を見ている」そんな感じです。
これまでも「過去や未来と繋がる」という概念は知っていましたが、それは自分が俯瞰して過去や未来の映像を見るようなイメージでした。しかしこの時体験したのは、「過去を生きた人が、未来の私を通して世界を体験するために、意図的に私にアクセスしている」というのが感覚的に明らかにわかり、「私という意識の中に過去の人が意図的に入り込んで、私の目を通して現代を見ているのがわかる」という生々しい体験でした。
ここで私は、先ほどの「道(みち)」の体験と合わせて確信しました。私たちが本当にワンネスの意識に至ると、過去・現在・未来という時間の壁を超越して、意図的かつ意識的に繋がることができるのだと。他者の体験、過去の人や未来の人の体験を、自分の肉体を通してリアルに「再体験(意識体験)」することが可能なのだという、意識の無限の可能性、人間が悟るということの本質的な意味や可能性を体感したのです。
8. 絶対的な安心空間がもたらす、心の最深部の扉の解放
このような数々の体験がなぜこの場所で起きたのか。それは、この「Love & Nirvana Sanctuary」にいる人々と空間が放つ、独特の磁場と絶対的な愛、そして日々の行いや習慣のおかげだと感じました。
スタッフや現地の人々は、すれ違うたびに胸に両手を当てて「アレルヤーラ」と、深く澄んだ笑顔で挨拶をしてくれます。どんな時も、その愛の波動は一切ブレることがありませんでした。この「何をしても、どんな自分であっても絶対に守られている」という安心感が、頑張って心を開こうとするのではなく、自然と心の最深部にある「最も柔らかく、美しく、神聖な領域」を開くことを許してくれたのだと思います。
また、リトリートが終わった後に伺った話や、そこから私が深く受け取ったことでもあるのですが、この場所に漂う独特のエネルギーには、明確な背景がありました。それは、この場所を創設した方の「宇宙や自然と繋がった聖域を地球上に創る」という深い創設の意志と哲学、そしてそれを基盤としたコミュニティの丁寧な育まれ方そのものです。
最初に伝えたように、ここでは宇宙創生の根源の光である「ラ(Ra)」という言葉が何よりも大切にされていました。そして、リトリートが行われていない日常の暮らしの中でも、そこに住む人々は「リチュアル(神聖な作法・儀式)」を日々の営みとしてとても大切に守り続けているのだそうです。火や水といったエレメントや夜空に巡る惑星たち、目に見えない精霊たち、大自然、そして根源の光「ラ」との繋がりを、日々のリチュアルを通して絶やすことなく大切に育んでいる。リトリート中、私たちもそのリチュアルの一部を一緒に体験させてもらいましたが、そのような、深い宇宙の哲学を学び、共有し合い、日々の神聖なリチュアルや丁寧な暮らし、振る舞いを積み重ねているからこそ、何気ない瞬間の挨拶や触れ合い、そしてワークの最中であっても、人々の意識を解き放ち、解放へと向かわせる独自のエネルギーが空間全体に宿っていると想うのです。そうした数々の背景があったからこそ、今回のような体験を重ねることができたのだと、後になって深く腑に落ちました。
ここでの体験を通して、私は「聖域(サンクチュアリ)」というものの本当の意味を理解できた気がしました。聖域とは、ただ物理的に美しい場所や、日常から隔離された場所のことではありません。そこを訪れた一人一人が、自身の内側にある「最も神聖な領域」へと自然にアクセスできるよう、愛と祈り、そして日々のリチュアルによって磁場が丁寧に整えられた空間のことです。
しかし同時に、私たちは遠く離れた特別な場所に行かなければ、この聖域を体験できないわけではないということにも気づきました。むしろ、何気ない日々の暮らしや、当たり前の営みの中にこそ、この「聖域(サンクチュアリ)」なるものを、自らの手で丁寧に創り出していくことが、これからの時代には何よりも重要になってくると強く感じたのです。
日々の丁寧な暮らし。日々の丁寧な営み。そして、目の前の人や物事はもちろんのこと、目に見えない宇宙や精霊たち、すべての存在たちとの一つ一つの丁寧な関わりと温かい触れ合い。そうした、真心を込めた一つ一つの丁寧な行いとリチュアルの積み重ねそのものが、自分自身の生きている空間や、その場所の磁場を、少しずつ確実に「聖域化」していくのだと。
そのようにして、日々の丁寧な営みを通してその場所に深く根付いた、神聖なる領域の波動や振動、そこに込められた優しい想いや願い、そして祈りのエネルギーは、やがてその空間を訪れる他の誰かの心を柔らかく包み込み、深く閉ざされていた心の扉を自然と開いていく力となります。私自身がこのシャルガオ島で、先人たちの祈りとリチュアルが創り出した磁場によって心を開かれたように、これからは私たち自身が日々の暮らしを通して、誰かの魂を優しく迎え入れるような「聖域」を育んでいかなければならない。その聖域づくりの必要性を、私は今回の体験を通して改めて深く痛感させられました。
9. 信仰ではなく「敬意」 ― 真のアニミズムの本質
この「Love & Sanctuary」での1週間のリトリートを通して、そこに暮らす人々が何よりも大切にし、体現していたものがありました。それが「敬意(けいい)」という姿勢です。
夜空に巡る惑星たちへの敬意、火・水・風・土といったエレメントへの敬意、空間に満ちる無数の精霊たちへの敬意、宇宙根源の光「ラ(Ra)」への敬意……そして、目の前にいる一人ひとりの人間への深い敬意...
リトリートのワークの中に、お互いのオーラ(エネルギーフィールド)を感じ合い、心を込めて磨き合うというワークがありました。相手のオーラの中に足を踏み入れる時、必ず胸の前で両手を合わせ、「アレルヤーラ」という澄んだ挨拶を交わします。それは「あなたの神聖な領域に入らせていただきます」という、相手の存在全体に対する心からの敬意の表れでした。
私たちは普段、肉体の皮膚の境目だけを「自分」と捉え、他人の領域にも無意識にガサツに踏み込んでしまいがちです。しかし、相手のオーラという目に見えない微細な領域までをその人自身として感じ取った時、そこには言葉を超えた圧倒的な神聖さが立ち現れます。一筋の火、打ち寄せる波の音、目の前の人のオーラ……そのすべてに対して、どこまで深い敬意を持って出会っていくことができるのか。これらの体験を通して、この「敬意」の本質を理解することこそが、古来から伝わる「アニミズム」の本当の姿を理解することなのだと痛感しました。
現代の私たちは、アニミズムという概念を「山や川、万物に宿る神々や精霊を外側から崇め、信仰すること」だと捉えがちです。しかし、真のアニミズムは決してそのような「信仰」ではないと気づきました。なぜなら「信仰」という言葉の裏には、どうしても「祈る私」と「祈られる対象(神や精霊)」という二元的な「分離」が存在してしまうからです。
古代の縄文の人々やネイティブ・インディアンたちが築いた平和な精神文化において、彼らは自然や精霊を外側から「信仰」していたのではありません。彼らは、自分自身もまた宇宙の働きの一部であり、自然や精霊そのものであるという「ワンネス」の感覚を暮らしの中で育み、文字通り「アニミズムの中で生きていた」のです。そこには自分と精霊を切り離す「信仰」という概念すら存在しません。
本当の意味でアニミズムを理解するためには、「すべては一つに繋がっており、他者も、自然も、宇宙も、すべてが『自分自身』である」という、一元的なワンネスの圧倒的な体感知が大前提として絶対的に不可欠です。
「すべてが私であり、すべてが繋がっている」
その圧倒的な一元の体感をコミュニティ全員で共有しているからこそ、自分ではないように見える目の前の存在(モノ、自然、他者のオーラ)を、自分の身体の一部であるかのように我がこととして大切に扱い、丁寧に接する。文字通り、自分自身に対するような深い「敬意」を払って関わっていく。この温かく澄んだ眼差しと行いの中にこそ、「真のスピリチュアリティ」が育まれていくのだと体感したのです。
10. ワンネスを土台にして、この二元性の世界を愛し、生きる
私たちは普段、自分と他者、自分と世界が切り離されているかのような、分離と錯覚に満ちた二元性の世界を生きています。これまでのスピリチュアルは、時としてこの現実世界の苦しさや大変さから逃れるための「現実逃避の手段」であったり、自分のエゴや願いを叶えるための「ドラえもんの四次元ポケット」のような便利ツールとして使われてしまうことが多々あったように想います。
しかし、私がこのシャルガオ島で得た強烈な結論は、それとは全く逆のものでした。これからの時代、とりわけ大きな意識の変革期(アセンション)を迎えている現代において、ただスピリチュアルな感覚が好きだとか、オーラやチャクラの知識を持っているといった「信仰レベル・趣味レベル」のスタンスでは、もうその先へ進むことはできないというメッセージです。ただ何かを「信じる」という時代は完全に終わりを告げ、私たちは自らの「体感」と「体現」をもって生きることを問われています。
過去も現在も未来も、自分という存在も、他人も、自然も、宇宙も、すべてが一つに繋がった「私」である。その一元的なワンネスの体感知、すべての中に私が在り、私の中にすべてが在るという絶対的な安心感を、自らの内なる揺るぎない「土台」としてしっかりと敷くこと。そしてその土台の上に立った上で、あえて目の前に広がるこの分離の錯覚(二元性の世界)をどのように愛し、どのように敬意を持って関わっていくのか。
ワンネスを体験して現実を否定したり、浮世離れした世界に閉じこもったりするのではなく、むしろこの二元性の現実世界の中で、一つひとつの出会い、日々の仕事、目の前の人との関わり、日々の所作や暮らしの営みに、ワンネスの愛と敬意を注ぎ込んでいくこと。
この「自分の中の最も柔らかく、美しく、神聖な領域」をごまかすことなく開き、偽りのない本物としてこの地上に立つこと。それこそが、これからの時代を生きる私たちが体現していくべき「真のアニミズム」であり、新しい地球における「真のスピリチュアルな生き方(歩み)」なのだと想います。
11. AI時代における「真の情報革命」 ― 時空を超える魂の意思決定
そして、今回のリトリートを通して私が強く感じたもう一つの大きなテーマがあります。それは「情報に対する概念の根本的な再定義」、言うなれば真の意味での『情報革命』です。
現代はAI時代を迎え、人間が蓄積してきた3次元的・物質的な情報を、AIが人間を遥かに超える圧倒的なスピードと精度で処理できるようになりました。「AIが人間を代替するのではないか」という議論も盛んに行われています。しかし、私たちがこれまで頼りにしてきた情報とは、五感で捉えられる範囲の、限られた表面的なデータに過ぎません。私たちはその「狭すぎる情報の範囲」の中だけで、人生の選択をし、悩み、意思決定を行ってきました。
私が体験したワンネスの領域で得たものは、これとは全く次元の異なる情報でした。それは、目に見える現実的なデータだけではなく、過去や未来も含めた「本当の意味での今」に存在する情報であり、古来の人たちはそのことを「道(みち、タオ)」と呼んでいたのだと想います。宇宙すべての中に含まれる、無数の精霊たち、目に見える存在たち、目に見えない存在たち、過去、現代、未来のすべての時間軸を超えて道(タオ)に生きるすべての存在たちの「意志」や「心」といった、時空を超えた大いなるネットワークからの受信です。
これこそが「本当の意味での情報」なのだと気づきました。生きていると、「何のために生きているのか」「自分の人生の目的は何なのか」と思い悩む瞬間が誰しもあると思います。しかしそれは、その人個人の能力が足りないからではありません。単純に、これまで判断材料としてきた「情報の範囲(3次元的なデータ)」が狭すぎたからです。
過去・現在・未来という時空を超え、すべてが繋がった一元領域(ワンネス)にしっかりとアクセスすること。目に見えない精霊や万物と普通にコミュニケーションを取りながら、そこで得た真の情報を基にして、自分の生きる道や魂の使命をキャッチし、選択し、行動していくこと。膨大なビッグデータを解析することはAIにもできますが、時空を超越した意識のネットワークから「魂の真実」を受信し、それをもとに生き方を体現していくことは、意識を覚醒させた人間にしか絶対にできないことです。
この一元的な感覚をベースにした情報の受信と意思決定こそが、AI時代における本当の人間の生き方であり、「悟り」や「アセンション」を語る上で極めて重要な鍵になると確信しました。
12. これからの活動の原点として ― 共に紡ぐ新しい地球の景色
このシャルガオ島での1週間は、私の人生の第二章の幕開けとも言える、とても大きな経験となりました。宇宙創生の「ラ(Ra)」の輝き、緻密に連動する黄金の星々や精霊たち、過去や未来と意図的に繋がる命の道、万物への深い敬意の意味、そして時空を超えた真の情報革命。
これらすべての体感や体験は、決して特別な場所でしか味わえないものではありません。私たちが日々の暮らしの中で、目の前のコップ一つ、すれ違う人一人にどれだけの愛と敬意を注げるかによって、この日常そのものをサンクチュアリ(聖域)に変えていくことができるのです。
今後、私が発信していく文章や、皆さまと共有していく活動のすべては、この時の体験と気づきが「原点」になると想います。この体験を起点として、皆さまと共に、さらに深く、さらに優しい意識の世界を探求していきたいと心から願っています。
※ リトリートに参加した時の体験談を語った動画があります。当時の空気感や、言葉を超えて伝わるエネルギーを感じていただけると幸いです。
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