終戦80年、意を決して陸軍士官だった祖父について語らせてください。
【終戦80年、ずっと言えなかった思いを語ってみることにしました】
私の祖父は60歳ちがいの同じ酉年。
今生きていたら104歳で。
終戦当時、24歳だったことになる。
祖父は陸軍将校の卵でした。
表立って話したことはなかったし、外で話していい話かわからなかったので、我が家ではそのことをずっと黙ってきたように思います。
でも、私は祖父から聞いていた愛国の想いと、戦争で部下を失った苦しみや自責の念に寄り添う幼少期を過ごし。教育やテレビの現場で語られる将校たちのイメージに違和感を覚えることもありました。
日本は敗戦国で、そのリーダーたちであった将校が真っ向から悪人のように言われてしまうのは仕方がないのか、幼心に判断がつきませんでした。
しかし私の祖父は、私が幼稚園児だった頃から、戦争への苦悩と、日本人としての誇りを教えてくれるひとでありました。
『はなよさん、市民のための政治・国家とはなんだろうね。国民が幸せでいられる日本国とはいかなるものか、華世さんは考えられる大人になっていかねばならないよ。決して奢ることなく、市民がどんな生活をし、何に苦しみ、何に喜びを感じているのか。安心安全な暮らしとは何か。そんな日常に寄り添えるリーダーがこの国の中心に居続けることを願っている』と。
祖父はその後、私が小学生に上がると脳梗塞を発症し、私が中学生になる頃には認知症を発症した。
そんな最中に祖父はよく、『天皇陛下がいらっしゃるから失礼のないように』とか、たまにしっかりした頭の日には、戦争中のこと、満州のこと、部下を持つということ、日本を守るということ。いろんな話を語り教えてくださいました。
私は、この、市議会議員という職についてからも、時折悩む時、傷つく時、立ち向かう力が削がれてしまいそうになる時、祖父の形見に問いかけます。
『おじいちゃん、国のためとは、どのような態度と、どのような発言と、どのような気概でしょうね。私は、それができていますでしょうか?然るべき発言をこの市民と国民のために、恐れずできますように』
戦後80年。
どうして私たち日本人は、靖国神社さえ参拝することを躊躇わなければいけない教育を受け続けてしまったのでしょうか。私たち日本人が自国を愛し、自国を守ろうと一丸になった歴史が、その思いの全てを否定しなければいけない80年を送ってきてしまったのでしょうか。
『おじいちゃん、あなたは今、どんな思いでこの国を見ていますか?』
もういい加減、私たち日本人は、自国を誇りたい。
私は少なくとも、日本の皆様に、国と国民の命を心から大切に思っていた軍の士官がたくさんいたであろうことを、伝えたい。
日本という国が、その国名を残せたこと。
その時代に生きた誰も彼もが、その立場に関係なく、国民が一丸となれたこの日本という国の国民性が、とても誇らしく、その魂を私たちは引き継いでいることを思い出したい。
戦後80年。
私たちは、ここから、もう一度強く豊かな日本を作っていきたい🌸いや、作らなければならない。とても穏やかで前向きに。世界平和の先頭に立ちたい。
戦禍にてその命を落とさねばならなかった全ての国民の皆様の御霊が、どうか安らかでありますように。
誇らしい国をみんなで作っていきたいです😃
野場はなよ


