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原子爆弾の研究・製作へのきっかけを作り、最後には原子爆弾の投下を止めようとした男――レオ・シラード科学者

アインシュタインは知っている。
オッペンハイマーも知っている。
しかし、その二人をつなぎ、原爆開発の最初の扉を開いたレオ・シラードの名前は、なぜほとんど知られていないのだろうか。

原子爆弾の歴史を語るとき、多くの人が思い浮かべるのは、

アルベルト・アインシュタイン
ロバート・オッペンハイマー

ではないでしょうか。

アインシュタインは、ルーズベルト大統領への警告書簡に署名した人物。

オッペンハイマーは、マンハッタン計画の科学部門を率い、「原爆の父」と呼ばれた人物です。

しかし、その二人の間に、

原爆開発のきっかけそのものを作ったとも言える、あまり知られていない科学者

がいました。

その人物が、

レオ・シラード(Leo Szilard)です。

彼は核連鎖反応の可能性を非常に早い段階で見抜き、
アインシュタインを動かし、アメリカ政府に核兵器開発の危険性を警告しました。

ところが第二次世界大戦末期になると、今度は逆に、

「原爆を都市に使用してはいけない」と政府へ訴える側に回ります。

原爆誕生の扉を開きながら、最後にはその扉を閉じようとした男。

今回は、そんなレオ・シラードについて見ていきます。


レオ・シラードとは?

レオ・シラードは1898年、当時のオーストリア=ハンガリー帝国のブダペストに生まれました。

ユダヤ系の家庭に育ち、後にドイツへ渡ってベルリンで物理学を学びます。

当時のドイツは世界の物理学研究の中心地でした。

アインシュタインやマックス・プランクなど、一流の科学者が集まっていました。

シラードの基本情報

生年 1898年
出身 ブダペスト
専門 物理学、後に分子生物学
出自 ユダヤ系
主な功績 核連鎖反応の先駆的構想原爆との関係
     米政府への核開発警告を主導
     戦争末期原爆の対日使用に反対


1933年――核連鎖反応という発想

シラードの最大の先見性は、

核分裂が発見されるより前に「核連鎖反応」という考えに到達していた
ことです。

1933年。シラードは、

ある原子核反応によって複数の中性子が発生し、その中性子が次の原子核反応を起こせれば、

反応が連鎖的に増えていくのではないか
と考えます。

イメージとしては、

1つの反応

複数の反応

さらに多数の反応

爆発的に反応が拡大

というものです。

後の原子炉も、原子爆弾も、この「核連鎖反応」が重要な原理になります。しかも当時は、まだウランの核分裂すら発見されていません。

シラードは、核兵器につながる基本概念を、世界がまだその可能性に気付く前から考えていた
ことになります。


ナチスから逃れた科学者

同じ1933年。

ドイツではアドルフ・ヒトラーが政権を握ります。

ユダヤ系だったシラードは危険を察知し、ドイツを脱出。
その後イギリスを経て、アメリカへ渡りました。

ここで重要なのは、

シラード自身がドイツ科学界の実力をよく知っていたことです。
当時のドイツは物理学・化学・工学で世界最高水準にありました。

だからこそ、

「もしナチスが核兵器の可能性に気付いたら、先に完成させてしまうかもしれない」

という恐怖を強く持っていました。


1938年――恐れていたことが現実味を帯びる

1938年末。

ドイツの科学者オットー・ハーンらの研究によって、
ウランの核分裂が明らかになります。

シラードにとって衝撃的な出来事でした。

数年前に自分が考えていた核連鎖反応が、
実際にウランで起こせる可能性
が出てきたからです。

しかも、その発見が行われたのはナチス・ドイツでした。

ここからシラードは、
「アメリカ政府を動かさなければならない」と考えます。


アインシュタインを動かしたのはシラードだった

ここは原爆開発史で非常に重要な部分です。

有名なのが、
アインシュタインからルーズベルト大統領へ送られた書簡です。

しかし、
「アインシュタインが自ら原爆開発を提案した」
というイメージは少し違います。

実際に政府への警告を積極的に進めた中心人物は、

シラードでした。

シラードたちは、
「自分たちだけでは大統領を動かせない」と考えます。

そこで頼ったのが、世界的に有名だったアインシュタインでした。

役割を整理すると

■人物ー役割
レオ・シラード :警告を主導し、書簡作成を進める
アインシュタイン:書簡に署名し、社会的権威を与える
ルーズベルト  :アメリカ政府として核研究を検討
オッペンハイマー:後に原爆開発チームを統率

つまり、

アインシュタインの名前の後ろで実際に動いていた、重要人物の一人がシラードだったのです。


アメリカの核開発が動き始める

1939年8月。

アインシュタイン署名の書簡がルーズベルト大統領へ送られます。
内容は簡単に言えば、

「ウランを利用すれば極めて強力な爆弾を作れる可能性がある。そしてドイツも研究している可能性がある」

というものでした。

アメリカ政府は核研究を進め、やがて巨大国家プロジェクト、

マンハッタン計画へと発展していきます。


シラード自身も核研究に参加する

シラードはマンハッタン計画にも関わります。

ただし、

ロスアラモスで原爆そのものを設計していた、オッペンハイマーとは役割が違いました。

シラードはシカゴで、エンリコ・フェルミらと核連鎖反応の研究
に取り組みます。

1942年には、世界初の制御された人工的核連鎖反応、
シカゴ・パイル1の成功に関わります。

原爆開発を支えた人物

■人物ー主な役割
シラード    :核連鎖反応の構想・政府への警告
フェルミ    :制御された核連鎖反応を実現
オッペンハイマー:原爆そのものの設計・開発を統率
グローヴス   :マンハッタン計画の軍事責任者

この意味で、
「原爆の父」はオッペンハイマーですが、

シラードは、
「原爆誕生のきっかけを作った人物」と呼ぶにふさわしい存在でした。


しかし、状況が変わる

シラードたちが原爆開発を急いだ最大の理由は、

ナチス・ドイツより先に核兵器を完成させるためでした。

ところが1945年5月。ドイツが降伏します。
ヒトラーもすでに死亡していました。

つまり、原爆開発を急がせた最大の理由そのものが消えた
ことになります。

しかしアメリカの原爆計画は止まりません。
まだ日本との戦争が続いていたからです。

そして原爆の使用対象は、ドイツから日本へと移っていきました。


今度は「原爆を使うな」と訴える

ここからシラードの立場は大きく変わります。

自分自身が、「ナチスより先に作らなければならない」
と政府を動かした原爆。

しかしナチスが消えた以上、今度は、
「日本の都市へ突然使用するべきではない」
と考えるようになります。

1945年7月。シラードは科学者たちの署名を集め、後に、「シラード請願」と呼ばれる文書を作ります。

その趣旨は、

日本に降伏の機会を与えず、民間人のいる都市へ原爆を直接使用することに反対する

というものでした。


しかし原爆は投下された

シラードたちの訴えは、最終的な政策決定を変えることができませんでした。

1945年8月6日。広島へ原爆投下。

8月9日。長崎へ2発目の原爆が投下されます。

シラードが恐れていた核兵器は、ついに実際の都市へ使用されました。


作るきっかけを作り、最後には止めようとした

シラードの人生には、非常に大きな皮肉があります。

最初は、「ナチスが核兵器を持ったら世界は危険になる」と考えました。

だからアメリカ政府を動かしました。
しかし完成した原爆が日本へ使われようとすると、

今度は、「人間に対して使うべきではない」と政府へ訴えました。

整理すると、

核連鎖反応を構想する

ナチスの原爆開発を恐れる

アインシュタインを動かす

アメリカ政府へ警告

マンハッタン計画へ

ドイツ降伏

日本への原爆使用に反対

という人生です。


アインシュタイン、オッペンハイマー、そしてシラード

原爆開発の歴史では、

アインシュタインとオッペンハイマーが非常に有名です。

しかし三人を並べると、それぞれの役割が違って見えてきます。

■人物原爆との関係
アインシュタイン:世界的権威として政府への警告書簡に署名
シラード    :核兵器の可能性をいち早く察知し、政府への警告を主導
オッペンハイマー:マンハッタン計画で実際の原爆開発を統率

つまり、アインシュタインが警告の「顔」なら、シラードはその仕掛け人。

そして、オッペンハイマーが原爆を完成させた男なら、シラードはその始まりを作った男

とも言えるでしょう。


戦後のシラード

戦後、シラードは核兵器開発から距離を置くようになります。

研究分野も物理学から生命科学・分子生物学へ移っていきました。

同時に、核軍拡や核戦争を防ぐための活動にも力を入れていきます。

つまり彼の後半生は、自ら誕生に関わった核兵器によって
人類が滅びないよう、その危険性を訴える人生でもありました。


シラードは「原爆の父」なのか?

一般的に、

「原爆の父」と呼ばれるのはオッペンハイマーです。
そのため、シラードをそのまま「原爆の父」と呼ぶのは少し違います。

しかし、原爆開発へ至る最初の重要なきっかけを作った人物
という意味では、シラードの存在は非常に大きいでしょう。

むしろ、「核時代を誰より早く予見した科学者」

と表現した方が、彼の人物像に近いのかもしれません。


まとめ

レオ・シラードは、
アインシュタインやオッペンハイマーほど一般には知られていません。

しかし原爆開発の歴史をたどると、その重要な節目に何度も登場します。

  • 核連鎖反応という未来を想像した。

  • ナチスの核兵器を恐れた。

  • アインシュタインを動かした。

  • アメリカ政府を核開発へ向かわせた。

そして最後には、

その原爆を人間へ使用しないよう訴えた。

科学者は新しい技術を生み出すことができます。

しかし、

その技術が国家や社会によってどのように使われるのかまで、
科学者自身が支配できるとは限りません。

シラードの人生は、

科学を生み出す責任と、それを使う人間の責任は何なのか

という問題を私たちに残しています。

原爆誕生のきっかけを作り、
そして最後には、その原爆の実戦使用を止めようとした男

それが、レオ・シラードという科学者でした。

※シラードの名は、原爆開発者として大衆的に有名になることはなかった。
しかし物理学界は彼を忘れていなかった。

1974年、アメリカ物理学会は
「科学の社会的影響を考え、物理学を社会の利益のために用いた人物」を
称えるレオ・シラード賞を創設した。

原爆誕生のきっかけを作りながら、その使用に反対したシラード。
その名が「科学者の社会的責任」を象徴する賞として残ったことは、
彼の人生をよく表している。

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